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宮城 : 震災6年 旅立ちの春

東日本大震災のとき小学校6年生だった被災地の子供たちがこの春、高校を卒業した。宮城県では、体育館が支援物資の倉庫となったために放送のみの入学式だった気仙沼高や、校舎が全壊し、入学早々他校を間借りせざるを得なかった気仙沼向洋高など、全日制、定時制合わせて82の県立高校で3月1日に卒業式を迎えた。卒業生と校長の言葉を紹介する。

皆と過ごした日々、私の一生の財産

多賀城高岩佐彩音
多賀城高 岩佐彩音

もう一度行きたい修学旅行

 私たちは3年前の春、不安と期待に胸をふくらませながら、この学びに入学しました。友達作りや文武両立、高校生活に慣れることに悪戦苦闘しながら、スタートを切り、それから瞬く間に月日が流れていきました。

 振り返れば、毎日熱心に取り組んだ部活動では、顧問の先生の、時に厳しく時に優しいご指導を受けながら、少しずつ成長し、数々の苦難も仲間たちと共に乗り越えられました。努力し続けることの大切さを学び、仲間と共にかけがえのない時間を過ごすことができました。

(部活のイメージ画像)

 2年次の修学旅行では、歴史的にも名高い建築物や史跡を間近で見たり、他地域の文化に触れたりと、歴史や文化風習の奥深さを知ると共に、自分たちの視野を広げることができました。旅館・ホテルでは、たわいのない話で盛り上がり、仲間たちの良い所をたくさん見つけることができました。出来ることなら、今の学年でもう一度行きたいと思える程、充実した旅行でした。

 多高の3大行事では、それぞれの行事ですてきな思い出が出来ました。球技大会では、クラスTシャツの製作時から試行錯誤を繰り返し、試合はもちろん応援も白熱しました。クラス・学年を越え円陣を組んで皆で熱狂し、最高の行事になりました。多高祭では、それぞれのクラスの個性が光り、文化祭の最後のステージや発表にはとても感動しました。また、朝早くから、学校の閉門ギリギリまで仲間と準備をした時間は、まさに青春そのものでした。高校生活最後の行事となった体育祭では、改めてこの学年、自分のクラスが最高だと誇りに思える行事となりました。

家族の優しさと応援に感謝

 在校生の皆さん、短い間でしたが私たちについてきてくれてありがとうございました。どの行事も大盛況だったのも、部活動で私たちが輝けたのも皆さんのおかげです。新学科の開設で新たなステージへと歩き始めた多賀城高校を、これからも引っ張り続けて下さい。

 私たち39回生がここまで成長することができたのは、先生方の存在があったからです。行事では一緒に盛り上げてくれたり、質問に行くと、私達が納得するまで説明してくれたりと、いつも私達一人ひとりと向き合って接して下さいました。受験期には、不安と重圧で押しつぶされそうな時、先生の言葉でもっと頑張ろうと前を向くことができました。様々な場面でのご指導に対し、本当に感謝しています。

 そして、この18年間私たちをそだててくれたお父さん、お母さん、いつも私たちの一番の味方でいてくれてありがとうございました。普段は、家にいる時間のほうが少ない上、時には素っ気なく振る舞うこともありながら、いつも笑顔で支えてくれて心から感謝しています。受験に立ち向かうことができたのも、家族の優しさと力強い応援があったからです。まだまだ未熟ですが、あと2年もすれば大人の仲間入りです。今後も多々迷惑をかけるかもしれませんが、これからも見守ってください。

 これまで3年間この多賀城高校で過ごした日々は、最高の高校生活でした。多くの友人・先生方に出会い、様々なことを学ぶことが出来ました。皆と過ごした日々は、私の一生の財産です。私たち39回生の未来はまだまだこれからです。今日から各々新たな道を進んで行きますが、周りの人への感謝の気持ちを忘れず、自分を信じ突き進んで行きましょう。

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見えない物事への想像力を大切に

多賀城高校長小泉博
多賀城高校長 小泉 博

素晴らしかった3大行事

 卒業生の皆さんは3年前の入学式を覚えていますか。私は式辞の中で二つのことに取り組むようにと話し、相田みつをの「いま、ここ」という詩をプレゼントしました。一つは「自分の目標を掲げて日々の生活を律してほしい」ということ、もう一つは「親友と呼べる友を得てほしい」ということでしたが、いかがだったでしょうか。

 振り返れば、皆さんは日々の学習では授業第一を実践し、部活動との両立を目指しながら勉学に励みました。つくば研修やアカデミックインターンシップへの参加など、例年以上に進路意識を高め、3年生になってからは早朝や放課後も、教室や学び処で多くの生徒が真剣に自学自習に取り組む姿がありました。

 部活動の活躍も素晴らしいものがありました。昨年夏のインターハイには山岳部とテニス部が出場し、吹奏楽部は全日本吹奏楽コンクール東北大会で銀賞を獲得しました。弓道部の全国選抜大会出場やラグビー部の全国高校合同チームでの優勝もありました。なにより運動部も文化部も生徒が主体的に活動する姿は、爽やかなあいさつやボランティア活動とともに多高の誇りです。

 多高3大行事も見事でした。これまでの伝統の上に新しいアイデアを盛り込み、多高祭では懸案だった中庭がアコースティックステージとなり、体育祭では皆が楽しめる種目が加わりました。実行委員や関係する部活動の一人ひとりが役割を果たそうと努めました。3大行事の充実は、生徒会長を始めとする生徒会執行部の下支えと信頼しあえる仲間とのチームワークによって成し遂げられたと言えます。

「置かれたところで咲きなさい」

 ところで、卒業生の皆さんは6年前、小学6年生で東日本大震災に遭遇しました。卒業式を間近に控え、学校によっては例年どおりの卒業式ができず、中学校入学も4月半ばとなりました。家族を亡くし、家を失い、言葉にできないつらい生活に耐えながら、前に向かって成長してきた人もいます。

津波で流された車でせき止められた多賀城市内の道路(2011年3月)
津波で流された車でせき止められた多賀城市内の道路(2011年3月)

 しかし、高校を卒業する今、故郷を離れて進学する人や公務員として社会に出る人もいます。それぞれが決めた進路に一歩踏み出しますが、皆さんを取り巻く社会は大きく変わろうとしています。皆さんが生きてきたこの20年近く、日本経済はデフレ状態が続き、さらにグローバル化の中で不確実性が高まっています。そうした困難な状況に立ち向かう皆さんに、激励となるお話をしてはなむけとします。

 以前取り上げたノートルダム清心学園の理事長を務められ、昨年12月に亡くなられた渡辺和子さんの著書に「置かれた場所で咲きなさい」があります。30代半ばという若さで学長となった渡辺さんは、次々と困難な出来事にぶつかり自信をなくしたそうですが、その頃の様子を次のように書いています。

渡辺和子さん
渡辺和子さん

 「初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか“くれない族”になっていました。『あいさつをしてくれない』こんなに苦労しているのに『ねぎらってくれない』『わかってくれない』」

 そうした時に一人の宣教師からもらった詩の冒頭の言葉が「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったそうです。渡辺さんは、置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては環境の奴隷だと理解し、人はどんな場所でも幸せを見つけることができる、境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる、と考えるようになったと書いています。

 そこで、私が皆さんに伝えたいことは、目に見えない物事への想像力を大切にしてほしいということです。思いやりと置き換えることもできます。自分に見えていることだけで判断するのではなく、見えてはいなくても心を動かして想像力を働かせることで理解できることがあります。

 例えば、トイレが汚れていれば目に見えますから、誰かが汚したと分かります。しかし、いつもトイレがきれいだとします。なぜきれいなのかということは、トイレ掃除をきちんとしたことがない人には、すぐには分かりません。想像力を働かせれば、いつも丁寧に掃除をしてくれている人の存在に気づきます。そして自ら行動することにつなげれば、置かれた場所で咲くことができるのです。置かれた場所とは、常に「いま、ここ」だと私は考えます。

 皆さんはとてもすてきな青年に成長しました。しかし、人生には風の冷たい日もあります。息苦しくて立ち止まる日もあります。どうか、一人ひとりが置かれた場所で社会に貢献するという明確な目標を掲げて、多賀城高校で培った「さとき智恵」「豊かな心」「たくましい体」で未来を切り開いてください。

 未来を創る能力ちからをもった卒業生が着実に一歩を踏み出し、大いに活躍することを確信して式辞とします。

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前途に幸多かれ

石巻好文館高校長狩野宏史
石巻好文館高校長 狩野宏史
津波で壊滅状態の石巻市街の様子(2011年3月)
津波で壊滅状態の石巻市街の様子(2011年3月)

 ただいま卒業証書を授与いたしました卒業生の皆さん、御卒業おめでとうございます。皆さんは小学校卒業間近の6年生の3月11日に東日本大震災に遭い、故郷にも、ご家庭にも大きな被害を受けました。その後、中学校生活を送り、2014年4月本校に入学をいたしました。本日は本校での3年間の努力が実り、晴れて卒業式を迎えることになりました。皆さんの本校での3年間を振り返り、その努力をたたえたいと思います。

 また、保護者の皆様、御家族の皆様には、大震災後のご苦労の多い中で、お子様の高校生活を支えていただきました。さきほど呼名されましたお子様の姿をご覧になり、感慨もひとしおのことと心からお祝いを申し上げます。

最後まで頑張り通せ

 さて、あの大震災から6年の月日が流れようとしています。地域により、あるいは、ご家庭によっては、復興途上の所もあると思いますが、少なくとも本校では、通常の教育活動ができるようになりましたので、今年度は年度当初から全校生徒に、これまでご支援をいただいた多くの皆様に感謝の気持ちを込めて「好文生の元気な姿を発信しよう!」と呼び掛けてまいりました。これは生徒自身を励ますという意味も含まれておりましたが、お陰様で、生徒は「好文好武で 明日をひらき 夢実現へ」という言葉の通り、勉学に、部活動に、さらには、学校行事や生徒会活動にと、大いに活躍をいたしました。

イメージ画像

 部活動では、校舎に掲げております横断幕のように、多くの部活動が全国大会や東北大会に出場いたしました。中でも弓道部の女子生徒は、岩手国体に弓道少年女子団体の宮城県選抜チームのキャプテンとして出場し、見事に入賞を果たしました。

 しかし、彼女の道のりは決して平坦なものではありませんでした。県総体では結果を出すことができず苦しんでいたと伺っておりましたが、本人の頑張り、弓道部顧問で、国体宮城県選抜チームの監督となった先生のご指導、さらにはご家族や仲間からの励ましに支えられ、岩手国体ではさきほど申し上げましたとおり、入賞という輝かしい成績を残すことが出来ました。本当に頑張りました。

 今年度の卒業生は、一度敗れはするものの、そこからい上がり、雪辱を果たした部活動が大変多かったように思います。このような卒業生の姿に、私は好文生の底力を垣間見る思いがいたしました。そして、今でも、多くの皆さんが、国公立大学の二次試験や私立大学の一般入試に挑戦中です。ぜひ、好文生の底力を発揮し、最後の最後まで頑張り通していただきたいと思います。

真摯に生き、甲斐ある人を目指して

内村鑑三 今井館教友会提供
内村鑑三 今井館教友会提供

 ここで、卒業式にあたり、卒業生の皆さんにはなむけとして、2つの話をいたします。

 一つ目は、内村鑑三の「後世への最大遺物」についてです。明治時代の思想家で、宗教家だった内村鑑三は「後世への最大遺物」という著書の中で「人間が自分の死後にのこすことのできる大事なものは何か」ということについて述べています。

 それは「お金か、偉大な事業か、あるいは高邁こうまいな思想か」と思索をする中で、この世に遺してゆける最大の財産は「その人自身が自分の人生を真摯しんしに生き切ることであり、真摯に生き切られたその人の人生それ自体が、人類にとって最大遺物である」と語っています。卒業生の皆さんは、これからの生活において様々なことがあると思いますが、「自分の人生に対して、うそ偽りなく、直向きに取組み、誠実に生き切っていただきたい」と願っております。

 二つ目は、本校の卒業生として誇りを持ち「甲斐かいある人」を目指していただきたいということです。

 本校の校歌には「心を磨き身を鍛え/ 甲斐ある人と言われなむ」という一節があります。本校の2万有余名の卒業生は「甲斐ある人と言われなむ」という言葉を胸に、社会の様々な分野で世のため人のために尽くしています。卒業生の皆さんには、「甲斐ある人」として、故郷の復興と発展に貢献する人になっていただきたいと期待をしております。

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この縁を忘れない

気仙沼高小野寺一真
気仙沼高 小野寺一真

共に歩んだ3年間

 暖かな日差しが春の訪れを告げる今日のよき日、私たち卒業生は気仙沼高校を離れ、人生の新たな一歩を踏み出す時を迎えました。

(写真はイメージ)

 振り返るといろんな事がありました。高校という未知の世界になじむことができるか、抱え込んだ不安に押しつぶされそうな気持ちで始まった高校生活も、いつの間にか生活にも慣れ、2年生になり部活動が中心の生活になったと思うとすぐに修学旅行。3年生では球技大会などの行事が終わるとすぐに受験に向けて気を引き締める時期になってしまいました。

 こうしてこの3年間を思い返してみると、あっという間のことでした。それでも、楽しかったこと、つらかったこと、様々な思い出があると思います。今、私たちの過ごしてきた高校生活に点数をつけるとしたら、全員が100点というわけにはいかないかもしれません。それでも0点やマイナスの点数をつける人は誰一人としていないはずです。なぜなら、点数をつけた3年間は、必ず誰かと共に歩んできた3年間で、その思い出を誰かと共有してきているからです。

 しかし、思い出は時間が過ぎると、形を変え、美化されるものだと思っています。私たちが本当に大切にするべきなのはその思い出と同時に出来た他の誰かとの「縁」だと思います。縁とは友情だったり、信頼だったりと、あらゆる形で私たちの中にとどまり、私たちが社会に飛び出して、いつかその思い出を忘れてしまったとしても、再び私たちをつなげてくれるものなのです。ですからこの縁をいつまでも大切に持ち続けて行きたいです。

先生と家族への感謝

 その縁の中で忘れてはいけないのが先生方と家族の存在です。

 日々の生活の中で私たちを指導するだけでなく、相談に乗ってくださったり、時には談笑したりすることで私たちの生活をより豊かにしてくださいました。そして受験という厳しい時期を最後まで支えてくださいました。私たちは先生方からの応援があったからこそ、全力を尽くして挑戦し続けることが出来ました。今まで本当にありがとうございました。

 そして家族の皆さん、高校生活だけでなく、18年というとても長い間、たくさんの迷惑をかけてきました、それでも私たちは家族のおかげでここまで成長することが出来ました。家族の笑顔を原動力にここまで努力を続けることが出来ました。今までありがとうございました。そしてこれからも心配をかけることがあると思いますが、いつまでも温かく見守ってください。よろしくお願いします。

 そして、在校生の皆さんは、残された高校生活の中で自分のための挑戦をしてください。自分の夢をかなえるための努力を続けてください。途中でくじけそうになった時は友達や先生、家族が支えてくれます。その挑戦がいつの日か自分の自信に変わります。その日が来るまで頑張ってください。

 思い出、縁、様々なもののおかげで私たちは前をみて今日まで進んでくることが出来ました。ここにいる234名も今日をもって卒業します。たとえ一緒に過ごした仲間の面影が薄れてしまっても、この心に刻み込んだ縁だけは忘れません。みんなと過ごせて本当に良かったです。ありがとうございました。

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教訓忘れず後世に伝えたい

気仙沼向洋高校長千田健一
気仙沼向洋高校長 千田健一

 本科生116名、専攻科生4名の皆さん、卒業・修了おめでとう。そして、これまで温かく見守っていただいた保護者・ご家族の皆様方、誠におめでとうございます。

 今、卒業証書・修了証書を授与され、これまでの3年間並びに4、5年間を改めて振り返る時、皆さんの万感こもごも、胸に去来する物は何でありましょう。走馬灯のように過ぎ去った日々を懐かしみ、研さんに励んだ日々を振り返るとともに、希望を胸に新たな決意をもって将来への飛躍を誓っておられることでしょう。

プレハブ校舎に通学する気仙沼向洋高の生徒たち(2011年11月)
プレハブ校舎に通学する気仙沼向洋高の生徒たち(2011年11月)

 早いもので、あの東日本大震災からまもなく、6年がたとうとしております。震災当時、中学1・2年生、小学6年生であった皆さんの生活は、多くの困難と対峙たいじする生活へと転換し、混乱と制約の下、まさに震災に翻弄された6年間であったことでしょう。

 そして、全国でも類いまれな仮設校舎での3年間、4年間、5年間の高校生活は、壁が薄く隣の教室の音が聞こえたり、実習施設が手狭で実習内容が限られたりすることもありました。夏、トタン板の仮設体育館は室内温度45度にも達するなど、決して恵まれた教育環境とは言い難く、多くの制約の下での活動が続き、不自由の連続であったことでしょう。

厳しい環境を乗り越えたことが自信と財産に

友人に見送られ、乗船実習に出発する気仙沼向洋高の生徒たち(2015年10月)
友人に見送られ、乗船実習に出発する気仙沼向洋高の生徒たち(2015年10月)

 しかし皆さんは、そのような困難な状況の中、自分を見失うことなく、真摯しんしに勉学や諸活動に励んでくれました。宮城丸乗船実習ではいつ終わるとも知れない船酔いに耐え、伝統のサンマ缶製造・販売は好評を博しました。

 真心込めて作ったちり取りの仮設住宅への寄贈、近隣小中学校での出前授業、そして市内菓子店と連携しての商品開発は大きな話題となりました。部活動ではほとんどの部が他校施設を借用しての活動ながら、ヨット部、ラグビー部、相撲部が全国・東北大会出場を果たし、ボランティア活動や軽音楽部の復興行事への参加やハイテククラブの優れた技術力は高い評価をいただきました。

 ここ向洋高校から元気と勇気を発信し、地域を活性化させたいという願いを込めた様々な活動は、復興支援という役割をしっかり果たすとともに、必ずやこれからの地域復興の礎となっていくものと確信します。そして厳しい環境を乗り越えたという経験は、皆さんのこれからの人生における大きな自信であり財産にもなることでしょう。

 我がふるさとはいまだ復旧・復興の途上にあり震災の傷は色濃く残っていながらも、一方では「1000年に一度」と言われた大震災も年月の経過とともに風化しつつあります。だからこそ、私たちはあの教訓を決して忘れず、日々の実践から得たものを後世に伝えていくことが我々に課せられた大きな使命でもあるのです。

人との絆を大切に

がれきで埋まった気仙沼市街で捜索作業を行う消防隊員ら(2011年3月)
がれきで埋まった気仙沼市街で捜索作業を行う消防隊員ら(2011年3月)

 誰しもが震災直後の混乱期において、これからどのように生活していけばよいのか、ふるさと気仙沼は今後どうなってしまうのかと、先の見えない悲しみと不安だけが覆い尽くす毎日を過ごしてきました。

 しかし、そんな不安を払拭し背中を押してくれたのが周囲の方々でした。命の大切さ、当たり前の生活のありがたさなど震災から多くの事を学ぶとともに、その苦難の中でもくじけることなく諦めることなく、弱音を吐かず、しっかり前を向いて自分の夢をかなえるべく頑張ることができたのも、地域の皆様方や家族や仲間、先輩や同級生、同窓生たちの励ましや助けがあればこそ成し得ることができたのです。

 我々は決して忘れてはいけません。不便な生活から誰しもが助け合うことの大切さを痛感し、他者の温かい援助がどんなにか心を奮い立たせてくれたことを。震災を通じ、「人は一人では生きていけない」「人に生かされる自分」ということをしっかりと学んだはずです。これからの人生においても人は様々な人間関係の中で、互いに助け合い励まし合い、互いに影響し合って生きていかなければなりません。人との絆は、これからの人生における大切な財産です。困難にぶつかった時も、人と人とのネットワークの中で解決されることがたくさんあります。思いやりの心を持って、誠の心を持って相手の心に響きわたるように接することで、どのような困難にも打ち勝つ何らかの解決策が見えてくることでしょう。

 人という漢字は一画目と二画目とが支え合って成り立っています。支えがなければ人という漢字は成り立ちません。人間という漢字はその文字の通り、人の間と書きます。人と人との関係において助け合い、支え合って初めて人間として豊かな人生を送ることができるのです。今回の大震災から学んだ、「人は財産である」ということをしっかり胸に刻んで、これからの人生を送ってほしいものです。

 結びに、希望を胸にこの学びを巣立ちゆく卒業生・修了生の皆さんが 気仙沼向洋高校生であったことを誇りとして、健康に留意し、それぞれの目標に向かって精進・努力され、やがて大輪の花を咲かせ、実を結ぶことを心より祈念するとともに、本日、ご臨席を賜りましたご来賓並びに保護者の皆様の今後のご健勝・ご多幸をお祈り申し上げ、式辞といたします。

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