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[時代の証言者]囲碁と生きる 趙治勲<7>猛勉強 最年少で入段

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 「10歳でプロ」の目標を達成できず、「今年ダメなら(韓国へ)帰ろう」とまで兄(趙祥衍七段)に言われたボクは、ようやく本気で囲碁の勉強を始めました。

木谷道場での趙さん(右から2人目)。左端は木谷九段、右隣は娘の小林(当時は木谷)礼子七段(日本棋院提供)
木谷道場での趙さん(右から2人目)。左端は木谷九段、右隣は娘の小林(当時は木谷)礼子七段(日本棋院提供)

 もともと木谷道場は放任主義で、「あれをしなさい」「これをしなさい」と勉強方法を押しつけられることはありませんでした。弟子たちの自主性に任せられていたのです。今にしてみれば、8歳ぐらいの時からしかってくれた方がよかったのですが……。

 ボクが選んだ勉強法は、呉清源先生の本で布石を勉強すること、あとは実戦で読みを鍛えることでした。

 《呉清源九段(1914~2014年)は中国福建省出身。瀬越憲作門下。7歳で囲碁を覚え、14歳で来日。翌年、日本棋院から三段が認められた。戦前、戦後に行われた「十番碁」のシリーズで当時の一流棋士をすべて一段下の「先相先せんあいせん」以下に打ち込み、第一人者の地位を確立。その実力は囲碁史上屈指との評価を受けている。戦前、盟友だった木谷実九段とともに「新布石」を考案したことでも知られる。門下に林海峰名誉天元、ゼイ廼偉九段》

 まあ、6歳から10歳まで「勉強しなかった」と言いましたが、周りに加藤(正夫名誉王座)さんや石田(芳夫二十四世本因坊)さんら強い兄弟子たちがいて、ボクも道場で同じ空気を吸っていたわけです。「門前の小僧」ではないですが、体に囲碁のエキスがしみこんでいたのでしょう。1年間の猛勉強で見違えるように力が付きました。「先」でも勝てなかった人に、同格の「互先」で勝てるようになりました。

 11歳の時の入段手合。ボクは初めて予選を突破して本戦に臨みました。その日打った碁の棋譜を書き、対局後、兄のアパートで、どこがよかったか悪かったかの検討をする。そういう生活が約2か月間続きました。結果は12勝4敗の好成績。11歳9か月でのプロ入りは、当時の最年少記録でした。

 プロになって人生は一変しました。「碁が打ちたい」「戦いたい」と思っていても、その場所に到達できず悶々もんもんとしていたボクに「戦う場所」ができたのです。木谷道場の先輩たちも、一人前扱いしてくれるようになりました。

 例えば兄弟子たちとソフトボールをしていても、それまではボクの打席では「アウト」を取ってくれなかったのです。バッターボックスには立たせてくれるけど、子供扱いで試合の中には入れてくれなかった。プロになったら、ちゃんと「三振、ワンアウト」と言ってくれるようになった。それがうれしかったのです。

 囲碁の世界に居場所ができた。みんな真剣勝負をしてくれるようになった。「10歳でプロ」の目標に「1年遅れた」という思いはその後もずっと残りましたが、囲碁に対する思いはますます強くなっていったのです。(囲碁棋士)

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使い方
1711352 0 時代の証言者 2020/12/19 05:00:00 2021/01/12 18:45:18 木谷道場での趙治勲(右から2人目)、左端は木谷実、その右が木谷礼子。日本棋院提供。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201218-OYT8I50127-T.jpg?type=thumbnail

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