読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

[掛布雅之物語]<18>「清原を取りたい」監督が交代、消えた一塁コンバート計画

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 入団間もない頃、コーチだった安藤統男もとおに「捕球から送球までの動作が遅い」と指摘され、試合中のベンチで、グラブからボールを素早く取り出す練習をシーズンを通してやり抜いた。

 選手寮に帰れば、自室の天井に書いた丸い目印を目がけ、ベッドにあおむけになってスナップを利かせてボールをぶつけた。

 守備でも球界を代表する名手となった掛布は、1985年、三塁手で6度目のダイヤモンドグラブ(現ゴールデン・グラブ)賞を獲得する。「全てが無駄じゃなかったと。何かを省いていたら、こんな野球人生を歩めなかったかもしれない」

 だが、掛布にもコンバートの話はあった。84年、監督だった安藤に、こう相談されたという。「清原を取りたい。そうなれば、一塁へ回ってもいいやろう?」

 85年のドラフト会議で、大阪・PL学園の4番を打つ清原和博を指名し、三塁手として育成するという考えが、球団にはあった。安藤は言った。「(守備の負担が少ない)一塁なら、お前の野球人生も長くなるやろう」。結局、監督が吉田義男に交代し、この話は立ち消えとなったが、掛布は実際にファーストミットも用意していた。

左手に死球を受けた掛布(中央)(1986年4月)
左手に死球を受けた掛布(中央)(1986年4月)

 日本一になった翌86年、掛布を相次ぐ試練が襲った。4月の中日戦で左手に死球を受けて親指の付け根を骨折、全治1か月の診断を受け、連続試合出場が663で止まる。復帰後も右肩負傷などで調子は上がらず、出場は13年間で最も少ない67試合にとどまった。(敬称略、随時掲載)

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
1913594 0 プロ野球 2021/03/16 15:00:00 2021/03/16 15:00:00 中日の斎藤が投げた球が掛布の左手に直撃する死球になった(1986年4月)中日の斎藤が投げた球が掛布の左手に直撃する死球になった(1986年4月) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210316-OYT1I50046-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)