南三陸町

 津波は、鉄筋コンクリート3階建ての防災対策庁舎の屋上まで達し、町職員ら43人が犠牲となった。庁舎は、震災から20年後の2031年3月まで宮城県が管理することになった。結婚式などを行う民間施設「高野会館」(一部4階建て)では、300人を超える人が屋上で難を逃れた。所有する地元企業が「被災地の建物が次々と解体されるなか、風化を防ぐために必要」と、自己資金で維持し、公開することを計画している。

データ
宮城県南三陸町
震災前後の人口の変化(国勢調査から)
2010年17,429人
2015年速報値12,375人
被害状況(町、県まとめ)
死者数600人
不明者数212人
住家被害(半壊以上)3,321棟
関連動画

シンボルの蒸気機関車横転のまま 南三陸町

2011年12月5日 

宮城県南三陸町の松原公園に展示されていたC58形蒸気機関車は、津波で約50メートル流され、草むらに横転したままの状態で、震災から9か月を迎える。全長18メートル、総重量70トンは1938年に製造され、74年に引退。78年に気仙沼線全通を記念して公園に展示された=大阪本社写真部 尾崎孝撮影 2011年12月5日公開

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懐かしの味 港町に復活 南三陸「中華タナカ」

2015年11月19日掲載

古里に にぎわいを

中華タナカを再開した渡辺さん

 東日本大震災で被災した港町に懐かしい味が戻ってきている。南三陸町歌津では、中華料理店「中華タナカ」が4年8か月ぶりに再開し、連日にぎわっている。「傷ついた古里ににぎわいを」との思いを込めて腕を振るう。

 中華タナカは今月2日、JR気仙沼線歌津駅そばで再開した。店主の渡辺幸雄さん(60)が津波で流失した店舗近くに再建した店に、暖簾(のれん)を掲げると、昼時には店内の全21席が埋まった。あんがたっぷりかかった甘口の五目焼きそばは相変わらずの人気だ。

 1977年創業の店と自宅を失った渡辺さんは避難所で、支援物資として送られてきた魚や野菜をドラム缶などで調理して、住民を支えた。ただ、店を再建する気にはなれず、町内や登米市などの飲食店を転々としていた。それでも中華鍋をいつでも振れるよう、鉄アレイを使ってのトレーニングは欠かさなかった。

 「おら、おめえのラーメンが食いてえ」「なしてやんねえの」。常連客の声に後押しされての再開。渡辺さんは「かつて部活帰りに来ていた高校生が、親になって子供と一緒に来るような『なじみの店』であり続けたい」と話した。

慰霊、教訓伝える拠点に 南三陸町 復興祈念公園の計画案発表

2015年12月21日掲載

 南三陸町は20日、東日本大震災の津波で被災した旧市街地に整備する復興祈念公園の計画案を発表した。犠牲者を悼み、震災の教訓を伝える拠点として、2018年春の完成を目指す。6ヘクタールの敷地内には防災対策庁舎も含まれる。

 計画案は町民ら23人が参加した説明会で示された。公園は「メモリアルゾーン」と「避難ゾーン」で構成。メモリアルゾーンには同庁舎と向き合う形で慰霊碑が設置され、旧市街地の地図も置かれる。避難ゾーンには高さ20メートルの避難用の山が築かれる。事業費は12億で、大半は復興交付金を充てる。

 説明会で住民からは「山頂に日差しや雨を遮る屋根があった方が良い」との提案があったほか、庁舎解体を望む遺族に配慮して「庁舎を『どうぞ見てください』という形で配置するのはどうなのか」などの意見が出された。佐藤仁町長は「住民の意見を反映させられるか検討していきたい」と話した。

復興祈念公園のイメージ図

南三陸防災庁舎 県に引き渡し

2015年12月23日掲載

 南三陸町は22日、東日本大震災で職員ら43人が犠牲となった防災対策庁舎を県に引き渡した。震災20年後の2031年3月10日まで県が維持管理し、その間に町が保存か解体かの議論を深める。

 庁舎前で行われた引き渡し式で、佐藤仁町長は「庁舎には未来の命を守るために果たす役割があるだろう。時間をかけて町民が議論できる環境を作りたい」と述べた。県震災復興・企画部の大塚大輔部長は「責任を持ってしっかり管理していきたい」と話した。

 今後、損傷具合やさびの発生状況を調べるため、庁舎の周囲には22日午後、高さ1・8メートルのフェンスが設置された。献花台は残されている。

台湾高校生 被災地で民泊 宮城・南三陸 復興支援が縁 町民「恩返し」

2016年1月27日掲載

 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に26日、台湾の高校生72人が訪れた。高台に再建された被災者宅などに「民泊」し、27日まで滞在する。津波で全壊した町内唯一の総合病院の再建費の一部に台湾赤十字社から寄付された22億円が充てられるなど、復興支援が縁で実現した。同町が海外の学生や生徒を民泊で受け入れるのは初めて。

 訪問したのは、日本の高校にあたる「台南第一高級中学」の生徒。民家17軒に分かれて泊まり、27日は、津波で職員ら43人が犠牲になった町防災対策庁舎や、再建された総合病院などを見て回る。

 自宅が全壊し、約1キロ離れた高台に新居を構えた漁業畠山和子さん(65)は、地元の海産物を使った鍋で生徒3人をもてなした。何明霖さん(15)は「家族のように迎えてくれてうれしい。タコの刺し身やワカメを初めて食べたけど、おいしかった」と笑顔で、畠山さんは「ようやく恩返しができた。南三陸を好きになって帰ってもらいたい」と話していた。

畠山さん宅で鍋を囲む台湾の高校生(左から2~4人目)ら=冨田大介撮影