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【苦難を越えて・正倉院宝物の原点】(中)社会変革の契機 克明に

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 奈良時代、国内に広がった天然痘はどれほどの被害をもたらしたのか。

 「死者は人口の25~35%に上っていただろう」

 日本史を研究する米国人のウィリアム・ファリス・米ハワイ大名誉教授(歴史人口学)は1985年発表の論文でそんな推計を明らかにした。

 当時の人口は450万人程度とされ、実に100万~150万人が死亡したことになる。ファリスさんは「増え続けていた人口が一気にしぼんだ。壊滅的だったといえるのでは」と指摘する。

出展される「長門国正税帳(ながとのくにしょうぜいちょう)」。中央に「疫病」の文字がある
出展される「長門国正税帳(ながとのくにしょうぜいちょう)」。中央に「疫病」の文字がある
奈良時代に政治の中心だった平城宮跡の大極殿(復元)。都でも多くの人が犠牲になった(奈良市で)=浜井孝幸撮影
奈良時代に政治の中心だった平城宮跡の大極殿(復元)。都でも多くの人が犠牲になった(奈良市で)=浜井孝幸撮影

 推計の根拠となったのは、正倉院宝物として伝わる古文書・正税帳しょうぜいちょうの記述だ。

 律令制のもと、中央政府が地方財政を把握するため諸国に毎年提出させた帳簿で、今も20件余りが残る。うち「長門国ながとのくに正税帳」など5件は天然痘が大流行した737年の文書。耕作放棄が増え、「備蓄米を増やせない」などと疫病の影響に触れる。

 ファリスさんは、困窮農民に貸し付けられていた稲束の数と、農民の死亡で返済が免除された稲束の数の記載に着目した。返済免除率はそのまま地域の死者の割合に近似すると考え、「死亡率25~35%」をはじき出したという。

 実際この年、高位の貴族は3人に1人が死亡したとの記録がある。「かなり信頼できる数字だろう」とするのは栄原永遠男とわお・大阪市立大名誉教授(日本古代史)。「古代の状況を克明に伝える正倉院文書は、世界でも例のない貴重な資料だ」と話す。

 疫病が社会に与える影響は大きい。奈良時代もまさにそうだった。人口の25%以上が失われた結果、深刻化したのは国土の荒廃だ。史書・続日本紀しょくにほんぎは「田の苗は枯れしぼんでしまった」と記す。

 そのため、疲弊する地域の復興対策として登場したのが、教科書で知られる「墾田永年私財法」である。自ら耕した農地であれば、私有化できることを認める制度だ。

 律令制のもとでは、土地は国家のもので、農民が亡くなれば耕地も国家に返納された。当然、生産意欲は高まらず、疫病の流行によって田畑の荒廃はさらに進んでいた。その状況が劇的に変わった。

 吉川真司・京都大教授(日本古代史)は「これで開発が一気に進み、早期に国力が回復した」と解説する。土地政策の転換は「荘園」と呼ばれる大規模農地を生み、やがて国家のかたちをも変えていく。「疫病が社会変革の大きな契機になることを歴史は物語っている」という。

 新しい文化も生まれたと唱えるのは、上野誠・奈良大教授(万葉文化論)だ。万葉集の歌が変化したとみる。

 〈君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ〉(あなたが行く海辺の宿に霧が立ったなら、それは、都で嘆く私の息だと思ってください)

 けん新羅しらぎ使として大陸に渡る夫を見送った妻の歌で、「永遠の別れを意識した内容。こうした緊張感に満ちた歌が増えた時代でもある」と上野さんは語る。

 コロナ禍に向き合う私たちも今、歴史の転換点にいるのかもしれない。

第72回正倉院展
10月24日~11月9日 奈良国立博物館 特別協力 読売新聞社
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1564696 0 正倉院 2020/10/21 10:00:00 2020/10/23 10:08:31 2020/10/23 10:08:31 平常宮跡に復元された大極殿(13日、奈良市で)=浜井孝幸撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201019-OYT8I50047-T.jpg?type=thumbnail

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