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[時代の証言者]囲碁と生きる 趙治勲<9>シノギの坂田に苦杯

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 1974年12月、日本棋院選手権戦に挑戦しました。木谷道場から独立して、独り暮らしを始めたころ。平塚で過ごした日々の集大成という気持ちで五番勝負に臨みました。

18歳で七大タイトルに初挑戦し、坂田栄男二十三世本因坊(左)と対局(日本棋院提供)
18歳で七大タイトルに初挑戦し、坂田栄男二十三世本因坊(左)と対局(日本棋院提供)

 ボクにとっては初のビッグタイトルへの挑戦です。新聞三社連合が主催していた日本棋院選手権戦は翌年、関西棋院選手権戦と統合されて天元戦となり、現在へと続いています。この年まで、坂田栄男先生が2連覇中でした。

 《坂田栄男二十三世本因坊(1920~2010年)は東京都出身で増淵辰子八段門下。1935年のプロ入り時から大才をうたわれ、タイトル獲得通算64期(歴代2位)、本因坊戦7連覇などの記録を打ち立てた。64年の年間勝率9割3分7厘5毛(30勝2敗)は現在も破られていない。92年、囲碁界初の文化功労者にもなっている》

 充実していたんでしょうね。平塚に行く前よりは、80%ぐらい強くなっていたような気がします。内容的にも第1局、第2局は坂田先生を圧倒しています。連勝して、タイトル奪取にあと一歩と迫りました。

 韓国からの報道陣も大挙して訪れて、ボクの周りもにぎやかになっていました。ところが坂田先生はここからが強かった。第3局で1勝を返すと一気に3連勝。逆転でタイトルを防衛されてしまいました。第4局、第5局と内容的にはいい碁を打っているのですが、肝心な所でボクにあり得ないミスが出てしまったのです。

 思えば前年も坂田先生は木谷門の先輩の加藤(正夫名誉王座)さん相手に2連敗3連勝で防衛していたのです。この時の3連敗を含め、ボクはそれから坂田先生に12連敗をしてしまいます。「シノギの坂田」として知られる接近戦の強さ、読みの深さ。ボクと棋風が似ていますが、ボクよりもすべての面で強いのが、坂田先生。その実力を思い知らされることになるのでした。

 第5局が終わった打ち上げのとき、「趙君は負けてよかったんだよ」と坂田先生はおっしゃいました。後になって兄(趙祥衍七段)にも同じようなことを言われました。思えば、坂田先生自身、初めての本因坊挑戦の時、橋本宇太郎(九段)先生に3勝1敗から3連敗して苦汁をなめた経験があったのです。

 才能はあるが本当の実力はまだ付いていない。坂田先生は若い頃の自分と当時のボクを二重写しに見てくれていたのかもしれません。「負けて覚える相撲かな」という言葉がありますが、そういう経験も必要なのでしょう。それから坂田先生はずいぶんボクをかわいがってくれましたし、ボクも、歯にきぬ着せぬ言動で裏表のない坂田先生の性格が大好きでした。

 逆転負けをしたことはショックでしたが、翌年には八強戦で優勝し、初の名人リーグ入りを果たします。76年には王座戦で初のビッグタイトルを獲得できました。ボクの充実と好調は続きます。

 背景には、「大切な人」との出会いがありました。 (囲碁棋士)

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使い方
1718070 0 時代の証言者 2020/12/22 05:00:00 2021/01/12 18:52:07 坂田栄男(左)に初挑戦する趙治勲(右)。日本棋院提供。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201221-OYT8I50089-T.jpg?type=thumbnail

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