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津波含まず「1万人レベルの死者想定」…報告に首相衝撃、政府の初動混乱[記憶]<5>

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大きな揺れに襲われた参院決算委員会(2011年3月11日)
大きな揺れに襲われた参院決算委員会(2011年3月11日)

 2011年3月11日、菅直人首相は参院決算委員会で、自らの外国人献金問題について厳しい追及を受けていた。午後2時46分、天井からつり下げられたシャンデリアが大きく揺れ、委員会室は騒然となった。

 「今までに経験したことがない揺れだ。被害はどの程度だろうか」。菅は今後の対応を思い巡らせた。

 4分後、委員会は休憩に入り、菅は首相官邸地下の危機管理センターに直行した。センターでは伊藤哲朗内閣危機管理監や各省庁の緊急参集チームが情報収集に当たっていた。菅より前に到着した枝野幸男官房長官は「1万人レベルの死者が想定されています」と伝えられた。「津波は含むのか?」と聞き返すと、「含みません」との答えに衝撃を受けた。

 かつてない大災害の初動に当たった政府だったが、この時点でまだ原発事故は起きていなかった。(敬称略、肩書は当時)

情報求めて 視察強行

 2011年3月11日の東日本大震災による津波は、福島県の東京電力福島第一原子力発電所をおそい、未曽有の原発事故につながった。次々と起こる想定外の事態に、政府の初動は混乱した。(敬称略、肩書は当時)

 地震発生から約50分後、津波によって福島第一原発の1~4号機は全交流電源喪失に陥った。

 「核燃料が冷却できず、炉心溶融(メルトダウン)につながる」。東京工業大出身で、原発の仕組みに知見があったかん直人首相は、報告を聞いて背筋が凍った。

 官邸は、原発の格納容器から蒸気を強制的に排出し、圧力を下げる「ベント」を急ぐとの連絡を東電から受けた。しかし、いくら待ってもベントを行ったとの報告が上がってこない。原子力安全・保安院の説明も要領を得ず、菅のいら立ちは募った。

 このため、菅は、首相官邸執務室などに関係者を直接呼び入れ、状況把握に動いた。しかし、その情報は司令塔となる危機管理センターにほとんど伝わらず、初動が乱れる一因となった。

 翌12日早朝、菅はヘリコプターで福島第一原発に向かった。枝野幸男官房長官は「やめた方がいい。政治的にたたかれる」と強くいさめたが、菅は押し切った。

 免震重要棟では、徹夜疲れの作業員らが床に横たわり、戦場のような光景が広がっていた。菅は会議室で吉田昌郎所長らと向き合うと、「何でベントができないんだ」と声を荒らげた。時間がかかるとの説明に菅は納得できなかったが、「最後は決死隊を作ってでもやります」という吉田の言葉に矛を収めた。

 国会事故調査委員会の報告書(12年7月)は首相の視察をこう指摘した。

 「現場の士気を鼓舞したというより、自己のいら立ちをぶつけることで、作業に当たる現場にプレッシャーを与えた可能性もある」

 ベントは行われたものの、1号機の建屋は12日午後、水素爆発を起こした。14日には3号機の建屋も同様の爆発で大破した。

 「東電が福島第一原発から撤退したいと言っている」

 15日未明、菅は官邸執務室で枝野や海江田万里経済産業相らからこの話を伝えられると、「撤退なんてありえない」と語気を強めた。菅の脳裏には、小松左京の小説「日本沈没」がイメージとしてよぎった。

 明け方、菅は東電の清水正孝社長を官邸に呼び、撤退しない意向を確認。政府と東電の統合本部を作るために、東京・内幸町の東電本店に足を運び、幹部らを前に「日本が成立しなくなる。撤退はありえない」とまくし立てた。

 撤退の申し出については、官邸側と東電の認識が食い違っている。東電は「作業に直接関係ない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要になるため検討したいとの趣旨で、全面撤退を申し出たことはない」と説明する。

 15日に4号機の建屋が水素爆発し、事態は緊迫の度を増した。目下の懸案は3号機と4号機の燃料プールへの注水だった。ここには使用済み核燃料が保管されており、干上がると大量の放射性物質が放出されることになる。陸上自衛隊ヘリによる放水が17日に実施されたほか、生コン圧送機などによる放水も成功し、当面の危機を脱することができた。菅は「本当に紙一重だった」と、当時を思い起こす。

極秘の最悪シナリオ

 危機が落ち着きつつあった20日頃、菅は細野豪志首相補佐官から「最悪を想定したアプローチが必要だ」と進言され、内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長に報告書作成を依頼した。これが25日に提出された「福島第一原発の不測事態シナリオの素描」、いわゆる「最悪のシナリオ」だ。

 その内容は衝撃的だった。4号機の使用済み核燃料プール冷却が不可能となり、大量の放射性物質が放出。原発から半径170キロ圏内が「強制移転」、首都圏を含む同250キロ圏内が「任意移転」の対象となる――。

 近藤からは「可能性は低い」と説明されたが、国民の動揺を懸念し、共有は一部の政権幹部にとどめた。

 シナリオを想定した動きは水面下で進んだ。その一つが、26日に任命された馬淵澄夫首相補佐官が指揮をとった「スラリー計画」だ。

 スラリーとは砂と水を混ぜた流動体のことで、これを使い、爆発後に原子炉を封じ込める計画の準備が福島第二原発で秘密裏に行われた。スラリーを運ぶ配管は1キロ超。遠隔操作の重機も用意したが、屋外での作業要員は、失敗すれば高い放射線量にさらされる危険と隣り合わせの計画だった。準備が整ったのは5月16日。幸いにも計画が実施されることはなかった。

     ◇

 4月に入ると、復興に向けた動きが始まった。

 5日夜、五百旗頭いおきべ真・防衛大学校長の携帯電話に菅から着信があった。首相の諮問機関となる復興構想会議の議長の打診だった。

 大学教授や宮城、岩手、福島の被災3県の知事ら計15人で構成された会議は、14日の初会合から大荒れとなった。五百旗頭は、政府から原発事故を議題から外すよう要請されていたが、異論が噴出した。「福島を排除するような会議なんかやめてしまえ」。涙を流しながら訴える委員もいたが、五百旗頭は「全体の復興から福島を切り捨てることはない」と理解を求めた。

 会議では復興の財源となる「震災復興税」などでも激論が交わされたが、6月25日、復興構想7原則を掲げた最終報告書を答申した。

 五百旗頭はこう振り返る。

 「トンネルの先に出口の光が少しでも見えたら、人は頑張って歩ける。その光を示すことができたのではないか」

民主内で「菅降ろし」

 震災直前まで、菅政権は外国人献金問題で野党・自民党などの厳しい追及を受けていたが、震災発生で政治休戦となった。

 こうした中、菅は3月19日、自民党の谷垣禎一総裁に直接、電話をかけた。

 「国の危機に対して入閣して責任を分かち合ってほしい」

 政策の話がないままの「大連立」の要請は、谷垣には唐突に映り、これを断った。

 4月の統一地方選で与党が敗北すると、民主党内で、小沢一郎元代表のグループを中心とした「菅降ろし」の動きが本格化した。前年の代表選を戦った菅と小沢の確執はくすぶっており、震災1か月でその不満が噴き出した。谷垣は「与党の体をなしていない。内閣不信任決議案を突きつけるしかない」と腹を決め、6月1日に自民党など野党3党で不信任案提出に踏み切った。民主党内の造反を見据えた動きで、可決が視野に入っていた。

 だが、翌2日の採決直前に事態は急転した。

 菅は、民主党を共に創設した鳩山由紀夫前首相と会い、「一定のメドがついた段階で辞める」と約束した。菅が党代議士会で早期退陣を示唆したことで、民主党の不信任案賛成は2人にとどまり、大差で否決された。

取材・石川有希子、依田和彩、中山潤 デザイン・吉田均

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1868848 0 企画・連載 2021/02/26 05:00:00 2021/03/02 09:49:33 東日本大震災 大きな揺れにおそわれた参院決算委員会(中央は菅直人首相)。参院決算委員会に出席中の菅首相や閣僚が、大きく揺れる天井のシャンデリアを不安そうに見つめる。国会で。2011年3月11日、午後2時49分撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210226-OYT1I50012-T.jpg?type=thumbnail

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