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語り継ぐ教訓、鎮魂の祈り…動画でたどる東日本大震災10年(下)

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東日本大震災からの10年で、復興が進んだ被災地では、かつての混乱を思い出せないほど整然とした光景に変わった所もあります。ただ、2万2000人以上が地震や津波、避難生活の中で亡くなりました。発災直後の復旧の光景や、その後に続く復興に向けた活動、今も続く鎮魂の祈りを収めた動画を、読売新聞オンラインの動画コーナー「東日本大震災」などから紹介します。

(見出しや写真をクリックしてください。動画のテロップは公開当時のものです。紹介する動画に関連した映像も視聴できるよう、リンクに入れてあります)

ご視聴の前に 動画には、津波や破壊された市街地などの光景が含まれています。視聴すると、ストレスを感じる可能性があります。心配な方は視聴を控えてください。

復旧の歩み 手探り

被災地ルポ 岩手・陸前高田

 2011年3月30日、東京本社写真部の三輪洋子記者が岩手県陸前高田市に入り、被災20日目の様子をルポした。「岩手県一関市から車で陸前高田市へ向かうと、突然、風景が変わった。水位の痕跡に、ここまで津波が来たんだと分かる。中心部は、大きな建物がかろうじて形を残すのみだ。人が暮らしていた街並みが失われたが、新たに仮設住宅が建ち始めた」(2011年4月1日公開)

 市役所、岩手県立高田病院などの建物が残るが、津波で内部は破壊されていた。重機や手作業による復旧作業が淡々と続いた。自衛隊も給水や物資の運搬を行った。県立高田病院は津波で全壊し、職員と患者計22人が犠牲になった。残った職員らが仮設施設で被災地の医療を支え、病院は18年2月、高台に再建された。

被災地の浸水対策、難航…宮城・石巻

 宮城県石巻市では1日2回の満潮時に道路が冠水する。大震災による地盤沈下の影響だ。同市渡波(わたのは)地区では大潮の2011年5月19日、マンホールや側溝から海水があふれて約40センチ浸水した。応急対策として堤防を築き、ポンプで排水する工事が進められているが、浸水を防ぐメドは立っておらず梅雨や台風時期の被害が心配される(2011年5月23日公開)

 15年1月27日朝刊は、大震災で大規模な地盤沈下が起きた宮城、岩手、福島3県の沿岸部で、地盤が一転して隆起していると伝えた。国土地理院が全地球測位システム(GPS)で調べたところ、3県の19か所中12か所で、震災から3年半の間に10センチ以上の隆起を確認。最も大きいのは107センチ地盤沈下した宮城県石巻市の牡鹿半島で、沈下地点から36センチ隆起していた。

「引き波」の脅威

濁る海へ何度でも 不明者の海中捜索…宮城県沖

 大震災から半年を機に、写真部の潜水取材班が、津波に流された行方不明者の捜索が続く、宮城県沖の海中を撮影した。海上保安部の潜水士らが活動する海は、泥や油が視界を遮り、家財道具や車などが散乱していた(2011年9月26日公開)

 これらの日常生活に関連した物は、どのようにして海底に運ばれたのだろうか。津波は、陸に向かってくる「押し波」だけでなく、押し波の前後、海に向かって一気に水が引く「引き波」も恐ろしいことが次の動画から分かる。

激しい引き波、岩手・釜石の海底露出…海保提供

 海上保安庁は2011年4月16日、大震災が起きた3月11日に、釜石海上保安部が撮影した岩手県の釜石港を襲う津波の映像を公開した。映像は、釜石海保の入る釜石港湾合同庁舎から撮影。事務所から職員らが屋上へ逃げる様子や、津波が防潮堤を越えた後、海底が露出するほどの激しい引き波が起こり、岸壁の全体があらわになったり、漂流する貨物船が港湾内を行ったり来たりする様子などが映っていた(2011年4月18日公開)

津波対策 着々と

「再生の歩み」 新校舎 頼れる防災拠点…岩手・釜石

 大震災の被災地では、津波で大きな被害を受けた小中学校の校舎も次々と再建されている。新たな「学び舎(や)」は、子供たちを育む場としての機能のみならず、地域の防災やコミュニティーの拠点施設になるよう工夫しているケースが多い。震災の教訓や地域住民の思いを反映させた形だ。岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区では、市立鵜住居小学校と釜石東中学校の新校舎が再建され、2017年4月、授業が始まった。小中一体の鉄骨校舎で、海から約1・5キロ離れた山の斜面を切り崩して建設した。東日本大震災級の津波でも浸水しないように、海抜15~26メートルの高台にある。両校は震災前、海から数百メートルの場所に別々に立っていた(2017年5月11日公開)

定点撮影で見る復興の軌跡<山田町>

 震災の日、岩手県山田町の市街地では、押し寄せた津波が木造家屋などを破壊、続いてあちこちから火の手が上がった。町は高台などの開発を最小限にし、点在する住宅や商店を駅周辺に集約する計画を打ち出した。土地をかさ上げし、さらに防潮堤で守る。「二重の防御」には「津波による火災を二度と起こさない」という願いも込められている=東京本社写真部撮影 2020年11月12日公開

震災遺構、語り継ぐ教訓

東日本大震災3年 岩手・田老 「学ぶ防災」

 震災前は「万里の長城」と呼ばれていた巨大防潮堤(高さ10メートル、全長2・4キロ)の一部が壊れ、181人が犠牲となった岩手県宮古市田老地区。宮古観光協会の元田久美子さんは震災の教訓を語り継ぐ「学ぶ防災」という活動を行っている。防潮堤の上で田老地区の津波の歴史を語った後、6階建ての4階まで浸水し、大震災の惨状を伝える遺構として保存が決まった「たろう観光ホテル」で押し寄せる津波の映像を見せて防災教育を行っている(2014年3月10日公開)

 田老地区に押し寄せた津波の様子は「10メートル防潮堤でも岩手・宮古を守れず…海自提供」に収録されている。大震災で破損し、津波や揺れの脅威を伝えるために各地に残されている「震災遺構」のうち、民間所有の建物が次々と姿を消している。所有者の金銭的負担が重く、自治体も公金投入に二の足を踏むケースが多いからだ。そのような流れの中でも、岩手県陸前高田市では「米沢商会ビル」が民間の震災遺構として存続している。

「震災6年」 復興の中の遺構…宮城県南三陸町

 住民を守る地上約9メートルの八幡川堤防と仮置きされた地盤かさ上げ用の土砂の山の間に、宮城県南三陸町の防災対策庁舎は残る。震災で職員ら43人が犠牲になった庁舎は、さび落としや鉄骨の塗り直しなど3か月の補修を終え、当時に近い姿に戻った。庁舎はかつての町中心部の高さを物語る数少ない遺構。2031年までは県が保有するが、その後の保存は地元の意見が分かれている(2017年3月2日公開)

 津波で町長を含む職員39人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎は、震災遺構として保存を求める声もあったが、19年に解体された。18年6月に内部が報道陣に初めて公開された様子は「解体される旧役場庁舎を公開…岩手・大槌町」で視聴できる。

別れ、誓い、そして祈り

津波で校舎被災、閉校 卒業生ら校歌録音…宮城・山元

 津波で被災して閉校した宮城県山元町の旧中浜小学校の卒業生ら約80人が2019年12月1日、町の交流センターで校歌を合唱、録音した。震災時、海から約400メートルに立地する同小に、高さ約10メートルの津波が押し寄せた。児童や教職員ら90人は屋上に避難し、全員無事だった。同小は震災から2年後の13年、近隣の小学校と統合し閉校となった。児童や教職員の命を守った旧校舎は震災遺構として整備され、20年9月26日から一般公開されている。町に押し寄せた津波の様子は「宮城県山元町を襲う大津波…提供動画」に収録されている。

震災7年 月命日の福島・浪江

 大震災による大地震、津波、原発事故の災禍から復興途上の福島県浪江町。2018年5月11日、大震災の「月命日」の町内を点描した。早朝、請戸漁港にカレイやヒラメなどが水揚げされた。漁港がある沿岸部は大震災で震度6強の揺れに見舞われ、続いて高さ15メートル超の津波が押し寄せた。町の南端、海岸近くの堤防に立つと、4キロ余り南にある東京電力福島第一原発の排気筒が見えた。「月命日には行きますよ、必ず」。そう言っていた佐藤一夫さん(76)は午前10時30分頃、避難先のいわき市から請戸郵便局の跡地に着いた。あの日、長男の健一さん(当時41歳)は双葉町の自宅を出て、不在の局長の代わりにここに出向いて働いていた。ふだんは楢葉町内の郵便局に勤め、数時間だけの代理勤務のはずだったが、海に近い局舎は津波に流され、行方不明に。一夫さんは、健一さんや一緒に働いていた女性にかしわ餅などを供え、「2人で食べるんだよ」と呼びかけ、妻のトシ子さん(78)と手を合わせた。一夫さんも郵便局員だった。一夫さんは今後も毎月訪れるつもりだが、「親以外はもう来ない」「(震災の記憶は)風化しているのでは」と、危機感を繰り返し口にした(2018年6月24日公開。「記者が見た復興最前線の町」を改題)

東日本大震災8年 あの人を思う

 津波に襲われた被災地では、降りしきる雨の中、多くの住民らが、家族や知人を亡くした現場などを訪ね、冥福(めいふく)を祈った。その姿を読売新聞写真部員が撮影した(2019年3月11日公開。音声はありません)

 あの日、津波は川を逆流した。児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校は2018年に閉校し、校舎は震災遺構として保存されている。児童23人の遺族が市と県を訴えた民事訴訟では、最高裁が19年10月に市と県の上告を棄却し、学校側の責任を認める判決が確定した。

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1892436 0 企画・連載 2021/03/07 15:02:00 2021/03/07 17:24:14 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210302-OYT8I50049-T.jpg?type=thumbnail

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