陸前高田市

 市役所が津波で全壊し、一時的に行政機能が停止したほか、避難場所になっていた市民会館が津波にのまれるなど、特に大きな被害を受けた自治体の一つ。死者・行方不明者は県内自治体最多の1800人以上に上る。

 津波の被害を受けた「高田松原」で、約7万本の松が流失する中、たった1本だけ残った「奇跡の一本松」が復興のシンボルとして知られるようになった。

タイムラプス

「震災5年-時の証し-」 「あの日」を伝える赤い看板

ひときは目立つガソリンスタンドの赤い看板が、岩手県陸前高田市の海岸沿いの道路に立つ。東日本大震災の津波が押し寄せた水位「15・1メートル」が、青い矢印とともに記されている。当時のままのへこみや穴も、この高さまで津波が押し寄せた証しだ(音声はありません)=上甲鉄 2016年3月8日公開

「震災5年-時の証し-」取り戻した白い砂浜

岩手県陸前高田市、広田半島の大野海岸。三陸地方では珍しい白砂の海岸がある。5年前、津波は防潮堤を越え住民の命を奪い、海とともにあった人々の暮らしまでも壊した。工事が続く新たな防潮堤の向こう側、すでにがれきは撤去され、砂浜はかつての広さと美しさを取り戻した(音声はありません)=東京本社写真部 上甲鉄撮影 2016年3月9日公開
データ
岩手県陸前高田市
震災前後の人口の変化(国勢調査から)
2010年23,300人
2015年速報値19,757人
被害状況(市、県まとめ)
死者数1,554人
不明者数205人
住家被害(半壊以上)4,044棟
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震災5年 貴方に戻って来てほしい 陸前高田の妻 思い100枚

2016年1月10日掲載

行方不明の夫への思いをカレンダーの裏に書き続ける熊谷幸子さん=三浦邦彦撮影

 「磨(みがく)さん 新年明けました。願いはひとつ 貴方(あなた)が戻ってくることです。元気でなくて良いから戻って来て下さい」

 岩手県陸前高田市の熊谷幸子さん(74)は今年元日の初詣を前に、東日本大震災で行方不明のままの夫磨さん(当時71歳)への思いをカレンダーの裏につづった。震災から間もなく5年。その数は100枚を超えた。

 磨さんを病院まで送って別れ、友人宅を訪問中に激しい揺れに遭った。自宅に戻ると、夫は帰っていなかった。自宅近くでどこかに向かっている姿が目撃されていた。「津波に巻き込まれたのかもしれない」。連日、捜し回っても見つからない。身も心もぼろぼろだった。

 「俺、背中についてっからな」。3か月ほどたった頃、磨さんが耳元でささやいたような気がした。手元にあったカレンダーの裏に声をペンで書き取ると、気持ちが落ち着いた。以来、聞きたいこと、話したいことを書きつづり、仏間の壁に貼り付けている。「自分の大きな思いを書くにはノートじゃ小さすぎるから」

 初めて会った時の印象もつづった。「笑顔の素敵(すてき)な人と思いました」。金婚式を迎えた昨年11月には、水産会社勤めだった夫の得意料理、サンマのすり身汁をこしらえて祝った。「今日は文化の日 そして結婚記念日です(50年目)」

 今でも死亡届を出せないでいる。周囲は「そろそろけじめを」と慰めるが、東京にいる2人の子供たちは「お母さんの気持ちを優先して」と優しい。熊谷さんは「私の中ではまだ区切りはついていない。死亡届を出せば、そばから本当にいなくなってしまいそうで」と声を震わせた。

陸前高田 ふるさと納税1億突破 再開5か月 お礼品目増やし寄付急増

2015年12月3日掲載

ふるさと納税のお礼品として人気のカキ(上)とイクラ(下)(陸前高田市観光物産協会提供)

 陸前高田市は2日、東日本大震災で中断し、今年7月に受け付けを再開したふるさと納税の寄付額が、11月末までの5か月間で約1億1500万円(9985件)に達したと発表した。

 ふるさと納税の受け付けは2008年に始めたが、震災で中断。受け付けの態勢が整ってきたため、「陸前高田がんばっぺし応援寄付金」の名称で再開した。寄付額(5000円以上)に応じて、お礼品を送っている。

 7~10月は、月1000万円ほどの寄付だった。しかし、11月にお礼品を76品目から115品目に増やすと、11月だけで約6300万円(約5800件)の寄付があり、今年度の目標の1億円を早くも突破した。

 特産の「広田湾産カキ」や「米崎りんご」、被災した酒造会社やしょうゆ会社が協力して作った味付きイクラなど、新たにお礼品に加えた旬の品が人気という。

 お礼品の梱包(こんぽう)や発送は、福祉作業所などに委託し、障害者の就労支援を図っている。戸羽太市長は「当初の見込みよりもたくさんの人に寄付してもらった。貴重な財源として、障害者の雇用を増やしていくことなどを考えたい」と話している。