読売新聞オンライン

メニュー

原子炉建屋が次々爆発、吉田所長は政府に訴えた…福島「レベル7」の惨事[記憶]<4>

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 2011年3月11日夕、東京電力福島第一原子力発電所は東日本大震災に伴う津波で、原子炉の冷却に必要な電源を失った。1~3号機の炉心が溶融し、まず12日午後に1号機原子炉建屋が爆発した。2日後の14日午前、3号機建屋で激しい爆発音と噴煙が上がった。建屋付近の屋外で補修作業をしていた東電社員たちは、数百メートル北西の免震重要棟に走って逃げた。

爆発して噴煙を上げる福島第一原発3号機(2011年3月14日)=福島中央テレビ提供
爆発して噴煙を上げる福島第一原発3号機(2011年3月14日)=福島中央テレビ提供

 14日夜、2号機の炉心に注水するために起動していた消防車の燃料が切れ、冷却が難しくなった。「炉心が溶け、同じようなプラントが三つできる。すさまじい惨事です」。同原発の吉田昌郎所長(故人)は電話で政府に訴えた。

 15日朝、もう1棟の建屋が爆発した。身構えていた2号機ではなく、原子炉に核燃料を装填していなかった4号機建屋だった。国際的な尺度で最悪の「レベル7」と暫定評価された。

原子炉3基 次々と溶融

 2011年3月11日に始まった東京電力福島第一原子力発電所事故は、原子炉3基が炉心溶融した未曽有の原子力災害だった。東日本大震災の津波で電源設備が水浸しとなり、原子炉を冷やせなくなった。必要な情報が共有されないまま、対策は後手に回り、3基の原子炉を収容する建屋が次々と爆発した。

画像をクリックすると拡大イメージ(PDF)をご覧いただけます。

電源全滅 想定せず

 「1、2号機、SBO(ステーション・ブラックアウト=電源喪失)です!」「3、4号機も!」。11日午後3時35分に津波の第2波が襲来した直後、免震重要棟の緊急時対策本部に連絡が入り、電話を受けた本部員たちが報告した。

 地震発生時に運転中だった1~3号機では、自動停止した原子炉の崩壊熱を冷やす必要があった。だが地震で送電鉄塔が倒壊するなどして外部電源が途絶えただけでなく、津波で炉心冷却の命綱だった非常用ディーゼル発電機も止まった。

 「10条を通報します」。同原発の吉田昌郎所長はテレビ会議システムで東京の本店に伝えた。全交流電源の喪失を示す原子力災害対策特別措置法10条だ。

 非常時の手順書には、電源が全滅した時の記述が見当たらない。「バッテリーを集めよう」。制御盤の計器類を担当するチームの発案で業務車両などからバッテリーを外し、停電で真っ暗な中央制御室で計器に接続した。

 吉田を補佐していた同原発幹部は、バッテリーを集める部下を見ながら焦燥感にかられた。「この事故は100メートル走なのか、42・195キロも走るマラソンなのか」。1号機では電力なしに水を循環させる非常用冷却装置が止まり、核燃料が損傷していた。

1号機建屋 水素爆発

 断続的に計測していた1号機の格納容器の圧力が11日午後11時50分頃、設計圧力を大きく上回った。格納容器が壊れれば、膨大な放射性物質をまき散らす大惨事になる。

 東電は格納容器から蒸気を強制的に排出し、圧力を下げる「ベント」を決断する。中央制御室から操作できないため、2人1組の決死隊が高い線量下の建屋を進み、配管の弁を開こうと試みた。同時に建屋の外側からも可動式の装置などを操作し、12日午後2時半頃、排気筒から白煙が出た。

 だが、午後3時36分、1号機建屋は水素爆発した。中央制御室は揺れ、天井板が落ちた。運転員の一人は脳裏に「死」がよぎったと振り返る。

 12日夜、1号機の原子炉を冷やすため、消防車を使って海水を注入し始めた。だが、東電本店が政府に忖度そんたくし、注水を中止するよう指示する事態も起きた。吉田は指示に従うふりをして注水を継続させた。

冷却機能喪失 2・3号機も

 1号機の対応に苦闘している中、今度は3号機の状況が悪化した。13日未明には冷却装置の運転を続けられなくなった。

 「ドン」。14日午前11時1分、3号機の原子炉建屋が爆発し、社員ら11人が、がれきで負傷した。当初は「40人以上が行方不明」という連絡が免震重要棟に届いた。

 近くの建屋で作業していた東電社員の一人は爆発音を聞いた。「早く逃げたい」。降り注いだがれきの山を避けながら走った。

 14日午後1時半頃、今度は2号機の冷却装置が止まる。原子炉内の圧力を下げ、外から注水して冷やさねばならない。中央制御室では配管の弁を開こうとしたが、なぜか開かない。

 何度も操作を試み、午後6時過ぎ、重要な弁が開いた。炉内の圧力が下がった瞬間に注水を始めれば、再び冷却できる。だが、今度は注水用の消防車の燃料が切れているのが分かった。

 吉田は政府高官に電話した。「水が入らなかったら、炉心が溶けてチャイナ・シンドロームになる。すさまじい惨事です」

 「チャイナ・シンドローム」とは、核燃料が溶けて原子炉の底部を貫通する「メルトスルー」状態を意味する言葉だ。米国の原子炉で溶融燃料が生じると、やがて地球の中心部を通過し、中国まで到達するという寓話ぐうわだ。1979年の映画の題名に使われ、世界に広まった。

 15日午前6時10分頃、爆発音が生じた。3号機の水素が配管を通じて4号機建屋に流入し、爆発した。2号機では建屋側面のパネルが1号機の爆発の衝撃で開き、水素が外部に放出されていた。2号機は偶然、爆発を免れたものの、大量の放射性物質が飛散した可能性が高い。

 吉田らは4号機の報告より先に、2号機が壊れたと判断した。最低限の要員を除く約650人が約11キロ・メートル南の福島第二原発に一時退避した。

 政府も東電も原子炉3基を制御できず、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と並ぶ「レベル7」という最悪の事態となった。

 吉田は11年12月に所長を退き、13年7月に亡くなった。東電は現在も、溶け落ちた核燃料を取り出せていない。

 12年9月に新設された原子力規制委員会は、事故を教訓に国内原発の対策強化を求める新規制基準を作った。19年夏時点で電力各社が想定する対策費は計5兆円を上回った。

 (肩書は当時、敬称略)

米原子力規制委員会(NRC)元委員長のグレゴリー・ヤツコ氏(本人提供)
米原子力規制委員会(NRC)元委員長のグレゴリー・ヤツコ氏(本人提供)

すべての面でミスあった…米原子力規制委元委員長 グレゴリー・ヤツコ氏

 東京電力福島第一原発事故を、海外の規制当局はどう受け止めたのか。発生時に米原子力規制委員会(NRC)の委員長だったグレゴリー・ヤツコ氏は当時を振り返り、情報共有の重要性を指摘した。

   ◇

 東日本大震災が起きた時、米国は早朝でワシントンの自宅にいた。NRCから連絡を受け、すぐにオフィスに行ったが、当時は津波が米西海岸の原発に影響するかが焦点だった。その後、時間の経過とともに状況が明らかになり、12日に起きた1号機の水素爆発で状況が管理不能な状態になっていることが分かった。

 東電は原子炉に水を運ぼうと奔走したが、うまくいかなかった。政府も正しく指導できなかった。すべての面でミスがあった。大事故の初期段階は何をすべきか把握しにくく、間違いを犯す。正しい選択は困難だ。

 我々も「4号機で使用済み核燃料貯蔵プールの水がなくなった」と誤って判断した。テレビ報道に頼る部分もあり、情報が足りないと不満を抱く米政府関係者は多かった。状況が明らかになるにつれて、日本の対応は格段に改善された。

 事故後に設置された日本の原子力規制委員会は独立性が高く、日本の重大事故への対処能力は高くなった。だが、あらゆる事故を防げるわけではないことを念頭に置き、政策を選択する必要がある。

 事故から学ぶべきことは多い。私の関心は燃料の状態だ。どう溶けて、今はどこにあるのか。それを知ることで事故時の原子炉の挙動を精度よくモデル化できる。事故を理解して深い洞察が得られれば、さらなる対策を講じることもできる。

 Gregory Jaczko 専門は素粒子物理学。米議会の科学フェローなどを経て、2009~12年にNRC委員長。現在は、再生可能エネルギー関連企業の最高経営責任者(CEO)を務める。50歳。

 ※取材・高田真之、天沢正裕、船越翔 デザイン・佐久間友紀

無断転載・複製を禁じます
1865897 0 企画・連載 2021/02/25 05:00:00 2021/03/01 13:14:18 2011年3月14日に、爆発して噴煙を上げる福島第一原発3号機(映像提供/福島中央テレビ)爆発して噴煙を上げる福島第一原発3号機(2011年3月14日)=福島中央テレビ提供 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210225-OYT1I50016-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)