「セ界最大の逆転」「快進撃の巨人」…あの時の原ジャイアンツ優勝は?
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新型コロナウイルスの感染拡大の影響で約3か月遅れて開幕したプロ野球は30日、優勝へのマジックナンバーを「1」としていた巨人のセ・リーグ連覇が決まりました。9月中旬に早々とマジック「38」を点灯させましたが、優勝を目前にして今月29日のDeNA戦まで5連敗。30日のヤクルト戦(東京ドーム)も、歓喜の瞬間は十回表をしのいで引き分け以上が確定したことでもたらされました(試合は3―3の引き分け)。苦しみながらのゴールとなりましたが、通算14季目の指揮を執る原辰徳監督(62)にとって、新人監督で頂点を極めた2002年から数えて実に9度目のリーグ制覇です。巨人が21世紀に刻んだ優勝とピタリと重なるその歩みを、当時の読売新聞の朝刊や号外に躍った見出しと指揮官の言葉で振り返ってみました。(読売新聞オンライン)
原・巨人 独走ゴール(2002年)
2002年の巨人は8月13日にマジック「34」が点灯したものの、ヤクルトの踏ん張りもあって、マジックは2度も消滅した。しかし、9月11日の中日戦で桑田が4年ぶりの完封勝利を飾り、マジック「15」が点灯してからは順調にVロードを
優勝決定日9月24日 2―3阪神(132試合目、甲子園球場)

5時間1分にわたる死闘だった。巨人は二回に江藤の右前適時打で先制。四回も阿部がソロを放ったが、六回に阪神・今岡のソロで1点差とされると、九回には河原が浜中に同点ソロを浴びた。延長後も再三の好機に決定打を欠き、十二回、一死満塁から前田が暴投、サヨナラ負けを喫した。しかし、試合中にマジック対象チームの2位ヤクルトが中日に敗れ、2年ぶり30度目(1リーグ時代を含めると39度目)のリーグ優勝が決まった。
原監督「3月30日の開幕以来、死力を尽くして戦ってきた結果がリーグ制覇につながった。3連敗からのスタートだったが、我々は若いチームだし、一戦必勝という戦い方しか知らない。それをやり抜いた結果がこうなったと信じています。選手たちには、巨人らしい素晴らしい技とスピリットを出してくれたことに感謝してます。(胴上げの感想は)どういう言葉で表現していいか分からない。でもうれしいものですね」
執念のスパート(07年)

原監督が復帰して2シーズン目の2007年、巨人は5年ぶり31度目(1リーグ時代を含めると40度目)の優勝を飾った。4月下旬から首位を走り、快調に貯金を増やした。しかし、7月に勢いが落ち、8月以降は前年の覇者・中日と、阪神との三つどもえの混戦となった。9月に入ると、7度も首位が入れ替わるなど、歴史的なデッドヒートとなったが、巨人は9月24日からの中日との最終決戦を2勝1敗で勝ち越し、大きく優勝に前進した。
10月2日 5―4ヤクルト(143試合目、東京ドーム)
優勝マジックを「1」としていた巨人は1点差の九回、二死満塁から清水の遊撃内野安打とヤクルト・宮本の悪送球の間に2人の走者がかえり、劇的な逆転サヨナラ勝ちで優勝を決めた。救援の野間口は4連勝。
原監督「選手は気持ちという部分で非常に強かった。4年ほど、選手も私も悔しかったし、ファンも悔しかった。その悔しさをしっかりぶつけて戦ってくれた。その意味では最高。2月1日に集まった瞬間からこの目標に向かって戦ってきた。最後の最後まで戦ってくれたことに感謝したい。本当にファンの皆さまありがとうございます。我々はファンの皆さまと共に強くたくましくあります」
セ界最大の逆転(08年)

2008年の巨人は開幕5連敗と出足でつまずいた。7月8日には首位を独走していた阪神に13ゲーム差をつけられたが、若手の積極的な起用で勢いをつけて反撃に転じた。9月には球団として32年ぶりの12連勝を記録し、阪神との一騎打ちに持ち込んだ。
10月10日 3―1ヤクルト(143試合目、神宮球場)
優勝マジックを「2」としていた巨人は四回、阿部のソロ本塁打で先制。同点の五回にはヤクルト・ゴンザレスの暴投で勝ち越し、六回に阿部が適時二塁打。グライシンガーは8回2/3を1失点で17勝目。2位の阪神が横浜に敗れた。巨人の連覇は1989、90年以来。13ゲーム差を逆転しての優勝は、96年に長嶋茂雄監督率いる巨人が11・5ゲーム差をひっくり返した「メークドラマ」を上回るセ・リーグ新記録となった。
原監督「今季は阪神が非常に強く、前半戦は離されたが、一人もあきらめることなく、がけっぷちで戦ってくれた。勝負の厳しさ、覚悟を感じさせられたペナントレースだった。全員の勝利だと思う。今はまだクライマックスシリーズ(CS)のことよりも、143試合目に決められたことに監督としてホッとしている」
巨人V3 「V9」以来(09年)
2009年は開幕2連敗から立て直し、4月11日に首位に浮上。3年目で1番に定着した坂本や4番・ラミレスらの活躍で、首位を一度も譲らず、安定した戦いぶり。
9月23日 5―3中日(133試合目、東京ドーム)

優勝マジックを「1」としていた巨人は二回に谷の本塁打で先制。四、七回にラミレスの本塁打と適時打などで加点した。オビスポが5勝目。セ・リーグの3連覇は巨人のV9(1965~73年)以来で、巨人としては4度目だった。
原監督「今年はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)もあり、開幕前は不安もあったが、選手が本当に強くなって、一人一人がチームを引っ張ってくれた。(V9以来の3連覇に)先輩方に一歩近付いたが、これも通過点。さらなる熱い熱い戦いに全力、死力を尽くして戦いたい」
Gぶっちぎり(12年)
2012年の巨人は4月に2度の5連敗を喫し、最下位に低迷したが、主将・阿部の活躍などで盛り返し、パ・リーグとの交流戦で初優勝。夏場以降は独走で優勝した。負け越し「7」からの逆転優勝は、球団史上初めてだった。
9月21日 6―4ヤクルト(133試合目、東京ドーム)

マジックナンバーを「1」としていた巨人は同点の六回、長野が決勝の2点適時打を放った。内海は7連勝で14勝目。西村は30セーブ目。
原監督「このチームはまだまだ途上で、今日より明日、明日よりあさってと、非常に可能性を感じさせてくれる。頼もしいし、非常にスリリングなチームだ。優勝しても、志半ば、通過点、という感じがする」
快進撃の巨人(13年)

2013年の巨人は球団タイ記録の開幕7連勝で勢いに乗ると、菅野やロペスら新戦力の活躍もあり、8月上旬に優勝マジックを点灯させ、後半戦は独走だった。
9月22日 2―1広島(133試合目、東京ドーム)
優勝決定が東京ドーム内に伝わったのは、一回裏の巨人の攻撃が始まる直前。デーゲームの阪神の敗戦が電光掲示板に表示されると、ファンは総立ちに。二回、加藤が先制適時打。三回に追いつかれたが、四回に長野が勝ち越し打。九回は、「ペナントレースで一番の働きをした」(原監督)という山口、マシソン、西村の3人で締め、勝利で優勝に花を添えた。原監督は長嶋終身名誉監督を上回る6度目のリーグ優勝を果たした。
原監督「まだ戦い半ばだが、長いペナントレースを勝ち抜くことが一番険しく難しい。全員が勝利のために、時には自己犠牲でチームのためにしっかり戦ってくれた。見事な選手たちだと思う」
父に贈るV3(14年)

2014年は主力打者の不振で得点力不足に苦しんだが、積極的なオーダー変更で活性化を図り、2年目の菅野ら投手陣の踏ん張りもあって、接戦で強さを発揮した。
9月26日 6―3DeNA(137試合目、横浜スタジアム)
マジックナンバーを「2」としていた巨人は四回、亀井の右前打、片岡の2点適時打で3点先行。六回にアンダーソンと村田の本塁打で加点。甲子園球場で2位広島が阪神に敗れた直後、マシソンが3点リードを守った瞬間、3連覇が決まった。内海は八回途中3失点で7勝目。原監督は2007~09年以来、2度目のリーグ3連覇を達成した。
(以下は9月27日付の読売新聞朝刊社会面から)
インタビューに臨んだ原監督は、「この横浜スタジアムで胴上げできたことを(父は)大変喜んでいると思います」と目に涙を浮かべ、声を詰まらせた。今シーズン途中の5月、神奈川の東海大相模高や東海大で監督を務めた父、貢氏が亡くなった。同じチームに所属し、親子
帰ってきた 強いG(19年)
2019年の巨人は、一時は「10・5」に開いた2位とのゲーム差が「0・5」まで迫られたが、夏場に突き放して首位を守り、5年ぶり37度目(1リーグ時代を含め46度目)のリーグ優勝を決めた。
9月21日 3―2DeNA(138試合目、横浜スタジアム)

マジックナンバーを「2」としていた巨人は2位のDeNAと直接対決。九回に小林の適時打で追いつくと、延長十回、増田大が勝ち越し打を放った。プロ初登板を先発で飾ったドラフト6位の高卒新人右腕・戸郷が五回途中まで投げ2失点の好投。4季ぶりに指揮を執った原監督は通算13シーズン目で8度目の優勝となった。
原監督「(涙を流し)非常に新鮮ですね。年をとるとちょっと涙腺が弱くなるのかもしれませんね。すべて固定観念を捨ててきた。今までにない素晴らしいチームだと思います」
(以下は9月22日付の読売新聞朝刊社会面から)
優勝の瞬間、丸佳浩選手はセンターからマウンドに駆けつけ、人さし指を突き上げながら笑顔を見せた。主将の坂本勇人選手とともに打線の核として活躍し、チームを5年ぶりの悲願に導いた。昨年(2018年)オフ、3連覇を成し遂げた広島からフリーエージェント宣言した。11年間在籍した広島に残留するか、高い評価で力を必要としてくれる他球団へ移籍するか――。約3週間、悩み抜いた末、巨人入りを決めた。
「子供の頃からプロ野球を見に行くのは東京ドーム。小さい時からの憧れや夢が決め手となった」。巨人との交渉で同席した原監督の「長い野球人生の中で、絶対にプラスになる」という言葉に心を動かされた。決断を後押ししたのが、同じ千葉県出身の長嶋茂雄・終身名誉監督から送られた直筆の手紙だった。「一緒に野球ができたら、僕としてもうれしい」。レジェンドから熱いメッセージを受けた。
「自分のプレーをしっかりやりきれれば、必ず期待に応えられると信じている」。シーズンを通してグラウンドに立ち続けたバットマンに、巨人ファンは惜しみない拍手を送った。