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のみ込まれた海辺の病院…入院患者40人、1人も助からず[記憶]<7>最終回

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 リアス式海岸の小さな入り江にあった宮城県石巻市の市立雄勝病院は、2005年に同市と合併した旧雄勝町の住民が主な利用者だった。本館と新館がL字形につながり、1、2階は外来フロア。3階の病室からは、穏やかな雄勝湾が一望できた。

震災前の雄勝病院=宮城県提供
震災前の雄勝病院=宮城県提供

 あの日、3階の病室には40人の入院患者がいた。医師や看護師、市職員を含む事務職ら30人が忙しくしていた。午後2時46分、震度6強の地震が発生し、直後に発令された大津波警報の予想高さは6メートル。3階なら安全だ。駐車場の車を高台に移動した方がいいかな。そんな雰囲気がすぐに一変した。

 医師や看護師らは入院患者を屋上に上げようとしたが、到達した津波は16メートルを超え、建物ごとのみ込んだ。医師、看護師、職員らで生き残ったのはわずか6人。入院患者40人は1人も助からなかった。

自分の命か患者の命か

 入院患者40人の多くは寝たきりで、全員避難が不可能なことは明白だった。医師、看護師らを含め、64人が犠牲になった宮城県石巻市の市立雄勝病院。事務職の男性(55)は患者を助けようとしたが、自身も津波にのまれ、翌朝に救助されるまで、運良く乗り込んだボートで海上を漂流した。「どうしようもなかった。どうすれば良かったのか……」。あの日、助かった関係者が重い口を開いた。

屋上移送直後に津波

 男性職員は地震発生時、本館1階の事務室にいた。大津波警報が発令されたが、実際に津波が来るか、どこか半信半疑でいた。その2日前にも地震があり、石巻には約50センチの津波が到達したが、海面から高さ5・9メートルの防潮堤があるため、「津波が来た」という認識はなかった。まさか3階や屋上にまで達するとは想像もしていなかった。

 念のため、海抜3メートルにある病院の駐車場から、少し離れた高台の総合支所に車を移動させた。歩いて病院へ戻る途中、側溝から「ゴボゴボ」という音が聞こえた。「地震で水道管が破裂したのかな」。その数秒後、病院前の防潮堤を津波が乗り越えるのが見えた。

 急いで病院に戻り、2階に人がいないかどうか確認して3階へ。このとき、既に1階は水没し、2階も浸水し始めていた。

 3階で合流した薬剤科部長(当時57歳)ら4人で、患者1人を広げたシーツにのせ、屋上へ避難させることになった。火災を想定した避難訓練で、シーツで包んだ患者を引きずったことはあったが、持ち上げたのはこの時が初めて。「4人でやっと」というほどの重さで、患者は「どこに連れて行かれんだべ」と不安げだった。

 何とか屋上に上がった頃には3階も浸水し、屋上まで達するのは時間の問題だった。なすすべなく、シーツごと患者を屋上に下ろしたとき、薬剤科部長が「ごめんね、ごめんね……」とつぶやくのが聞こえた。海水が屋上に流れ込み、腰の高さになったとき、男性職員は建物にしがみついたが、結局、海中に放り出された。

           ◎

 女性看護助手(40)は、新館3階の病室で入院患者の手足浴を介助していた。大きな揺れが収まると、他の看護師と「すごかったね」と話しながら、床にこぼれた水を拭いたり、ベッドやテレビを元の位置に戻したりした。

 しばらくして、窓から外を見ると、防潮堤から波があふれ、駐車場では車同士がぶつかりながら流されていくのが見えた。「屋上に上がれ」。副院長(当時58歳)の叫ぶ声が聞こえた。

 屋上からは、本館3階の病室の窓越しにベッドで寝ている患者の姿が見えたが、それを海水が遮った。海面が屋上を越えると、目の前に流れてきた民家の屋根に向かって泳いだ。

逃げた負い目 今も

雄勝病院の慰霊碑
雄勝病院の慰霊碑

 派遣の女性事務員(47)は、本館1階の事務室にいた。どうしていいか戸惑っていると、先輩の女性市職員(当時40歳)から「それぞれ逃げてください」と言われ、上履きのまま外に出た。

 近くで工事をしていた人が「山へ逃げろ」と叫んでいた。病院を振り返らず、無我夢中で裏山を駆け上った。夜になって、病院が見えるところまで下りてくると、真っ黒な水が車を浮かべ、渦を巻いていた。避難していた近隣の人から「屋上で先生たちが津波にのまれるのを見た。全滅だろう」と聞かされた。

 「手伝って」とか「上に行こう」と言われていたら従っていたと思う。今も「患者を助けずに自分は逃げてしまった」という負い目を感じているが、「『それぞれ逃げて』という、あの一言が私の生死を分けた」。

           ◎

 雄勝病院の跡地には、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑だけが立っている。50~100歳代の患者40人のうち、35人は3階で遺体として見つかり、3人は今も行方不明のままだ。当時、病院にいた医師、看護師、職員30人のうち、生き残ったのは6人だけだった。

 ヘリで救助された男性職員は今もこう自問する。

 「雄勝病院のように海が目の前にある病院では、津波から逃げようがない。患者の人数分のストレッチャー付きの車を用意するというのも現実的ではない。でも、患者を放って逃げるわけにはいかないという思いは、今も変わらない」

安全と利便 立地選択苦心

 雄勝病院の医師や看護師、職員らが助かるためには、入院患者の避難を諦め、裏山に逃げるしか方法はなかった。

 「医療従事者が患者を助けようとして、それでも自分の身が危険だという時は、自分の命を守る行動を取らなくてはいけない。医療従事者なら全員知っていること」。日本災害看護学会の酒井明子理事長は「災害時の行動は状況に左右される」とした上で、そう指摘する。

 しかし、実際の場面でそうは割り切れない。元自衛官で岩手県の防災危機管理監も務めた岩手大の越野修三客員教授(防災危機管理)は、「もともと患者の生命を救うことを第一としてきた医療倫理からすると、自力で避難できない患者たちを置いて逃げるという決断は難しい」と指摘する。

 医療従事者らが自分の命か、災害弱者である患者の命かという選択を迫られないためには、結局、安全な場所に病院を建てるほかない。国立保健医療科学院の小林健一上席主任研究官(病院建築)は「どんなに対策を施したとしても、建物が津波に耐えられないことはある。津波対策は、敷地選びしかない」と断言する。

 南海トラフ地震の予測で「10メートル級の津波が2階に達し、電源が喪失する」とされた徳島県牟岐町の県立海部病院は、2017年に浸水区域外の海抜15・6メートルの場所に新病院を建築した。県病院局の担当者は「東日本大震災で津波の高さの認識が変わった」と話す。和歌山県那智勝浦町の町立温泉病院も、18年に浸水区域外の海抜9・6メートルの高台に病院を移転している。

 ただ、こうした対応と逆行する動きもある。内陸部にある静岡市清水区の桜ヶ丘病院は昨年末、老朽化に伴う移転先を、高さ2~3メートルの津波が想定される海沿いの駅前に決定した。

 同院を運営する独立行政法人「地域医療機能推進機構」の担当者は、「移転先は、利便性や敷地面積などを総合的に考えて決めた。浸水区域外を選ぶのに越したことはないが、人が来ない場所に病院は建てられない」と話し、安全性だけを考慮するわけにはいかない難しさを説明している。

 取材・松下聖 デザイン・沢田彩月

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使い方
1873406 0 企画・連載 2021/02/28 05:00:00 2021/03/05 12:57:39 雄勝病院の慰霊碑に手を合わせる牧野さん(3月26日、石巻市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210227-OYT1I50073-T.jpg?type=thumbnail

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