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園児を親元へ、「その後」は誰も考えていなかった…引き渡し直後に津波[記憶]<6>

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大槌町の中心部を襲う津波。煙のように町に迫った=大槌町提供
大槌町の中心部を襲う津波。煙のように町に迫った=大槌町提供

 岩手県大槌町の大槌保育園(現おおつちこども園)の園長、八木沢弓美子さん(55)は園児108人を連れて、約150メートル先のコンビニエンスストア駐車場へ急いだ。2011年3月11日、大きな揺れの後だった。

 駐車場は、地震が起きた時の避難先で、園児を引き渡す場所になっていた。前の国道では、車の渋滞が始まり、脇に止まった車から、園児の親たちが降りてきた。

 八木沢さんのそばで泣きべそをかいていた5歳の女の子は、母親へ駆け寄り、「バイバーイ」と手を振った。八木沢さんは町中心部の高台へ向かうという母親の車を見送った。

 引き渡して安心したのはつかの間だった。「津波だ!」の声が聞こえた。21人の保育士らは園児を抱え、裏山を登った。山から見えた町は黒い水にのまれ、火に包まれた。

 八木沢さんが衝撃の事実を知ったのは数日後。引き渡した園児9人が津波にのまれていた。

親子で犠牲 園長の無念

 岩手県大槌町の大槌保育園(現おおつちこども園)では、保護者に引き渡した園児9人が津波の犠牲になった。園は抜き打ちの避難訓練を行うなどし、保育士らの防災意識を高めてきた。しかし、避難した後のことを誰も想定していなかった。園児の命を守ることを前提とした引き渡しは、死角になっていた。

訓練通りに避難誘導

 激震が襲った時、園には0~6歳の108人がいた。卒園文集を作っていた年長組以外は、昼寝から起きたばかり。当時副園長だった八木沢弓美子さん(55)(現園長)が「逃げるよ」と声をかけ、園舎を回ると、園児らは防災ずきんをかぶり、庭に出ようとしていた。ほかの保育士ら20人は歩けない乳児を抱きかかえた。

 園では、国の基準で義務づけられている月1回の避難訓練とは別に、「シークレット訓練」を行っていた。いつ実施するのか、保育士にも知らせない。

 初回は震災2か月前。昼寝の時間に非常ベルを鳴らすと、保育士も園児もパニックになった。その反省から各保育士が担当する園児を決めた。1か月後に行った給食中の訓練はうまくいった。

 その経験もあって、地震後、避難場所のコンビニエンスストア駐車場へ向かう保育士たちの動きはスムーズだった。訓練で「おんぶして」とだだをこねていた子も、地震に驚き泣いていた子も、黙って保育士についてきた。

駐車場で引き渡し

園児たちが一時避難したコンビニ周辺にも、がれきが押し寄せた(2011年3月12日)=大槌町提供
園児たちが一時避難したコンビニ周辺にも、がれきが押し寄せた(2011年3月12日)=大槌町提供

 駐車場には、園児らの到着前に、保護者が集まっていた。保育士は手分けして、園児を引き渡した。

 《この時、10キロ離れた釜石港には、津波が押し寄せていた》

 八木沢さんは同僚と携帯電話のワンセグで、釜石港の映像を見ていた。駐車場は、園より3メートル高い海抜7メートル。津波の被害想定区域外で「大丈夫」と思っていた。そばには、ピンク色のパジャマに赤いジャンパーを羽織った鬼原たまきちゃん(当時5歳)がいた。「怖いよ」と、八木沢さんの左脚にしがみついていた。

 「ここにいた」。しばらくして、母啓子さん(同29歳)がやって来た。環ちゃんは笑顔を取り戻した。軽乗用車には、小学生の兄と姉。卒園生の2人は八木沢さんにほほ笑んできた。

 「(町中心部にある高台の)城山公園に避難しようかな」という啓子さんに、「そこなら大丈夫ね。気をつけて」と見送った。コンビニ前の国道では、釜石方面の上り坂は車が連なっていたが、大槌の中心部方面の反対車線は流れていた。

 《町中心部では、城山へ向かう車の渋滞が起きていた》

 八木沢さんが海から迫る煙を見たのは、環ちゃん家族を見送った後だ。

 引き渡しをしていない園児40人を連れて、釜石方向へ国道を上がった。「ゴーッ」という音とともに、鉄道の橋脚から水が噴き出すように迫り、家の屋根が流れてきた。

 「山に上がるよ!」。八木沢さんのかけ声で、保育士は園児をおぶったり、抱きかかえたりした。斜面に道はない。伐採された木の切り株をつかみ登った。

 数メートル上がった斜面で、園児を囲んで座った。園舎もコンビニも濁流につかっていた。日が落ち、雪が降るなか、大槌の街を炎が包み、火柱が上がるのが見えた。

 《町中心部の車の列は、津波にのまれていた》

 八木沢さんは園児を連れて避難できたことにほっとしていた。引き渡した子も「親元なら安心」と思っていた。やがて、救急車や消防車が救助にやってきた。

焼けた車「ごめんね…」

 防災ずきんをかぶった小さな子供の遺体がある――。八木沢さんが一報を受けたのは震災の4日後だった。遺体安置所で、ブルーシートにくるまれた小さな遺体が、親元に返した園児の一人だと確認して、何が起きたのか初めてわかった。

 5月上旬には、焼け焦げた軽乗用車の中から環ちゃんの母啓子さんと兄、姉の遺体が見つかった。環ちゃんは見つかっていなかったが、そばにピンク色のパジャマの切れ端があった。

 八木沢さんは車が見つかった場所に駆けつけ、捜索を見守っていると、小さな骨が出てきた。拳を握った状態の右手。両手で包むと、土から掘り返されたばかりで温かかった。「どれだけ怖かっただろうか。ごめんね」。心の中で何度も謝った。見つかったのは右手だけだったが、DNA鑑定で環ちゃんとわかった。

 引き渡した園児のうち、犠牲者は環ちゃんを含め9人に上る。うち3人はいまも行方がわからない。「引き渡し後を考えていれば」「町の渋滞に気づいていれば」。保育士をやめようと何度も思った。

 半年後、環ちゃんと仲良しだった女の子が「先生、(環ちゃんに)帰んないでって言えばよかったじゃん」と泣き叫んだ。「そう言えばよかったよね」と一緒に泣いた。園内に貼られた犠牲になった子の写真に、花やおやつを供える園児をみて、「子供なりに乗り越えようとしている。私も前を向かないと」と自らに言い聞かせた。

 園は震災後、引き渡しをしないことにした。津波警報が発表されたら、保育士の車に分乗し、内陸の福祉施設へ避難する。警報が解除されるまで返さない。

 「9人の犠牲をむだにしてはいけない」。八木沢さんの左脚には、環ちゃんがしがみついた、小さな手の感触が今も残っている。

対応ルール化「落とし穴」も

 宮城県石巻市でも、引き渡し後とみられる保育園児17人が犠牲になっている。

 文部科学省は引き渡しについて「立地条件や地域の事情が異なる」として、指針などを示していない。だが、震災後、幼稚園や学校を対象にしたマニュアル作成の手引に、引き渡しに関する項目を設け、状況に応じて「保護者とともに学校にとどまる対応も必要」と明記した。

 一方、引き渡しの手順やルールを決める動きは広がっている。文科省によると、2018年度時点で、小学校の95%、幼稚園の87%がルールを策定していた。11年度と比較すると、小学校は12ポイント、幼稚園は14ポイント上昇した。

 避難訓練の一環で引き渡しの訓練を行っている場合もあるが、義務づけられている避難訓練は、保育園が月1回、幼稚園が年2回で、所管法令によって頻度が異なるという課題もある。

 慶応大の大木聖子准教授(地震学)は、引き渡しを前提にしたルールに警鐘を鳴らす。「余震が続く中、命の危険があっても親は迎えに行くのか。親が迎えに行けない場合はどうするのか。『落とし穴』はないのか、と親も問題意識を持つべきだ」

 取材・押田健太、宮下悠樹 デザイン・柳平彩乃

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使い方
1871844 0 企画・連載 2021/02/27 05:00:00 2021/03/03 12:06:27 町中心部を襲う津波。土煙が上がりもやのようになった。(大槌町提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210227-OYT1I50024-T.jpg?type=thumbnail

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