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競歩ってスゴい。でも昔の旅はみんな歩いてました【隅田川馬石のやわらか噺】

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元球児にして市民ランナーの真打ちがご機嫌をうかがいます

 落語家の隅田川馬石でございます。野球少年から高校球児、そして今は市民ランナーをしており、打って走って守れる噺家です。コロナ問題を乗り越えて立ち上がるスポーツを応援しようというこのコーナー、私らしく軟らかーくおしゃべりしたいと思いますので、肩の力を抜いてお付き合いください。

(写真はイメージです)
(写真はイメージです)

 江戸時代のスポーツといえば、武道、柔術に相撲……。駕籠(かご)に乗れない一般庶民がひたすら歩いた「旅」はどうでしょう。スポーツ感覚かどうかは分かりませんが、大きなイベントであり、息抜きのレクリエーションみたいな位置づけだったのではないかと思います。

 旅と言えば「お伊勢参り」が有名ですが、伊勢音頭にも「お伊勢 七たび 熊野へ三度 愛宕さまへは月参り」とうたわれています。江戸時代に熱狂的な群衆が伊勢神宮に参拝したことを「おかげ参り」と呼びました。若い人や奉公人がにっちもさっちもいかなくなって、親や主人の許しを受けないで家を抜け出して伊勢参りに行く「抜け参り」も流行したそうですが、これは信心のためということで許されたとか。歌舞伎の「白浪五人男」には、「抜け参りからぐれ出して」という有名なセリフもあります。旅というものが身近にあったのでしょうね。

競歩選手が歩く速さは普通の人の3倍以上!

 昔の旅は、どのぐらいの速さで歩いたのでしょうか。東海道を例にとると、日本橋から京都まで約500キロとして、普通の旅人は2週間ぐらいかかったそうですから、単純計算で1日平均35キロ。ゆっくり休み休み行く人は別として、目的のある人は時速4キロ近くで9時間を毎日歩き続けたことになります。普通の人の歩く速さがだいたい4キロ前後ですが、ウォーキングシューズなんてない時代、舗装もされてない道を昔の人は良く歩いたものです。今の感覚からすると考えられない。一日だけなら歩けても、次の日も歩けと言われたら嫌ですね。

 歩くスポーツと言えば、競歩でしょう。よく覚えているのは2016年のリオデジャネイロオリンピックで荒井広宙(ひろおき)選手が銅メダルを獲得したシーンです。相手を妨害したと判断されていったんは失格になっちゃって。追い抜こうとする人をそうさせまいとするのは人間の自然の動きなんだろうと思っていたら、判定が覆って銅メダルになった。うれしかったです。

 競歩には「両足が地面から離れちゃいけない」とか、「前脚が接地の瞬間から垂直の位置になるまで真っすぐに伸びていなければいけない」とか難しいルールがあります。走ったほうが楽だと思いますよ。歩く感覚じゃなくて、まさにスポーツです。きっかけで才能を見いだされた人がやる競技だなという気がします。

 トップ選手が歩く速さは時速13~14キロだそうで、私が走るより完全に速いです。そのスピードでルール違反にならないように、長い種目では50キロも歩く。このストイックさというのは昔の飛脚(ひきゃく)に相通ずるものがあるんでしょうかね。

志ん朝師匠との旅の思い出

 私たち噺家(はなしか)の世界で「旅」といえば、泊まりがけで地方の仕事に行くことを言います。九州や北海道を公演で1週間ぐらい回るとか、クルーズ船で世界一周なんかもそう。私は経験がないですが、船に乗ってる仲間はいっぱいいますよ。

 7月に師匠の雲助との親子会で新潟に行きました。終演後に打ち上げもやりましょうということで、貸し切りのホールみたいな場所にテーブルが離して置いてあって、各卓に1人ずつ座っての宴席。コロナ対策の打ち上げでした。

お城のようなユニークな外観が目をひくごみ焼却施設の「舞洲工場」(大阪市此花区)
お城のようなユニークな外観が目をひくごみ焼却施設の「舞洲工場」(大阪市此花区)

 思い出すのは、志ん朝師匠のお供をして全国いろいろなところに連れて行ってもらったことです。大阪での仕事の時、公演のない日があって、志ん朝師匠が「明日、ショウキャクジョウを見にいくけど来るか」「はい、お供します」--。何のことか分からなかったけれど、その日は朝から一日、お供をしました。朝食はここだと、松鶴師匠によく連れて行ってもらったというお店で、かやくご飯と焼き魚にビール。志ん朝師匠は「朝からこんないい気持ちになるのは、この商売やってて良かったなあと思うね」とおいしそうにビールを飲んでいました。それからタクシーに乗って向かったのが、ごみ焼却施設でした。同じ年に開園したユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のすぐ近くにあって、タクシーの運転手さんが「こっち(USJ)じゃなくていいんですか?」と聞いたけど、志ん朝師匠は「違う、違う、こっちだよぉ」って。

 この焼却施設、ウィーンの芸術家、フンデルトバッサーがデザインした、ものすごくユニークな外観で、中もしっかり見学させてもらいました。志ん朝師匠はいろんなものに興味をもって本物を見ているんだなあと思い、自分もそうありたいと思いました。

旅で経験した「噺」の世界

 仕事以外でも、二ツ目の頃に仲間と年に1回、プライベート旅行をしました。「おいしいものツアー」と称して詳しい先輩に連れていってもらい、香港や韓国、国内ではうどんブームの時に、四国で讃岐うどんというのもありました。地元のおじさんが食べているのを見ると、うどんが(おど)るように口に入っていく。「うどんもこの人に食べられて幸せだなあ」なんて思って見ていた。「時そば」のマクラに使っています。

 「源平盛衰記」の勉強になるから、と那須与一で有名な屋島(香川県)に行くと、かわらけ投げのアトラクションがあって、「『愛宕山(あたごやま)』だね」なんて言いながらみんなでワアワア投げた。「源平盛衰記」と「愛宕山」、まさに一石二鳥です。大阪で志ん朝師匠が、かやくご飯と焼き魚に、朝からビールをおいしそうに飲んでいる姿を見て、「付き馬」にこういうシーンがあるなあと思ったり、旅のいろいろな思い出は、落語にも役立っています。

 そろそろお時間です。次回もお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。

※11月浅草演芸ホールの下席(21~30日)、夜の部の18時15分に出演します。

プロフィル
隅田川 馬石( すみだがわ・ばせき
 1969年兵庫県生まれ。石坂浩二さんの主宰劇団に所属した後、93年10月に五街道雲助に入門して前座名「わたし」。97年9月にニツ目昇進で「佐助」。2007年3月に真打ちに昇進して四代目「隅田川馬石」を襲名。ゆったりと軟らかな語り口で滑稽噺(こっけいばなし)から師匠譲りの芝居噺、人情噺も手掛ける古典落語の名手。高校時代は野球部で9番・サード。趣味のマラソンではフルで4時間を切る「サブフォー」の実力者でもある。高座名は、馬をつなぎとめるのに使われたと言い伝えられる隅田川沿いの駒止石(こまどめいし)に由来する。十代目金原亭馬生を大師匠に持ち、落語界では「馬派」とも呼ばれる。

受賞歴
1999年 北とぴあ若手落語家競演会奨励賞
2007年 第12回林家彦六賞
2012年 文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞
無断転載・複製を禁じます
1627611 0 馬石のやわらか噺 2020/11/15 11:00:00 2020/11/15 11:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201113-OYT8I50064-T.jpg?type=thumbnail

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