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[第101回全国高校野球]第5日(10日)1・2回戦…熊本工12回サヨナラ弾

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 1回戦の残り2試合は、関東一(東東京)が日本文理(新潟)との打撃戦を制し、熊本工(熊本)は延長十二回にサヨナラ本塁打で山梨学院(山梨)に勝利した。第3試合から2回戦に入り、岡山学芸館(岡山)が広島商(広島)に逆転勝ちし、春夏通じて甲子園初勝利を飾った。

1回戦

日本文理(新潟)

101 300 100―6

004 201 21X―10

関東一(東東京)

 関東一が15安打で打ち勝った。三回に平泉のソロ、土屋の3点二塁打で逆転し、四回は平泉、野口の連続適時打で再逆転。日本文理は四回に桑原、長坂の適時打で逆転したが、投手陣が踏ん張れず。

5回から登板し、日本文理の反撃を1点に抑えた関東一・2番手の谷
5回から登板し、日本文理の反撃を1点に抑えた関東一・2番手の谷

関東一猛攻 15安打10点…9回のピンチ 直球押し切る

 関東一10―6日本文理

 四回までに5点を奪った相手打線の勢いを、関東一の2番手・谷が止めた。五回から登板し、失策絡みの1失点だけ。しかし、4点リードで迎えた九回、最後の関門が待っていた。

 先頭に死球を与え、内野ゴロを挟んで連続四球で満塁。心配されていた制球難が出た。本塁打で同点だ。打席には、この試合で3打点の5番南。観客席が沸いた。制球難は続き、3ボールに。ここで谷が開き直った。「コースは考えず、とにかく低めへ」と投げた142キロの直球がビシッと決まった。この1球で落ち着いた。「指先の感覚がいい。真っすぐで押せる」。さらに直球を続け、145キロで空振り三振に。代打渡辺も4球すべて直球で中飛に仕留め、勝利をつかんだ。

 抜群の球威がある谷の課題は精神面だった。捕手の野口は「ピンチになると焦りが出てしまうことがある」と言う。大舞台での土壇場を強い気持ちで乗り越え、米沢監督を「こんなに落ち着いている谷を見たのは初めて」と、驚かせた。

 最終回一死満塁、3ボール。そこからのストレート勝負7球は、今後の谷にとって大きな財産となるだろう。(塩見要次郎)

日本文理エース 3打点にも涙

 

 日本文理のエース南が、打撃でチームに貢献した。一回一死満塁で外寄りの球を中前へ運んで先制点をもぎとり、三回二死二塁では左前打で追加点を挙げるなど3打点を挙げた。一方、投球は、直球、変化球ともに高めに浮き、三回には本塁打などの長打で逆転を許した。4回6失点での降板に「適時打はうれしかったが、抑えられなかったことが悔しい」と涙を浮かべた。

 日本文理・鈴木監督「得点機により多くの得点を奪うのが全国で勝つチーム。打つべき時にきちんと打つ力の差が出た」

12回熊本工1死、山口がサヨナラ本塁打を放つ=西孝高撮影
12回熊本工1死、山口がサヨナラ本塁打を放つ=西孝高撮影

[クローズアップ]7番初球狙い打ち

山梨学院(山梨)

200 000 000 000 ―2

000 200 000 001X―3

熊本工(熊本)=延長12回

 熊本工がサヨナラ勝ち。四回、森、青山の連続適時二塁打で追いつき、延長十二回に山口がソロを放った。山梨学院は一回、重盗などで2点を先行したが、その後は再三の得点機を生かせなかった。

 熊本工3―2山梨学院

 逆風をものともせず、打球はあっという間にバックスクリーンへ消えた。一振りで試合を決めた熊本工の山口は「頭の中が真っ白です」と、試合後、しばらくたっても信じられないといった表情だった。

 延長十二回一死走者なしで打席へ。後ろにつなぐ意識で、初球の外角直球にバットがすんなりと出た。「感触がないぐらい芯に当たった」。手を回す二塁塁審の姿を見て気がついた。

 山梨学院の先発は左腕の相沢だが、熊本工はスタメンに左打者を7人並べた。田島監督は「県大会から勝ち上がってきた打順を変えるつもりはなかった」と説明する。内外角に投げ分ける相沢の投球に左打者は苦戦し、チームの連打は2点を奪った四回だけだった。

 期待がかかる右打者の一人、山口はこの打席まで4打数無安打。だが、手応えはあった。「ミスショットが多いだけで、打席を重ねれば打てると思っていた」。さらに打順は警戒心が薄まる下位打線の7番。「甘い球が来ると待っていた」

 対する相沢は六、七回からふくらはぎがつりそうになり、治療を受けたが、交代できない事情があった。山梨大会で投球回数がチーム最多だった佐藤は、右肘を痛め、投げられる状態ではなかった。相沢の140球目を、山口は完璧に狙い打った。

 高校通算本塁打は「7、8本ぐらい」で決して長距離打者ではないが、試合前に本塁打を打ちたいと意気込んでいたことを思い出した。「有言実行でうれしい」。ようやく表情が緩んだ。(古藤篤)

 ◆熊本工の山口が大会通算21本目のサヨナラ本塁打 10日の山梨学院戦の延長十二回に放った。2018年に矢野(済美)が星稜戦で記録して以来。

山梨学院主砲 好機凡退悔やむ

 山梨学院の選手たちはサヨナラ負けが決まっても、しばらくその場から動けなかった。スラッガーとして注目を集めた野村も、右翼から本塁打を見つめ、「野球の怖さを知った」とうなだれた。昨夏、今春の甲子園で本塁打を放ち、この日も3安打したが、「自分の打撃はできていなかった」。延長十二回の好機では凡退し、「相沢が好投していたのに点が取れず、自分で決めようと気持ちが入りすぎた」と唇をかんだ。

すごい打球だった

 熊本工・田島監督「延長十一回あたりからタイブレイクも覚悟していた。(山口のサヨナラ本塁打は)すごい打球だった」

 山梨学院・吉田監督「勝ち負けを超えて、選手たちの頑張りを見られた。すがすがしく、すっきりした気持ちです」

8回岡山学芸館2死1、3塁、岩端が逆転の2点適時2塁打を放つ(投手・中岡)
8回岡山学芸館2死1、3塁、岩端が逆転の2点適時2塁打を放つ(投手・中岡)

岡山学芸館 動じず逆転…先発けが 劣勢はねのけ

2回戦

広島商(広島)

010 012 100―5

100 001 13X―6

岡山学芸館(岡山)

 岡山学芸館は2点を追う八回、適時内野安打と岩端の2点二塁打で逆転。先発・丹羽が一回に負傷して交代したが、救援の中川が粘り強く投げた。広島商は終盤に堅守が綻び、逃げ切れなかった。

 岡山学芸館6―5広島商

 試練は突然訪れた。試合開始から11球目。強烈なピッチャー返しが、岡山学芸館の先発・丹羽の顔面を襲った。試合は劣勢のうちに進んだ。それでも選手たちの目は輝きを失わなかった。

 2番金城は堅守を誇る広島商内野陣の狙い所を見つけていた。「三塁手の出足が遅い」。2点を追う八回、先頭の好田こうだが安打で出塁すると、三塁線へバント安打を決めた。勢いを殺した「100点満点のバント」(金城)が、追撃の舞台を整えた。

 中川の内野安打で1点差に迫ると、岩端が左越えの2点二塁打で試合をひっくり返した。岩端は岡山大会で17打数4安打と不振だったが、体重を後ろに残すフォームに改造し、変化球への対応を磨いてきた。殊勲の打席では外角高めの変化球を見事に流し打った。

 岡山大会6試合のうち、3試合は逆転で制している。逆境や不振にもうつむくことなく、勝機を探り続け、目標の甲子園で1勝をもぎ取った。(北野正樹)

 岡山学芸館・佐藤監督「中盤、終盤に失点したら、普通は気落ちするが、子どもたちは笑っていた。冷静に、勝負を楽しんでくれた」

スクイズ・好守 「広商野球」見せた

 広島商は終盤に逆転負けしたものの、中盤までは攻守に隙のない「広商野球」を展開した。二回一死一、三塁で杉山が初球を投手と一塁手の間に転がす絶妙のスクイズを決めて同点。六回の守備では安打を放った打者の一塁オーバーランを見逃さずにアウトにして最少失点にとどめた。夏の甲子園31年ぶりの勝利は逃したが、杉山は「スクイズなど広商の野球はできた。八回の守りが心残り」と左翼手として頭上を越された逆転の二塁打を悔やんだ。

顔面に打球直撃 ベンチ戻り応援

 顔面に打球が直撃した岡山学芸館の先発丹羽は、マウンドでうずくまった。球場が騒然とする中、担架で運ばれ、その裏の打席で代打を送られた。

 兵庫県西宮市内の病院で検査を受けたところ、左顔面の骨折と診断。七回には球場へ戻りベンチから戦況を見守った丹羽は「歩くと響くぐらい痛いけど、勝ってくれると信じていた」と声を詰まらせた。

 広島商・荒谷監督「夏の大会に出ることの素晴らしさと怖さが勉強になった。それを持ち帰り、新チームで頑張りたい」

[想う 甲子園]死闘18回 前向くこと教わった…元日本高野連 審判規則委員長 木嶋一黄さん

 1979年夏 箕島4-3星稜(延長18回)

 高校時代、甲子園に出られなかっただけに、審判として初めて出場したときはうれしかったですね。でも、あの試合がなければ25年も続けられなかった。1979年夏、箕島(和歌山)―星稜(石川)戦です。

 甲子園で審判を始めて4年目。直前にミスが重なり、「自信がなくなりました」と先輩に休養を申し出ていましたが、「あと1試合やってみろ」と言われ、二塁塁審につきました。

 延長戦に入り、箕島が十二、十六回といずれも二死から奇跡的に追いついた。当時の規定では延長は十八回まで。決着させたくない、再試合になってほしいと見守っていました。

 結局、十八回に箕島がサヨナラ勝ち。試合終了はまさにノーサイド、両校選手が健闘をたたえ合った。試合後、握手はするなと言われていた頃ですが、球審の永野(元玄)さんが「きょうは成り行きに任せましょう」と言われた。今では当たり前の光景ですが、あの試合がきっかけでした。

 私には球史に残る試合を共有できた喜びとともに、やはり審判を続けたいという思いがこみ上げてきました。リードされても諦めずに戦い抜いた選手たちに、どんな時でも前向きになれと教えられました。感謝しかありません。

 佐伯達夫・元日本高校野球連盟会長が、審判は球児の「先生役」であれと言われました。その言葉を後輩にも受け継いでほしい。心を込めたジャッジ、選手への気配りが求められます。審判の仕事にゴールはありません。(聞き手・古谷禎一)

 きじま・いっこう 関大一高、関大卒。1974年夏の大阪大会で審判を始め、甲子園では76年夏から2000年夏まで務めた。元日本高校野球連盟審判規則委員長。70歳。                ◇

 長い歴史を刻んできた夏の甲子園大会。想いを寄せる人たちに語ってもらう。

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735987 0 2019/08/11 05:00:00 2021/02/23 18:04:54 木嶋一黄・元日本高野連審判規則委員長(7月12日) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/08/20190810-OYT1I50083-T.jpg?type=thumbnail

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