[選手たちの10年 東日本大震災]<4>釜石 記憶伝える競技場…ラグビー通じ世界へ
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被災地を見守るように立つ競技場には、人々の復興や防災への思いが宿る。

2019年のラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会、ウルグアイ―フィジー戦。岩手県釜石市の釜石
スタジアムは、津波で全壊した鵜住居小と釜石東中の跡地をかさ上げして建てられている。両校は、学校にいた児童・生徒全員が素早く避難して助かった。当時鵜住居小3年生だった洞口さんもその一人。自宅が津波で流され、ランドセルや文房具の支援を受けた。
「感謝を伝えたいという使命感があった」。きっかけは、釜石がW杯の会場に決まった15年3月のことだ。ラグビーに興味を持ち、国際交流事業に応募して同年秋のW杯イングランド大会を現地で見学。「津波の時は大丈夫でしたか」。そう声をかけられ、世界中の人々が被災地に思いを寄せていることを知った。
復興スタジアムで行われた一戦には、同市の人口の半分近い1万4025人が集まり、釜石は熱気に包まれた。洞口さんは「ラグビーW杯の成功に向けて皆が団結したことも、復興を後押しした」と感じた。
来年から始まるラグビーの新リーグには、釜石シーウェイブスが復興スタジアムをホームとして参戦する。「防災を世界に発信する場所になってくれたらうれしい。学校だったところなので、人が出会う場所にもなってほしい」。大学で防災について学ぶ洞口さんは今後も、震災の記憶を伝える活動を続けていくつもりだ。スタジアムがその象徴となることを望んでいる。(帯津智昭)
高台の射撃場 石巻のPRに

新型コロナウイルスの影響でスポーツイベントの中止が相次いだ昨年11月、宮城県石巻市の「nexライフル射撃場」でパラ射撃の全日本選手権が開かれた。実現にこぎ着けたのは、04年アテネ大会から3大会連続でパラリンピックに出場した田口亜希さん(49)=写真=らパラ関係者だった。
高台にあるため大きな被災を免れ、障害者の大会も開かれてきた射撃場だ。田口さんは、復興を掲げる東京五輪・パラの開催が決まった13年秋から「お世話になった石巻の人たちのため、東京大会前に全国選手権を開催したい」と奔走。宮城県ライフル射撃協会の五十嵐嘉也副会長は「全国規模の大会をやれば石巻のPRにつながる」と喜んだ。
聖火リレー公式アンバサダーの田口さんは、被災地の子供を射撃会に招くことも計画。射撃場から復興を訴えていく。(畔川吉永)
J3八戸 本拠地が防災拠点

青森県八戸市の中心部から北へ約10キロ。太平洋岸の工業地帯を抜けると見えるのが、サッカーJ3八戸の本拠地だ。震災で6・2メートルの津波が押し寄せた多賀地区に16年、完成した。津波発生時に逃げ込める防災拠点でもある。
「あくまでも高台に逃げ遅れた時などの避難先。でも、一晩を過ごせる備えはある」。ピッチを見下ろす4階建ての管理棟で、J3八戸の
震災を教訓に、八戸市が約10ヘクタールに人工芝のピッチなども備えた多目的運動場として整備し、J3八戸が指定管理者を務める。Jリーグ参入への壁となったスタジアム施設基準を解決したのも、この競技場だった。
14日にはJ3参戦3季目が開幕する。「被災3県だけでなく、八戸も苦労してきた歴史がある。地域を盛り上げながら、万が一の時にはしっかり役割を果たしていく」と下平社長。試合をする舞台という役割に加え、Jリーグでは特異な防災のシンボルという使命を帯びている。(青柳庸介)