気仙沼市

 日本有数の漁業基地「気仙沼港」を抱く海の町として知られるが、海産物の加工施設や工場、魚市場など沿岸部にあった漁業関連施設のほとんどが津波で流出もしくは浸水。沿岸部の海中に設置したカキやホタテなど養殖漁業の設備のほとんども流されるなど、特に漁業関連で壊滅的な被害を受けた。加えて、津波で破壊された沿岸部の石油タンクから油が流出し、市街地での大火災の原因となった。

タイムラプス

「震災5年-時の証し-」 3階の車 津波の語り部

海岸線から500メートルほどにたたずむ県立気仙沼向洋高校旧校舎(宮城県気仙沼市)。誰もいない教室に割れた窓から冷たい風が通り抜けていた。裂けて垂れ下がったカーテンが揺らぎ静かな時間を重ねている。5年を迎え、学びの校舎の一部は震災遺構として保存されることになった(※音声はありません)=東京本社写真部 加藤学撮影 2016年3月1日公開
データ
宮城県気仙沼市
震災前後の人口の変化(国勢調査から)
2010年73,489人
2015年速報値64,917人
被害状況(市、県まとめ)
死者数1,139人
不明者数220人
住家被害(半壊以上)11,054棟
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働く場 紡ぎ出す 気仙沼発 ニットに誇り

2016年1月6日掲載

宮城県気仙沼市内で開いた教室で編み物の基本を教える梅村マルティナさん=冨田大介撮影

 支援物資を仕分けしていた避難所の女性スタッフの手が止まった。色鮮やかなドイツ製の毛糸と、編み針が詰まった箱があった。

 まだ東日本大震災から1か月の宮城県気仙沼市。「衣服や食料が必要なこの時期に、趣味の道具なんて場違いではないか」。女性はそう思ったが、避難所のお年寄りらは楽しみが出来たことに喜んだ。ならば追加を頼もうと、送り主に電話で連絡を取った。

 京都市在住の梅村マルティナさん(56)は、電話がうれしくて涙が出た。ドイツ出身で、医学を研究しようと1987年に来日し、日本人の夫と息子2人と暮らす。被災者の姿をニュースで見て「つらい気持ちが少しでも紛れてくれれば」と、編み物セットを送っていた。

 「一緒に編みたい」という気持ちを抑えきれず、6月、初めて気仙沼を訪ねた。がれきだらけの街に「働く場」を紡ぎ出すことになるとは、思いもしなかった。

 気仙沼では1262人が死亡、不明。津波で重油タンクが倒れて火災が広がり、市場や水産加工場など女性の職場の多くが失われた。

 マルティナさんは月に1度、気仙沼に通って編み物の手ほどきをした。避難所で漏れる「仕事がない」という言葉に心配が募る一方、編み物が得意な女性が多いことに気付いた。漁網を直したり、海に出る夫の上着を編んだりした経験が家庭で受け継がれている。「彼女たちの技術を生かせば、安心して働ける場所を作れるのではないか」――。

 2012年3月、ニット製品を製造・販売する「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」を市内に設立。住民票も気仙沼に移した。各地の百貨店の催事などで靴下やネックウォーマーが売れるようになり、従業員は3人から9人に増えた。

 津波で自宅と勤務先の水産加工場が全壊し、求人票を見て同社に入った伊藤恵子さん(52)は言う。「自分たちが仕上げた商品が全国に届くのは、やりがいがある。こうした職場があれば若い人も地元に残れる」

「気仙沼ニッティング」の編み手の女性たちと話す御手洗瑞子さん=冨田大介撮影

 同じ気仙沼の、海を見下ろす高台に「気仙沼ニッティング」の店舗はある。手編みのセーターやカーディガンは4種類とも19万~7万円台と、かなり高い。

 社長の御手洗瑞子(たまこ)さん(30)は13年に設立した同社を持続させるため、価格設定にこだわった。被災地発だからと買ってもらえる時期はいずれ終わる。「それでも欲しいと思ってもらえる品質を目指さないといけない」と考えたからだ。

 東京出身で、震災時はヒマラヤ山麓のブータンで産業育成に取り組む「首相フェロー」をしていた。国際協力に携わる夢をかなえた仕事だったが、かつて訪れた町が被災した映像を見て「日本のために働きたい」と、約5か月後に帰国した。

 商品の付加価値を高めるやり方は、インドと中国に挟まれて観光に活路を見いだしたブータンで学んだ。パチンコ店がにぎわいを見せていた被災地に、「誇りを持って頑張れる場所を作りたかった」と話す。

 今では30人以上の編み手を抱え、オーダーメイドの商品は、140人以上が2年以上先の納品を待つ。

 急ピッチで進む復興工事は、マルティナさんには思わぬ試練をもたらした。海に近い工房は、土地のかさ上げで今年中に移転を強いられ、代替地は見つかっていない。催事で気仙沼製だと紹介しても、被災地だと分からない人が増えてきたのも気がかりだ。

 原発事故直後に帰国を考えた時の、小学6年だった長男の言葉を胸に刻んでいる。「ドイツなら安全かもしれないけど、友達を捨てて行っても幸せじゃない」。気仙沼の女性たちとずっと一緒に編み続けるつもりだ。(安田龍郎、門間順平)

大島汽船 大島大橋開通に合わせ旅客航路廃止へ

2015年7月24日掲載

気仙沼市中心部に向かう大島汽船のフェリー

 気仙沼市の大島汽船は、2018年度に予定される気仙沼大島大橋の完成に合わせ、市中心部と離島・大島を結ぶ旅客航路を廃止する。県が建設する橋が開通すると、利用者が大幅に減ることが見込まれるためで、廃止後は観光船を事業の柱にしていく。

 東日本大震災で、大島汽船は所有するフェリーなど7隻全てが被害を受けたが、同業者から船を借り、約20日後には運航を再開した。利用者はピーク時の1991年度には地元住民を中心に104万人に達し、14年度は66万人だった。

 現在、本土と島を25分で結ぶ唯一の交通手段として6隻で1日20往復している。ただ、橋が完成すると、収益の約6割を占める車両輸送業務の需要などが激減することが予想されるという。大島汽船は「社員の再就職先の確保などが廃止後の課題となる。公的支援が受けられないか、県や市に打診している」としている。