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[東日本大震災10年 秘話]最終回<6>犠牲 大川小 設計者の思い 

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児童、教職員計84人が死亡・行方不明となった大川小の校舎(2011年4月11日)
児童、教職員計84人が死亡・行方不明となった大川小の校舎(2011年4月11日)

 宮城県石巻市の市立大川小学校で起きたのは、悪夢のような出来事だった。遺体で見つかった児童は70人。10人の教職員も死亡し、児童4人はいまも見つかっていない。東日本大震災の津波が、北上川を4キロ近く逆流し、逃げ遅れた教職員と児童の列に襲いかかった。

 周囲にあった約100戸の集落は消え、いまは独特のカーブを描く校舎だけが残る。設計を手がけた建築家を訪ねた。構想で終わったある計画について語り始めた。

校舎裏山に幻の「教室」

大川小の校舎を設計した建築家の北沢興一さん(昨年11月、東京都渋谷区で)
大川小の校舎を設計した建築家の北沢興一さん(昨年11月、東京都渋谷区で)

 避難誘導の遅れから、多くの児童が犠牲になった宮城県石巻市の市立大川小学校の悲劇。1985年開校のモダンな校舎を設計したのは、東京都の建築家北沢興一さん(83)だ。

 東京・内幸町の旧帝国ホテルの設計に携わり多くの日本人建築家を育てたことで知られるアントニン・レーモンド(1888~1976年)に師事し、四ツ谷の上智大キャンパスや、池袋の立教大の女子寮などを手がけた。妻が旧河北町(現石巻市)の出身だったのが縁で、町から設計を依頼されたのだという。

 「子供たちに喜んで使ってもらえる校舎」をイメージして図面と向き合った。台形の教室間の壁を可動式にし、クラスをまたいで共同で学べる仕組みを取り入れた。外壁には特注の素焼きタイル。天井は通常より2メートル高くし、2階の教室は5メートル超にした。大きな窓から光がたくさん入る気持ちのよい校舎が仕上がった。

 その開校から26年後、震災が起きた。大川小に通うたくさんの児童が津波の犠牲になったことを知った。北沢さんの脳裏にすぐ、四半世紀前に着想したあの計画の記憶がよみがえった。

 校舎の外に出た子供たちが、北上川や自分たちの暮らす街を眺めながら、自然や社会について学ぶ「野外教室」の計画だ。校舎の裏山に遊歩道を作り、高さ10メートル超の場所にあずま屋を築いてはどうかと考えた。町の感触は悪くなかったが、裏山は私有地。この計画が設計図に取り込まれることはなかった。

 開校式に出席した日、真新しい校舎の中を駆け回っていた児童たちの笑顔が浮かぶ。大川小を襲った津波の推定の高さは8・6メートル。「今さら言っても仕方ないけど、あずま屋があれば、児童たちは山に登って助かったのではないか」

 北沢さんが子供たちのために設計した大川小は、この春から、悲劇の震災遺構として公開されることになっている。

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1771451 0 企画・連載 2021/01/15 05:00:00 2021/01/15 12:23:25 児童、教職員計84人が犠牲となった大川小の校舎(2011年4月11日、宮城県石巻市で)=関口寛人撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210115-OYT1I50021-T.jpg?type=thumbnail

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