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[時代の証言者]囲碁と生きる 趙治勲<6>「10歳プロ」夢のまた夢

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木谷道場での趙さん(左)。隣は師匠の木谷九段(日本棋院提供)
木谷道場での趙さん(左)。隣は師匠の木谷九段(日本棋院提供)

 ボクが木谷門に入った頃、道場は東京・四谷にありました。木谷(実九段)先生は最初の脳出血をされた後。口数が少なくて弟子たちに直接指導されることもほとんどありませんでしたが、囲碁に対する情熱はひしひしと伝わってきました。

 生活面などでの面倒は奥様の美春おかあさまが親身になって見てくださいましたね。10歳にも満たないボクから20歳近い石田(芳夫二十四世本因坊)さん、加藤(正夫名誉王座)さんまで、10人の男の子が内弟子なのですから、まあ毎日大変だったでしょう。

 夜中まで大声で騒いでいる。だれかがいたずらをして何かを壊す。そんな時には全員が「集合」です。生活態度から勉強の仕方まで、1時間も2時間もおかあさまから「説教」される。ボクにはそれがちょっとつらかったですね。

 学校に通う年齢になったボクは、新宿区の若松町にある東京韓国学校に入学したのですが、サボってばかりいました。四谷の道場から学校まで歩いて約30分。ちょうど中間あたりに兄(趙祥衍七段)の住んでいたアパートがあって、「行ってきます」と出たボクはそこに直行していたのです。

 兄だってその時間は仕事に出かけています。辞書を片手に吉川英治の歴史小説を読んでみたり、大家さんの家でテレビを見せてもらったり。夕方まで一人で時を潰すのが通例でした。学校の勉強はしない。碁の勉強にも力が入らない。木谷道場のあまりのレベルの高さに心がくじかれたボクは、今考えると全く無為な生活を送っていました。

 道場の庭でのチャンバラごっこや年上の女性の弟子に対する数々のいたずらなど、周りからは元気いっぱいに過ごしているように見えたようですが、少なくとも囲碁に関しては来日したころからほとんど進歩しなかったのです。

 そんな状況で「10歳までにプロの初段」という目標が達成できるはずがありません。8歳の時も9歳の時も、そして10歳の時さえも、プロテストの前の予選すら勝ち上がることができませんでした。

 1965年に道場にやってきた4歳年上の(小林)光一(名誉棋聖)さんは、「来たての頃は治勲さんの方が強くてショックだった」と話されていますが、ボク自身は覚えていません。勉強熱心な彼のことですから、きっとすぐに追い抜かれてしまったのでしょう。実際、光一さんはボクの1年前にプロになっています。

 目標が達成できないことがはっきりして、「これじゃダメだから、韓国に帰したらどうか」という話まで出るようになりました。おかあさまから呼び出された兄から「今度(入段が)ダメだったら、一緒に帰ろう」と言われて、ようやくボクは「死ぬ気で勉強しなければ」と思うようになりました。(囲碁棋士)

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使い方
1705429 0 時代の証言者 2020/12/17 05:00:00 2021/01/12 18:43:10 木谷道場での趙治勲(左から2人目)、その隣が木谷実。日本棋院提供。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201216-OYT8I50062-T.jpg?type=thumbnail

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