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勝田貴元がWRCサファリラリーで2位…日本人27年ぶり表彰台

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サファリラリーと日本チームの縁

サファリラリーで観客の前を走る勝田選手のヤリスWRC=トヨタ・ガズーレーシング提供
サファリラリーで観客の前を走る勝田選手のヤリスWRC=トヨタ・ガズーレーシング提供

 「世界三大ラリー」の一つとされ、1953年から歴史を刻んできたサファリラリー。勝田選手が躍進した今回は、実は19年ぶりにWRCとして開催された節目の大会だった。

 日本人にとっては、石原裕次郎主演の映画「栄光への5000キロ」(1969年)の題材となった頃から、その名を知られたスポーツイベントだ。映画は1966年の日産チームの躍進を描いている。この頃は開催国がケニアだけでなく、タンザニア、ウガンダを含む3か国にまたがり、5日間で5000キロを走破した。

1994年のサファリラリーで荒れ地を走る篠塚建次郎さんのランサー・エボリューション=三菱自動車提供
1994年のサファリラリーで荒れ地を走る篠塚建次郎さんのランサー・エボリューション=三菱自動車提供

 岩場あり、川あり、砂地あり。野生動物との衝突から車体を保護する「アニマルガード」や、川を渡る際にエンジンに水が入らないようにする「シュノーケル」で武装したサファリ仕様のマシンを駆る、類例のない戦いだった。対向車や歩行者がマシンの前に現れる事態を防ぐため、出場チームがヘリや小型機を飛ばしてドライバーに障害物の有無を知らせていたこともあった。スピード化が進み、最高速度は時速250キロに達したという。

 しかし、サファリラリーはWRCのカレンダーから2002年を最後に姿を消した。WRCが安全面を重視し、コンパクト化が進んだことが背景にある。サファリラリーは規模を縮小して存続したが、WRCの格下のイベントとして開催されてきた。伝統あるサファリラリーのWRC復帰を求める声に応えて、今季19年ぶりにカムバックした。

1994年のサファリラリーで2位に入った篠塚さん(左)=三菱自動車提供
1994年のサファリラリーで2位に入った篠塚さん(左)=三菱自動車提供

 往年のサファリラリーでは日本のチームが活躍してきた。日産に続き、三菱、トヨタ、スバルが総合優勝を果たし、1993年にはトヨタ・セリカが1~4位を独占した。上位3人は外国人だったが、4位は岩瀬晏弘さんの運転だった。そして1994年、日本ラリー界のレジェンド・篠塚建次郎さんが2位に入った。翌年には藤本吉郎さんがトヨタ・セリカを駆って「日本人初のサファリウィナー」となった。ただ、この年は別の枠組みで開催されたため、WRCとしては記録されていない。

 勝田選手の快挙について篠塚さんは「日本人がWRCでトップクラスのマシンに乗るには今も高い壁がある。競争力のあるマシンを操り実力で表彰台をもぎとった貴元君は本当に良くやった」と語る。今後については「日本の自動車メーカーが世界トップクラスのモータースポーツで好成績を残してもニュースにならない。日本人ドライバーが活躍してこそ多くのメディアが注目し、日本のファンを楽しませてくれる。貴元君には、これからも私たちをワクワクさせる走りを期待したい」とエールを送った。(読売新聞オンライン 長野浩一)

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