新幹線の半世紀

古都に歓声こだまする

 東海道新幹線が生まれてから半世紀。車窓からの景色も様変わりする中、古都・京都の景観が変わらないのは東海道新幹線のおかげかもしれない・・。建築が専門の立命館大名誉教授、山崎正史さん(67)は、そう感じている。
 80年代後半になって、バブル経済の波は京都にも押し寄せ、市内に高層ビルの建設計画が次々と浮上した。「古都の雰囲気を台無しにする」と地元の京都仏教会などが猛反対。「景観論争」が巻き起こった。開発の流れに待ったをかけたのが、93年から始まった東海道新幹線のテレビCMだった。
 「そうだ京都、行こう」。
 そんなキャッチフレーズに誘われ、観光客が大幅に増えた。観光客が求めたのは、近代的な街並みより、古都としてのたたずまいだった。景観保護の条例制定に携わった山崎さんはこう語る。「京都が自分たちの良さに気づくことができたのは、新幹線のおかげかもしれません」

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開業前に、整備が進む新横浜駅周辺(新横浜町内会提供)

 「田畑の中にいきなり駅が出現したという感じでした」。新横浜町内会長の金子清隆さん(62)は懐かしそうに振り返るのは新横浜駅のこと。横浜といえば港町のイメージだが、新幹線開業でできた駅はぐっと内陸部。開業から10年たっても、「ひかり」は素通りする、寂しい駅だった。
 1976年になると、ひかりが1日2本停車するようになった。その頃もまだ商業施設は少なかったが、85年に横浜市営地下鉄で横浜―新横浜間がつながってから、様相は一変した。
 停車する「ひかり」は一気に51本に。周辺には巨大なアリーナや競技施設が次々と生まれ、今ではすべての「のぞみ」が停車する有数の主要駅に生まれ変わった。バイオ、先端医療などの企業が立ち並び、文字通り「新幹線がつくった街」となった。
 「昔は水田にカエルがあふれるほど自然豊かだったんですが……」。金子さんたちは、駅開業50年に合わせて歴史を振り返る記念誌を発行する予定だ。

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 静岡県函南町には「新幹線」という地区がある。「幹線上」「幹線下」というバス停や「新幹線公民館」といった形などで残っている。町企画財政課によると、1941年に着工した新丹那トンネルの建設工事に携わった人たちの官舎があったことが由来とされる。
 東京都国分寺市の鉄道総合技術研究所がある場所の地名は「光町」。市ふるさと文化財課によると、元は「平兵衛新田」だったが、新幹線「ひかり」の開発に関わった鉄道総研にちなんで66年に地名が変更されたという。現在の住所は、国分寺市光町2丁目。

ページ一番上の写真:京都市内を走る新幹線(後方は東寺)(京都市下京区で)守屋由子撮影

※タイトルイメージに使用の新幹線車両写真はJR東海提供

今回取り上げた新幹線写真の一部は、「よみうり報知写真館」で購入できます
 
協力
公益財団法人 鉄道総合技術研究所  JR東海  JR西日本  久保敏さん  かけやまさん(新幹線側面写真提供)
 
製作
[編集] 東京本社社会部・編成部・校閲部 大阪本社社会部 中部支社社会G 東京本社メディア局企画開発部・川嶋路大 武田潤 同編集部・田口栄一
[デザイン] 東京本社メディア局企画開発部・雨宮健雄 藤垣円 荒木田美咲  [イラストレーション] 荒木田美咲  [フロントエンド開発] 雨宮健雄 西川一格
[写真] 東京本社写真部 中部支社写真G 大阪本社写真部  [動画] 蓑輪潤 西山修平
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