[東日本大震災10年 秘話]<5>避難誘導 釜石の奇跡、共助のリレー
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中学生が小学生を支えながら高台を目指して避難した――。東日本大震災で岩手県釜石市

大きな揺れが落ち着き、校庭に出た菊池さんら生徒約210人は、村上洋子副校長(63)(当時)の「点呼はいいから、走れ!」の指示で、即座に駆け出した。
隣接する鵜住居小に動きはなかった。「もし残っていたらやばい」。菊池さんたちは「津波くるぞー、早く逃げっぺー」と校舎に向かい叫んだが、反応はなかった。「津波が来たら、助からない」。そう思いつつ、走るしかなかった。
すれ違いで、地元消防団6分団の二本松誠さん(57)が小学校の敷地に車を乗り入れた。2人の子供が同小に通っていた。二本松さんが急いで校舎に入ると、児童の多くが3階へ避難している途中だった。「何やってんだ。早く高台へ避難しろ!」。教員たちは慌てて、外に出るよう指示した。
近くの水門の閉鎖を確認した二本松さんは、仲間の団員と再び校舎へ戻った。停電で校内放送ができない。逃げ遅れがいるかもしれない。案の定、2階に児童数人と教員がいた。さらに保健室には、靴をなくして困っている低学年の子がいた。「はだしで大丈夫だから走れ」。お尻を軽くたたくと、その子は走り出した。
児童生徒が向かったのは、約800メートル先にある介護福祉施設の駐車場。訓練で確認を繰り返してきた一時避難所だ。菊池さんは、児童たちの姿を見て、胸をなで下ろした。さらに高台を目指し、地域住民と一緒に、児童の手を引いて避難するのはここからだ。
児童全員が校舎から避難できた経緯を、菊池さんが知ったのは7年後だった。避難の途中には様々な助けがあったとも聞いた。「地域の人たちが私たちを逃がしてくれたんだ」。菊池さんは翌年、鵜住居の震災伝承施設の職員になった。