釜石市

 「世界一深い防波堤」(船が通過する開口部の水深が63メートル)としてギネスブックに登録されたばかりの釜石港の防波堤は、ほとんどが津波で崩壊したものの、津波の到達を遅らせるなどの効果があった。市沿岸部の幼稚園、保育園、小中学校では、登校していた子どもたちの多くが無事だった。避難先に集まった児童・生徒が各自の判断でさらに高台に向かうなどして難を逃れたという。

タイムラプス

「震災5年-時の証し-」 孫の形見 ランドセル

津波で亡くなった孫娘・理子ちゃんのランドセルを仮設住宅の玄関に掛ける岩手県釜石市の鈴木堅一さん。再建する自宅には、理子ちゃんの部屋をつくり、「形見」のランドセルを置くつもりだ(※音声はありません)=東京本社写真部 武藤要撮影 2016年3月2日公開

「震災5年-時の証し-」 慣れない団地生活

津波で住宅街が更地になった岩手県釜石市の高台にできた災害公営住宅「県営平田団地」。2014年2月に入居が始まったものの、慣れない団地生活は、被災者同士の交流の面で難しさも見えてきた(音声はありません)=東京本社写真部 武藤要撮影 2016年3月5日公開
データ
岩手県釜石市
震災前後の人口の変化(国勢調査から)
2010年39,574人
2015年速報値36,812人
被害状況(市、県まとめ)
死者数888人
不明者数152人
住家被害(半壊以上)3,656棟
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釜石の災害公営住宅 グッドデザイン賞 コミュニティー醸成に配慮

2015年10月14日掲載

 釜石市上中島町の災害公営住宅「上中島復興住宅2期」(3~8階建ての4棟156戸)が、公益財団法人日本デザイン振興会の今年度の「グッドデザイン賞」を受賞した。

 新日鉄住金(東京)の土地約8200平方メートルに、新日鉄興和不動産(同)が建設し、市が買い取る形で整備された。今年2月に完成した。

 「生活基盤であるだけでなく、入居者が集い、再びつながりをはぐくんでいく場所に」が基本理念。コミュニティーの醸成を促す様々な共有スペースを立体的に配置しているのが特徴だ。

 それぞれの棟をデッキでつなぎ、敷地中央に集会拠点の「生活応援センター」と中庭の「コモンガーデン」がある。語らいや憩いの場になる各階の「コモンテラス」、各戸の仕切りを取り払った幅広の「コモンバルコニー」なども。

 鉄骨造りで「鉄のまち釜石」らしさも演出した。審査では「時間と工法の制約の大きい復興公営住宅の設計でありながら、様々な規模の共有空間を組み込み、住民の生活環境を高める工夫をした」と評価された。

 市復興推進本部の三浦康男・復興住宅整備室長は「市は復興住宅設計のガイドラインで孤立化の防止とコミュニティーへの配慮を示している。受賞は市の狙いが評価されたということでよかった」と話した。

 グッドデザイン賞は、様々な事象の中から「よいデザイン」を選んで顕彰し、暮らしや社会をより豊かにすることを目指すもの。今年度は3658件の応募から1337件が選ばれた。

グッドデザイン賞を受賞した「釜石市上中島復興住宅2期」

市外避難8割 戻らず再建 釜石市住宅調査 戻る予定 80世帯のみ

2015年12月18日掲載

 東日本大震災で被災し、釜石市から市外に避難している世帯のうち、約8割が市外での住宅再建を選択していることがわかった。市が17日の市議会一般質問で答えた。

 市によると、11月末現在で市外に暮らしている634世帯を調べたところ、373世帯はすでに市外で住宅を再建していた。仮設住宅やみなし仮設住宅で生活している254世帯のうち約半数の124世帯も市外で自力再建する予定で、合わせると497世帯になる。市外の公営住宅に入居した人も7世帯いた。

 これに対し、市内で自力再建する予定は34世帯、市内の災害公営住宅への入居内定は46世帯で、釜石に戻る予定は計80世帯にとどまった。

 残りは、40世帯が親族との同居や施設入居を予定し、10世帯が未定だった。

 調査時点で市外にいた人が対象で、市内に自宅を再建して戻っている人は含まれていない。市生活支援室は「生活のために避難先で仕事に就いたという人が多い。未定、予定の人もまだいるので、丁寧に寄り添って再建が確定するまで見守りたい」としている。

亡き友の分まで 決意新た 釜石 親友の写真と出席

2016年1月11日掲載

親友の佐々木さんの写真を持って式に参加した佐々さん

 「成人の日」を前に、県内の多くの自治体で10日、成人式が行われた。11日で発生から4年10か月を迎える東日本大震災の被災地では、「亡くなった友達の分までしっかり生きたい」と新成人たちが決意を新たにした。

 県立釜石高校体育館で行われた釜石市の成人のつどいには、同市鵜住居町の介護士佐々華波さん(20)が、震災で亡くなった佐々木優さん(当時15歳)の写真を持って出席した。

 釜石東中に入学した時からの親友だった。隣の席で、いつも笑顔の女の子だった。同じ高校に進学しようと約束し、一緒に家庭教師について受験勉強に励んだ。

 震災が起きたのは3年の時。佐々さんを含め、学校にいた生徒は山に駆け上がり、全員難を逃れた。体調を崩していた佐々木さんはその日、学校を休んでいた。

 「自宅は高台だから、大丈夫だろうと思っていた」。連絡の取れない日々が続いたが、半月後、佐々木さんは遺体で見つかった。病院に行っていたため、津波に巻き込まれたらしい。

 写真は、笑顔の佐々木さんが赤い晴れ着を着ている。中学時代の顔写真をもとに合成したもので、佐々木さんの両親から託されたという。

 「一緒に成人式を祝いたかった。二十歳になった優はすごくきれいだっただろうし、見たかったな」と佐々さん。「いつも、優のことを忘れない。優に恥ずかしくないよう仕事を頑張って、優の分もしっかり生きる」と決意を語った。