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原発事故と避難、遠い故郷…動画でたどる東日本大震災10年(中) 

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 東日本大震災は私たちの生活に様々な影響を与えています。甚大な被害につながった津波に加え、国内初の原発の炉心が溶ける事故が起きたためです。東京電力福島第一原発からは、大量の放射性物質が外部に放出されました。この原発が立地する大熊、双葉両町だけでなく、福島県内には今も避難指示区域が残り、多くの人が帰還できていません。読売新聞オンラインの動画コーナー「東日本大震災」などから、記者が撮影した映像に、防衛省、東京消防庁からの提供映像をまじえて、原発事故後を紹介します。

(見出しや写真をクリックしてください。動画のテロップは公開当時のものです。紹介する動画に関連した映像も視聴できるよう、リンクに入れてあります)

※ご視聴の前に 動画には、津波や破損した原発施設などの光景が含まれています。視聴すると、ストレスを感じる可能性があります。心配な方は視聴を控えてください。

原子炉建屋で水素爆発、懸命の注水

 東京電力福島第一原子力発電所1~4号機は太平洋に面した海抜10メートルの敷地に立つ。最大15・5メートルの津波が敷地全体を覆うように襲ったとされる。1~4号機は交流電源をすべて喪失して冷却機能がなくなった。やがて炉心損傷や水素爆発が発生して原子炉建屋が壊れ、放射性物質が放出された。事故直後の課題は、1~3号機の炉心溶融に加えて、3号機と4号機の燃料プールへの注水。ここには使用済み核燃料が保管されており、干上がると、大量の放射性物質の放出につながる状況だった。

3号機、水蒸気が激しく噴出…陸自ヘリ撮影

 防衛省は2011年3月27日、陸上自衛隊のヘリが同日午前に福島第一原発を上空から撮影したビデオ映像を公開した。3号機では、これまで水蒸気が上がっていた使用済み核燃料貯蔵プールだけでなく、建屋内の別の場所からも水蒸気が激しく噴き出していた。  

緊迫の放水へ…東京消防庁が映像公開

 東京消防庁は2011年3月23日、福島第一原発3号機に緊急消防援助隊が放水した際に撮影した約10分間の映像を報道機関に提供した。映像には、18日午後11時10分頃から19日未明にかけて、隊員らが、同原発の正門前で作戦会議を開いてから真っ暗な敷地内に入り、放水を始めるまでの緊迫した様子などが収められている。「この地点、(放射線の)線量率は高くありません」「活動時間、余裕あります」。防護服で活動する隊員たちの緊張した無線交信が含まれていた。3号機への放水が始まったのは19日午前0時30分過ぎ。1分当たり3トンの大量の海水が使用済み核燃料の貯蔵プールめがけて送水された。

少しでも遠くへ 搬送と集団避難

被曝可能性の被災者を搬送…福島・二本松

 原発事故で被曝(ひばく)した可能性のある双葉厚生病院(双葉町)の患者や医師らが2011年3月13日、自衛隊のヘリコプターで福島県二本松市に搬送され、放射能濃度の測定や徐染などが行われた。同日夕刊は以下のように伝えた。

 (福島第一原発の)半径10キロの地域にはなお80人が取り残されたまま。「病院に閉じこめられ、動けない」と、電話で懸命に訴える人もいるなど、地域の不安は極限まで高まっている。

福島県双葉町、役場ごとさいたま市へ避難

 原発事故で、双葉町は、自治体として唯一、県外に町役場ごと避難した。商店街入り口のアーチには標語<原子力 明るい未来のエネルギー>が取り付けられていた原発立地だったが、事故に直面し、町は「原発から少しでも遠くへ」「役場と町民が一緒に県外に集団避難」と決めた。最初の爆発から1週間後の3月19日、住民約1200人が大型バスなどに分乗して、さいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」に移動した。ただ、アリーナには使用期限があり、住民は同月30日から埼玉県加須市にある旧県立騎西(きさい)高校での集団生活を始めた。東京電力はこの日、記者会見で双葉町にとって重大な発表をした。だが、そのニュースを、高校への移動、たどりついた旧校舎内での部屋割りなどに追われ、知ることができなかった町民も少なくなかった。

東電会長が陳謝、1~4号機廃炉を明言

 東京電力の勝俣恒久会長は2011年3月30日午後3時から記者会見し、東日本巨大地震で停止している福島第一原発1~4号機を廃炉にする方針を明らかにした。勝俣会長は体調不良で入院した清水正孝社長に代わって会見した。第一原発の1~4号機について「恐らく廃止せざるを得ないと考えている」と廃炉を初めて明言した。5~6号機については言及を避けた。原子炉が安定して、周辺住民が地元に戻れるめどについて、勝俣会長は「最終的な安定には時間がかかる。数週間では厳しいと思う」との見方を示した。周辺の住民に対する補償については、「最大限の補償、おわびをしたいが、全体としては原子力損害賠償法の枠組みを含めて考えていきたい」と述べるにとどまった。今回の原発事故の原因については、「最大限の津波の発生を視野に入れて対応してきたが、こうしたことが起きたことを真摯(しんし)に受け止めて、十分に調査したい」と述べるとともに、「広く社会の皆様にご不安、ご心配をおかけしたことを深くおわびする」と陳謝した。

福島第一原発事故と避難、復興

2011年
3月11日 巨大地震が発生、東北の太平洋沿岸に大津波到達
3月12日 東京電力福島第一原発1号機原子炉建屋で水素爆発。14日には3号機で、15日には4号機で水素爆発
3月30日 東電会長が記者会見で陳謝、1~4号機廃炉を明。集団で避難生活をしている福島県双葉町の住民がさいたまスーパーアリーナから埼玉県加須市の旧県立騎西高校に移動開始

2012年
6月14日 福島県相馬市沖で3種類の魚介類に限った試験操業が始まる
7月5日  国会の事故調査委員会が原発事故を東電や国による「人災」と断定

2014年4月1日 福島県田村市の一部で避難指示解除。同県内で指示解除は初

2015年9月5日 福島県楢葉町で避難指示解除。住民の99%以上が避難した7市町村で初

2017年3月13日 原発事故に伴う汚染土の中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)への搬入開始。地元は14年8月、最長30年の保管期間や県外での最終処分を条件に建設を受け入れた。

2019年
4月10日 福島県大熊町の一部地域の避難指示が解除。福島第一原発立地自治体で初
9月19日 業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人に東京地裁が無罪判決

2020年
3月4日  全町避難が唯一続いていた双葉町の一部で避難指示解除。帰還困難区域で初
3月14日 JR常磐線の富岡-浪江駅間が再開し、9年ぶりに全線復旧
3月31日 福島県沖の全魚介類が水揚げ可能に。原発事故後初めて

復興への長い道のり 新しい「ふるさと」も

 原発事故により、福島県内の11市町村に避難指示区域が設定され、多くの人が避難を余儀なくされた。放射性物質の除染が進んだことなどから順次、避難指示は解除されているが、様々な理由で避難先からなかなか人が戻らないのが実状だ。復興庁や県のまとめでは、福島県から県外への避難者数は今年2月現在、2万8505人。避難先で新たな生活を始めた人もいる。

旧警戒区域ルポ 福島・楢葉町

 2012年10月の福島県楢葉町のルポ。同年8月10日に避難指示解除準備区域に再編され、住民が自由に一時帰宅できるようになったが、ほとんどが「あの日」から手つかずの状態。閉鎖されたままのJR常磐線竜田駅付近で、空間線量計が表示した数値は毎時0.6マイクロシーベルト。警告音が鳴り続けた。目に付くのは、こじ開けられた自動販売機や植物のつるが巻きついた滑り台。近くを走る国道6号は防護服姿の作業員を乗せた車が福島第一原発を目指し、次々と北上していった(2012年10月18日公開)

 楢葉町で避難指示が解除されたのは15年9月で、このルポから3年近くかかった。

[聖火を待つ] 真新しい家並み…福島・大熊

 広範囲が避難指示の対象となっている大熊町では2019年4月、復興の拠点とするために大川原地区の避難指示が解除された。現地では住宅建設が続き、住民が次々と入居する。五輪の聖火リレーは20年3月26日、真新しい家並みが立ち並ぶその住宅地の北側を通る予定だった(2020年3月3日公開)

 かつての町の中心は、JR常磐線大野駅周辺。役場や病院が集中していたが、放射線量が高い。このため、線量が比較的低い大川原地区が復興の拠点に選ばれた。大野駅までは約4キロで、医療機関がない地区だった。

9年ぶり 請戸の競り…福島・浪江

 福島第一原発事故で全町避難を経験した福島県浪江町の請戸(うけど)漁港で2020年4月8日、9年ぶりに競りが復活した。24隻の小型船がヒラメやナメタガレイを次々に水揚げし、朝の魚市場には競り人たちの威勢の良い声が響き渡った。福島第一原発から北に約7キロと「原発から最も近い漁港」の同漁港は、東日本大震災の津波で防波堤が破壊されるなど壊滅的な被害を受けた。操業を再開したのは町の避難指示が一部解除された2017年3月で、19年秋、魚市場を開くための荷さばき施設などが復旧。競りの復活により、北に約40キロ離れた同県相馬市の漁港に水揚げする不便も解消された(2020年4月8日公開)

 原発事故は福島県の漁業に大打撃を与え、県内の漁業者は、安全性のPRなどを目的にした試験操業を続けてきた。20年3月には、福島県沖の全魚介類が原発事故後初めて出荷可能になった。一方、福島第一原発では、大半の放射性物質を除いた「処理水」をタンクで保管しているが、保管は22年秋以降に限界を迎えるという。処理水の海洋放出について、全国漁業協同組合連合会と福島県漁連は20年10月、「風評被害の発生は必至で、絶対反対」とする要請書を国に提出している。

震災7年 つくばで広がれ 踊りの輪(1) 新しいふるさと

 原発事故による避難指示区域は縮小されたが、帰還が難しい人も多い。200キロ離れた避難先の茨城県つくば市に新たな「ふるさと」を見つけた人たちがいる。双葉町から避難した中村希雄(まれお)さん(76)と富美子さん(76)夫妻らは2018年1月末、つくば市で、ふるさとの民謡「相馬流れ山」を披露した。埼玉県加須市の旧県立騎西高校などでの集団避難を経て、つくば市を10か所目の避難先にした。希雄さんは金沢市出身。転勤が多い会社員だったが、富美子さんの実家がある双葉町に家を構え、ふるさとにした。希雄さんは「墓は双葉にあるので、骨はそこに」とことわりながら、「つくばをついのすみかとします」と話す。浪江町から避難した元漁業者、門馬久敏さん(79)は1月末、避難者らでつくる「元気つく場(ば)会」が開いた市民との交流会に参加。相馬地方の民謡「相馬盆唄」に合わせて、筑波大生らと輪になって踊った。望郷の思いを込めて始めた福島の踊り。地元市民も加わり、つくばに新たな踊りの文化が根づきつつある(2018年2月11日公開)

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1890550 0 企画・連載 2021/03/06 14:58:00 2021/03/07 18:53:34 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210301-OYT8I50046-T.jpg?type=thumbnail

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