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避難指示解除されたら一家は戻るのか、苦悩する家族…[断面]<3>

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 東京電力福島第一原発事故で、福島県のふるさとを追われた最大16万人の避難者。彼らはこの10年で、どう行動したのだろうか。県内で最大規模だった仮設住宅の入居者を追跡した。地元に帰るか、避難先で定住するか――。見えてきたのは、単純な二者択一とは異なる「分散」だった。

7人、5か所で生活

 福島県二本松市の安達運動場に設営された仮設住宅は、役場機能を同市に移した浪江町の避難者を受け入れていた。期間は2011年7月から18年3月末までの6年8か月に及んだ。

 11年12月時点で入居していたのは213世帯。このうち151世帯・351人の消息が取材で確認できた。浪江に戻ったのは29世帯・56人で、全体の2割弱。34%にあたる53世帯・102人は、そのまま二本松市内に居を構えていた。

 他の自治体では、浪江と同じ沿岸部がやや多く16世帯、内陸部は10世帯だった。また、世帯主やその家族計50人は死亡していた。

 事故から10年になり、家庭の事情も複雑化している。高木義孝さん(60)一家は、その典型だろう。

 震災当時、浪江町室原の自宅には、3世代7人が暮らしていた。11年夏に安達運動場仮設住宅に入居。「みんな浪江の人でほっとした」と義孝さんは振り返る。借りた2DKの3部屋は、浪江の2階建て一軒家より手狭だが、事故後に6か所転々とし、車中泊や体育館で雑魚寝したことを考えると、気持ちが落ち着いた。

 しかし入居間もなく、母(85)が体調を崩した。大きな病院で診てもらうため、神奈川県の義孝さんの妹家族が引き取った。

 復興事業が本格化すると、建設会社勤務の義孝さんも、仕事場に近い南相馬市内の仮設住宅に単身移った。父義二さん(87)は浪江町内の災害公営住宅(復興住宅)へ。妻の富美子さん(59)と三つ子の子供は、仮設住宅の閉鎖前に、近くの復興住宅に入居。その後、長女(21)は大学進学で栃木県に引っ越した。7人は現在5か所に分かれて暮らす。

伝統芸能の田植え踊りが披露され、住民たちが周りを囲んだ(2012年2月)=佐藤秀三さん提供
伝統芸能の田植え踊りが披露され、住民たちが周りを囲んだ(2012年2月)=佐藤秀三さん提供

 室原地区は帰還困難区域だが、自宅周辺は、国が優先的に除染などを進める特定復興再生拠点区域(復興拠点)に含まれている。

 避難指示が解除された後、一家は戻るのか。展望は見えていないという。二本松で働く息子たちは「友達もできたし、戻るつもりはない」と言う。義二さんは「一人でも自宅に帰りたい」と言い切る。週に数回、車で自宅の換気や掃除に通う。

 義孝さん夫婦は悩んでいる。父と子供たちのどちらの気持ちも分かるからだ。「もう戻らないだろうと思っていたが、父と一緒に建てた家を解体するのは忍びない」。父の決意に背を押されるように、義孝さんも今年1月、浪江町にある別の復興住宅に引っ越した。

 復興住宅の建設や解除の方針がもっと早ければ、という思いもある。「震災後2、3年くらいで将来が見えていれば、結果も違ったかもしれない」

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1893338 0 企画・連載 2021/03/08 05:00:00 2021/03/08 14:29:19 故郷・請戸地区の田植え踊りのお囃子が聞こえてくると、住民たちが外に出て見守った(佐藤秀三さん提供)(福島県二本松市の安達運動場仮設住宅で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210307-OYT1I50054-T.jpg?type=thumbnail

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