[掛布雅之物語]<10>西武に去る田淵から最後の言葉「お前は、俺のようになっちゃだめだ」
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1978年のシーズン終了後、長く阪神で4番を張ってきた田淵幸一の西武へのトレードが、センセーショナルに報じられた。法大からドラフト1位で入団した田淵は、7年目の75年に43本塁打を放ち、巨人・王貞治の14年連続本塁打王を阻止して初のタイトルを獲得。掛布は、その背中を追い続けた大先輩から告げられた最後の言葉が忘れられない。

「お前は、俺のようになっちゃだめだ。縦じまのユニホームを着続けろ」
人気球団がゆえ、まばゆいスポットライトを浴びる一方、多くのバッシングを受ける姿も間近で見てきた。「田淵さんはいつもチームの壁になって、どんな批判も正面から受け止めた。その覚悟が俺にあるのか」
南海(現ソフトバンク)でプレーし、広島でコーチを務めたドン・ブレイザーが監督に就任して指揮した79年、ポスト・田淵の期待を背負うことになった掛布に、ある変化が起きた。真っすぐに立てたバットのグリップを顔の真横に置いて、弓を引くようにテイクバックする打撃フォームで打ち始めたのだ。
「この体で、もっと本塁打を打つにはバットを大きく動かしてボールを強くたたくのが理想的なんじゃないかと」。変化に挑んだ姿勢こそ、掛布の覚悟にほかならなかった。(敬称略、随時掲載)