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不安な世の中に勇気をくれる。お相撲さんは超人だ【隅田川馬石のやわらか噺】

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 落語家の隅田川馬石でございます。野球少年から高校球児、そして今は市民ランナーをしており、打って走って守れる噺家です。コロナ問題を乗り越えて立ち上がるスポーツを応援しようというこのコーナー、私らしく軟らかーくおしゃべりしたいと思いますので、肩の力を抜いてお付き合いください。

元球児にして市民ランナーの真打ちがご機嫌をうかがいます

無観客開催となった春場所の初日、幕内力士と親方が土俵脇に整列し、日本相撲協会の八角理事長があいさつをした。(2020年3月8日、大阪府立体育会館で)
無観客開催となった春場所の初日、幕内力士と親方が土俵脇に整列し、日本相撲協会の八角理事長があいさつをした。(2020年3月8日、大阪府立体育会館で)

 コロナ禍に明け暮れた今年も間もなく終わります。1年の最後は、国技の相撲の話にしましょう。無観客で行われた3月の大相撲春場所、初日の八角理事長の協会あいさつは感動的でした。

 「力士の体は健康な体の象徴とも言われています。床山が髪を結い、呼び出しが()を打ち、行司が土俵を裁き、そして力士が四股(しこ)を踏む。この一連の所作が人々に感動を与えると同時に大地を鎮め、邪悪なものを抑え込むものだと信じられてきました」。こう話された理事長は、大相撲の持つ力で世の中に勇気や感動を与えたいと締めくくりました。

 何かと落ち着かない時節柄、相撲の影響力は大きいと感じます。先日公開された映画「相撲道~サムライを継ぐ者たち~」は、高田川部屋と境川部屋に密着したドキュメンタリー作品で、厳しい世界で生きているお相撲さんは超人だなあと思いました。よく「生きるか死ぬか」と言いますが、力士にとっては「死ぬ気でやる」という言葉がうそじゃない。引退した元魁皇関(浅香山親方)も現役力士の姿に「あんなことよくやっていたな」としみじみ語っていました。

前頭二枚目は男前?

 考えてみると昔から相撲は身近にありました。小学生のころ、地元の秋まつりで開かれていた子供相撲。神社の空き地に土を盛って土俵を造ります。寄付が集まるので、一番とると100円もらえて、何回も出てお小遣いを増やしたものです。小学校3年生ぐらいの時、学校の休み時間に相撲をやることになり、女の子と当たりました。相手の力が強く、どーん、とぶつかられてこちらが負けちゃった。がっかりしまして、それ以来、学校では相撲を取ろうという気にはならなかったです。

ハンサムで強い北天佑関(右)が大好きでした。(1990年撮影)
ハンサムで強い北天佑関(右)が大好きでした。(1990年撮影)

 でも観るのは好きで、お気に入りは北天佑関でした。身体がぶよぶよしてなくて、いかにも強いお相撲さんの身体つきをしていました。千代の富士関に強かったのも格好良くて、子供心にも男前のお相撲さんでした。

 男前といえば、前頭は「筆頭」の次が「二枚目」ですが、私、その二枚目って、男前のハンサムな人を選ぶんだと思っていました。ちょうどそのころ、増位山関が二枚目にいまして、「なるほど、男前だ」と思った。で、三枚目にいたのが「なるほど!」と思う人……これは名前を出すのをやめときましょう。

 勝ち負けの「何勝何敗」というのを身近に感じていました。小学校への登校時に、空き地に立っているポールめがけて砂利の石を投げるのが、自分だけの日課でした。金属製で、石が当たるとカーンと音がする。

 1日1回投げて、15日間を区切りに命中した回数を勝敗にして楽しんでいました。集中してやれば13勝2敗くらいまではいけて、これがベストですね。お相撲でも13-2って見た目がきれいだし、何だか収まりがいい。2つは負けるところが謙虚じゃないですか。

落語の絵になるお相撲さん

 落語には相撲の話が「阿武松(おうのまつ)」「花筏(はないかだ)」「佐野山」など、いろいろとあります。私はまだやらないのですが、まくらで使わせてもらう相撲ネタのモデルが、現役時代の高見盛関(振分親方)です。時間いっぱいで塩を取る前に頬や胸をたたいて拳を上下に振り、気合をかけるあの「儀式」。ある時、どうしたことか時間前なのにやり始めた。お客さんも「あれっ」と思ったけれど盛り上げなきゃと歓声が上がった。でも土俵中央で手をついても軍配は返らず、気づいた関取は何とも情けない顔になる。仕切り直しで本当の時間いっぱいになって、もう一度気合をかけたが勝負ではあっけなく負けた。うつむいて花道を下がる姿が大きな歓声に包まれる――落語的に絵になる人です。

 寄席もある浅草界(わい)は相撲部屋も近いのでお相撲さんの姿を良く見かけます。観光人力車のお兄さんが浴衣がけのお相撲さん2人連れに声をかけているところに出くわしました。

 「乗りませんか、浅草を案内しますよ」

 「俺のほうが詳しいよ」

 と、かみ合わない会話。あんまり熱心に勧められたお相撲さんが最後に「重いよ!」と言うと、最後はお兄さんもあきらめていました。

 こんな事もありました。私、自分の高座の録音をカセットテープに入れて、思い出さなければいけない時にラジオ付きの小型カセットレコーダーで聴いています。夕方の地下鉄の中でイヤホンをつけていたら、隣のおばちゃんが話しかけてきました。

 「遠藤、勝った?」

 おばちゃん、好きだったんですねえ。でも、地下鉄の中ではラジオはあんまり聞こえないと思うのですが……。

 私たちの楽屋にも相撲好きは多いです。今は観客数の制限をしていますが、コロナ以前は両国国技館の花道脇の客席に(はなし)家がよく座っていました。ご贔屓(ひいき)のお客さんが用意してくださる席なので、着物姿で座っていることが大事なんですね。15日間で6~7人は噺家の姿が見られましたよ。

 これは不思議な縁ですが、常盤山部屋に所属する行司の木村秀朗さんは母校の兵庫県立西脇工業高校の後輩です。前身の千賀ノ浦部屋の時代にお邪魔して偶然にお目にかかりました。高校の同窓生が落語家と行司とは……。機械や電気、化学を教える工業高校から日本の伝統文化に携わる者が2人も出たというのは何だか不思議なものですね。

 そろそろお時間です。次回もお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。皆様、良いお年を。

 ※上野の鈴本演芸場12月中席、19日の夜の部主任(トリ)で「芝浜」をやります。

プロフィル
隅田川 馬石( すみだがわ・ばせき
 1969年兵庫県生まれ。石坂浩二さんの主宰劇団に所属した後、93年10月に五街道雲助に入門して前座名「わたし」。97年9月にニツ目昇進で「佐助」。2007年3月に真打ちに昇進して四代目「隅田川馬石」を襲名。ゆったりと軟らかな語り口で滑稽噺(こっけいばなし)から師匠譲りの芝居噺、人情噺も手掛ける古典落語の名手。高校時代は野球部で9番・サード。趣味のマラソンではフルで4時間を切る「サブフォー」の実力者でもある。高座名は、馬をつなぎとめるのに使われたと言い伝えられる隅田川沿いの駒止石(こまどめいし)に由来する。十代目金原亭馬生を大師匠に持ち、落語界では「馬派」とも呼ばれる。

受賞歴
1999年 北とぴあ若手落語家競演会奨励賞
2007年 第12回林家彦六賞
2012年 文化庁芸術祭大衆芸能部門新人賞
無断転載・複製を禁じます
1702000 0 馬石のやわらか噺 2020/12/15 18:00:00 2020/12/15 18:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201214-OYT8I50064-T.jpg?type=thumbnail

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