神戸ゆかりのコービー、その偉大な足跡

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無類の勝負強さでNBAに君臨したコービー・ブライアントさん(AFP時事)
無類の勝負強さでNBAに君臨したコービー・ブライアントさん(AFP時事)

 アメリカ・プロバスケットボール協会(NBA)のスーパースターだったコービー・ブライアントさんが26日、ロサンゼルス近郊での自家用ヘリコプターの墜落で、同乗していた13歳の娘らとともに亡くなった。まだ41歳。現役時代は、マイケル・ジョーダンさんの後継者として活躍した。名門のロサンゼルス・レーカーズ一筋、20年間にわたりNBAの中心であり続けたレジェンドの突然の悲報だった。

嘆くジョーダンさん「弟のようだった」

 現役時は身長1メートル98のガード。高卒の17歳で1996年にレーカーズに入団すると、得点王とNBAファイナルMVPをそれぞれ2度獲得するなど、5度のNBA制覇に貢献した。2008年北京、12年ロンドンの2度のオリンピックでは、アメリカ代表として出場して金メダルを獲得するなど輝かしい成績を残した。2015~16シーズン限りで現役を引退した。

 個人記録も華やかだ。通算得点3万3643点はジョーダンさんを上回るNBA歴代4位。全盛期シーズンの1試合平均得点は30点を超え、2006年1月22日のトロント・ラプターズ戦ではNBA歴代2位となる1試合81点を記録している。

 ブライアントさんの通算得点は、事故前日の25日にレブロン・ジェームズ(レーカーズ)が抜いたばかりだった。ブライアントさんは事故直前と思われるツイッターで「前進し続ける君を尊敬している」と発信していた。

 自身がつけた背番号は最初の10年が「8」で、後半10年は「24」。ともに永久欠番となっている。アメリカの報道などによると、悲報を受けた26日のNBAは、その背番号にちなみ、全試合で試合開始最初のショットクロック(ボールを保持してからシュートを打つまでの制限時間)の24秒を選手がプレーせずにスーパースターに哀悼の意を示したという。

 マイケル・ジョーダンさんは「私の悲痛な気持ちは言葉にはできない。コービーを愛していた。弟のように。彼はものすごい選手であり、バスケットボールの世界で最も偉大な選手のひとりであり、想像力にあふれていた。そして家族を深く愛していた」と追悼の声明を発表した。

名前は父の食べた「神戸牛」から

 ファーストネームのKobeが、神戸牛に由来するのは有名な話だ。親日家で日本バスケットボールリーグ(JBL)北海道などでヘッドコーチを務めたこともある父、ジョー・ブライアント氏が神戸牛のステーキを食べ、そのおいしさに感動して息子の名前にしたという。

 WOWOWでNBA解説者も務めた日本バスケットボール協会技術委員長の東野智弥さんは、「20数年前にプロ1年目のサマーリーグを現地で見たが、ヒョロヒョロの体型の中にもきらりと光るものがあった。(北海道で自身の後任ヘッドコーチとなった)父親のジョーさんからは、『とにかく負けず嫌いの息子だった』と聞いたこともある。何十年に一度の選手だった」とその死を悼んでいる。

強さの秘訣

 東野さんはまた、「ブザービーター(試合終了やピリオド終了のブザーが鳴るのと同時に放たれて決まるシュート)でのガッツポーズ姿や現役最後の試合で60点取った姿など、なんと言っても勝負強さがコービーの魅力」と語り、「その点でマイケル・ジョーダンと双璧だった」と述懐する。

 その背景には「ここぞという時のメンタリティの強さや、すべてのことに挑戦する姿勢がその勝負強さを支えたのだろう」と失われた才能を惜しんでいる。(読売新聞オンライン編集部)

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1022142 0 その他 2020/01/27 15:00:00 2020/02/08 15:00:03 2020/02/08 15:00:03 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/01/20200127-OYT1I50043-T.jpg?type=thumbnail

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