新幹線の半世紀

「ひかり」は動くパビリオン
万博に参加できなくても・・・

 東海道新幹線は、ひかりの16両編成化などで、大阪万博に向かう乗客増に対応しました。2000年の記事によると、あまりの混雑で、赤ちゃんのミルクを作れなくなった母親が出て、乗客が号車をまたいでお湯の入った魔法瓶をリレーしたこともあったといいます。
 JR東海の社長、会長を務めた須田寛さんは、2004年に読売新聞のインタビューにこう話しています。「国鉄も大阪万博に出展したかったが、赤字転落で、リニアモーターカーの模型を展示する小さなコーナーだけ。一方で『ひかりは動くパビリオン』として、多くの人に乗ってもらい、国鉄は別の形で意をかなえた」

写真:1970年3月撮影

 
協力
公益財団法人 鉄道総合技術研究所  JR東海  JR西日本  久保敏さん  かけやまさん(新幹線側面写真提供)
 
製作
[編集] 東京本社社会部・編成部・校閲部 大阪本社社会部 中部支社社会G 東京本社メディア局企画開発部・川嶋路大 武田潤 同編集部・田口栄一
[デザイン] 東京本社メディア局企画開発部・雨宮健雄 藤垣円 荒木田美咲  [イラストレーション] 荒木田美咲  [フロントエンド開発] 雨宮健雄 西川一格
[写真] 東京本社写真部 中部支社写真G 大阪本社写真部  [動画] 蓑輪潤 西山修平
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