[東日本大震災]絆の10年<1>震災4日後、渡辺謙さんらが支援サイト…「僕たちにできるのは言葉の募金」
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港のそばにたたずむ宮城県気仙沼市のカフェ「K―port」。この店に今月15日、手書きのファクスが届いた。福島や宮城を最大震度6強の地震が襲った2日後のことだ。

〈皆様大事なかったでしょうか? (中略)胸が痛いです。でも改めて、防災は常に準備をして、慌てないという必要があるのだなと…心落ちつけて生活できる、中々容易ではないなあ…。ごゆっくり〉

送信者は、俳優の渡辺謙さん(61)。K―portのオーナーでもある。
縁もゆかりもなかった東北の港町に渡辺さんがこの店を開いたのは、2013年11月。気仙沼の復興を信じて立ち上がる地元の男性に出会ったのが、きっかけだった。
K―portの「K」には様々な意味がある。気仙沼、謙、心、そして人と人をつなぐ「絆」。渡辺さんは語る。「『絆』という言葉の重みは震災後、明らかに変わったと思う」
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11年3月11日午後2時46分、渡辺さんは米ロサンゼルスから日本に向かう飛行機の中にいた。成田空港に降りられず、小松空港(石川県)に着陸。そこでテレビをみて被害の甚大さを知った。焦りがこみ上げた。地震を体感していない自分に何ができるか、と。
放送作家の
被災者に向けて「応援している人間がいる、と伝えたい」という渡辺さんに、小山さんは「TSUNAMIではなくポジティブな言葉を世界の共通語にしたい」と応じた。震災から4日後の3月15日、2人が呼びかけ人となり、被災者支援サイトを開設した。
名称は「kizuna311」。日本全体で思いをつなぎたい――自然と浮かんだ言葉が「絆」だった。
サイトには、渡辺さんが宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を朗読した動画や、国内外の著名人らが寄せたメッセージなどを公開した。関係者のメモに、渡辺さんの当時の言葉が残る。「求められているのは物資や募金かもしれない。でも今、僕たちにできるのは『言葉の募金』なんだ」