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松井大河さん(24)
読者の皆さんは、6年前の夏の、あの球史に残る一戦をご存じだろうか。高校野球ではあるが、甲子園ではない。兵庫県の「明石トーカロ球場」で行われた軟式野球の全国高校選手権・準決勝である。

2014年8月31日、「もう一つの甲子園」と呼ばれるこの大会のマウンドで、中京高(岐阜)のエース・松井大河さん(24)=当時18歳=は「ふっ」と息を吐いた。延長50回裏。嘘みたいな展開だが、1人で投げ抜いてきた。

外角低めに速球を投げ込む。これで709球目。相手の崇徳高(広島)打者のバットが空を切った。35個目の三振で、4日間の死闘は終わった。
この一戦は、後に高校野球のルールの見直しにつながった。松井さんは思う。「あの試合はつらく長い時間だった。でも、濃密な時間だった」
(社会部 蛭川裕太)
4日目 均衡は破れた…愚直に全力投球 周りが応えてくれる
相手の練習を一目見て、中京高(岐阜)3年のエース・松井大河さん(24)=当時18歳=は思った。「チャラついてるな」
相手チームは チャラい長髪 負けるはずない
2014年8月28日、軟式野球の全国高校選手権の準決勝。自分たちは全員丸刈りなのに、相手の崇徳高(広島)は皆、髪を伸ばしているのがまず気に入らない。それに和気あいあいと、笑ってキャッチボールをしていた。
それまで6度の全国優勝を誇った中京高にとって、崇徳高は軟式ではほぼ無名の存在。「自分たちの野球ができれば負けるはずがない」。松井さんには自信があった。
が、試合が始まった途端、相手の印象は大きく変わった。細身の崇徳高・石岡
「これは投げ合いになる」。松井さんは覚悟した。
一緒に日本一へ 監督に導かれ選んだ軟式の道
岐阜県多治見市で育った松井さんは、幼稚園の頃から野球一筋。中学で125キロを投げ、県の選抜メンバーに選ばれた。「高校では甲子園を目指そうかな」と考えていた。
そんな時、中京高の平中亮太監督(39)が中学校を訪ねてきて言った。「軟式で、一緒に日本一を目指さないか?」
全国の高校が一斉に甲子園という大舞台を目指す硬式野球では、日本一どころか県大会を突破できるかどうかも分からない。でも軟式なら……。父親同席のもとで話を聞いた松井さん。心がぐらっと揺れた時、監督は持参した背番号「1」のゼッケンを差し出した。黒い油性ペンで、自筆のメッセージが書き込まれていた。
「松井君へ 君と一緒に再び日本一を勝ち取りたい 中途半端で終わってほしくない」
ダメ押しの一手だった。中京高で日本一になる。松井さんの目標は定まった。
監督がエースにこだわったのにはわけがある。軟式は硬式に比べ「点が入りにくい」という特徴がある。ゴム製で中が空洞の軟式球は、硬式球とは違って打球は遠くに飛ばない。バントや盗塁、「たたき」と呼ばれるたたきつけるバッティングで1点をもぎ取る戦いになる。
1点の重みが圧倒的に大きい軟式野球。堅い守備に加え、ピンチでも動じない、絶対的なエースが必要だった。「松井には、ランナーを抱えても際どいコースを攻める気持ちの強さがあった」。平中監督は振り返る。

崇徳高との準決勝は、緊迫の投手戦となった。初日は延長15回で0―0。2日目は延長16回からスタートした。
当時、硬式野球は延長15回で引き分け再試合だが、軟式は違う。「継続試合(サスペンデッド制)」が採用されていた。再試合ではなく、前日からの試合の続き。先攻の中京高は毎回、「サヨナラ負け」のプレッシャーを背負う。
延長17回裏。攻める崇徳高はバントや盗塁で一死二、三塁。1点入れば終わりだ。
「あれをやるなら、今しかない」。守る中京高の西山裕基捕手(24)=当時18歳=は、ベンチの平中監督を見た。思った通り、監督から「あれ」のサインが出た。