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掛布雅之に投じた「一生悔いが残る1球」とは…元巨人・江川卓、宿命のライバルを語る

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[掛布雅之物語]番外編

 プロ野球の阪神で「ミスタータイガース」と呼ばれた強打者・掛布雅之(65)の往年のライバルを一人挙げるなら、巨人の快速球右腕・江川卓(65)をおいてほかにいない。昭和末期、両チームがぶつかる「伝統の一戦」を彩ったエースと主砲の一騎打ち。同い年の2人は今も、解説者やコメンテーターとして、野球に携わっている。火花を散らした対決の思い出を、江川が語った。(敬称略、聞き手=込山駿・読売新聞オンライン)

江川卓(左、1981年撮影)と掛布雅之(右、85年撮影)、それぞれ巨人と阪神を日本一に導いた絶頂期の雄姿
江川卓(左、1981年撮影)と掛布雅之(右、85年撮影)、それぞれ巨人と阪神を日本一に導いた絶頂期の雄姿

怪物が先輩捕手のサインに従った理由

 「1979年、僕はプロデビューしました。掛布とは、その年の後楽園球場で初めて対決しています。あの時の1球には、プロ野球人生で一番悔いが残っているんです」

 栃木・作新学院高時代に甲子園で「怪物」と騒がれた江川は、法政大学でプレーし、さらにアメリカへ約1年間野球留学するなどの曲折も経て、巨人入団にこぎ着けた。一方の掛布は千葉・習志野高から阪神に入り、79年にはもうプロ6年目の中軸打者になっていたが、江川のプロ初登板だった6月2日の阪神戦は欠場していた。2人の初対決が実現したのは約1か月後、7月7日のことだ。

 初回、二死ランナーなし。3番掛布を左打席に迎えた。投打の勝負に、お互いが集中できる状況だった。

 「初球です。キャッチャーの吉田孝司さんから「カーブ」のサインが出ました。それに従って、僕はカーブを投げてしまったんですよね……。サインに首を振れなかった。吉田さんが大先輩だということもあります。けれども、僕の性格からいって、あの場面は首を振って真っすぐです。僕も結構、球は速かった。2年目以降だったら、初対決の初球にカーブは投げません」

 「前の年、僕は1年間アメリカに行っていて、実戦から遠ざかっていました。その影響で、自分が(本調子に)戻っていないと感じたまま、掛布との初対決を迎えてしまった。あの時は自分のストレートを100%信用できなかったんですね」

79年7月7日、江川との初対決で掛布が右越えホームラン
79年7月7日、江川との初対決で掛布が右越えホームラン

 そんな初球だが、痛打されたわけではない。掛布は見送り、ボールと判定されている。ボールが先行したこの勝負は、さらに江川がカウントを悪くしてから決着がつく。掛布のバットが火を噴いた。

 「ホームランを浴びました。打たれたのもカーブです。でも、これはインコース低めいっぱいを突く、すごくいい球でした。僕は縦に落ちるカーブのキレも悪くなかったピッチャーですけど、あれはすごくうまく打たれましたね」

 江川は、ライトスタンドへ運ばれたカーブについては相手のバッティングを称賛するばかり。同じカーブでも、悔やみ続けている1球とは、あくまでも初球のボール球のほうだ。これから何度も顔を合わせることになりそうな、手ごわい打者との初対決で、最初に投げるべき球種は何か。事前に相当、強く意識していたことがうかがえる。だからこそ、弱気な選択に流された自分を、今でも許せない。

 「自信がなかったんですね。タイムスリップができるなら、アイツとの初対決の前に戻って、やり直したい。首を振ってストレートを投げたい。僕は一生、あの1球が悔しいだろうと思います」

 ちなみに江川はこの日、同点の七回途中に2失点でマウンドを降りる。試合は巨人が王貞治の決勝アーチで、4-3の勝利を収めた。この年の江川の成績は9勝10敗にとどまったが、翌年から引退まで8シーズン続けて2桁勝利を積み重ねた。掛布は79年、48本塁打でホームラン王に輝き、81年から阪神の4番に定着した。

84年7月24日、オールスター第3戦で力投する江川。8連続三振を奪ってMVPに選ばれた
84年7月24日、オールスター第3戦で力投する江川。8連続三振を奪ってMVPに選ばれた

脅威の3連発「あの時の掛布がこんなに」

 江川と掛布のかかわりは、高校時代にさかのぼる。

 「習志野が作新学院に遠征してきた練習試合がありました。僕たち作新はダブルヘッダーで、2試合目が習志野戦でした。その試合、僕はリリーフで投げています。でも掛布は、先発したピッチャーからデッドボールを受けて、引っ込んでいました。だから、彼は僕の投球をベンチで見ていただけで、打席には入っていません。ただ、その時に『習志野に掛布というやつがいるな』というのは、僕の頭に入っていました」

 「その後、僕はビックリさせられます。プロ入りする前の年(1978年)、テレビで見たオールスター戦で、同い年のバッターが3打席連続ホームランをやってのけました。オールスターといったら、プロ中のプロが集まる試合です。『あの時の掛布が、こんなにすごくなっているのか』。対戦がすごく楽しみになりました」

インハイの直球勝負あるのみ! ただし初球は…

 プロ入り後、2人はプロ野球の醍醐味を感じさせる勝負を重ねた。江川の代名詞は、ホップするような独特の球筋を描く快速球だ。その球を、掛布は全体重をバットに乗せたフルスイングで迎え撃つ。三振やポップフライでねじ伏せるか、豪快なホームランで打ち砕くか。走者の有無や試合展開、優勝争いの行方などといった背景を抜きにして、当時のファンは力と力のぶつかり合いに酔いしれた。

 「掛布とは、一番得意なインコース高めのストレートで勝負です。彼もそれを分かっていて、インハイのストレートだけを待ってフルスイングしてくる。僕は三振を、彼はホームランを狙う。いつもそういう勝負でした。楽しかったですね。阪神戦の掛布との勝負を、僕は一番楽しみにしていました」

阪神が日本一に輝いた85年、6月の巨人戦で掛布が江川から本塁打を放つ
阪神が日本一に輝いた85年、6月の巨人戦で掛布が江川から本塁打を放つ

 とはいえ――。江川が初対決以降、掛布にはカーブを封印し、直球一本勝負を貫いたのかというと、そんなことは全然ない。

 「掛布への初球は、いつもカーブを投げていました。ど真ん中に7割くらいの力で、あんまり曲がらないカーブ。どうぞ打ってください、っていう球なんですけど、アイツはそれを絶対に打ってこない。2球目以降にくるストレートしか頭にない」

 「じゃんけんで『最初はグー』とやるのに近い感覚でしょうかね。話し合って決めたわけではないのに、お互いに相手の性格がわかっているから、初球はカーブという暗黙の了解が、いつの間にかできていたんです」

 真剣勝負に、ちょっとした遊び心の色あいが加わる。その辺りが、当時の一流スポーツ選手たちらしい味わい深さと言うべきだろう。

 1983年の夏ごろに江川が肩を痛め、球速やスタミナが少しずつ落ち始めてからは、初球のストレートが痛打を浴びるといったケースもあったようだ。しかし、全盛期には2人にしか踏み込めない領域で通じ合い、お約束も楽しみながら戦っていたらしい。

胸に残るホームラン「逆方向スピン」の謎

 江川と掛布の9年間の対戦成績は、打率2割8分7厘(167打数48安打)。本塁打14、打点33。四死球18、三振21となっている。江川の胸に深く刻まれているアーチは、後楽園球場で1982年頃に打たれた1本のソロ本塁打だという。

82年4月16日、左越え本塁打を放ってベースを回る掛布。打たれた江川は打球の方向を見て立ち尽くす
82年4月16日、左越え本塁打を放ってベースを回る掛布。打たれた江川は打球の方向を見て立ち尽くす

 「アウトコース高めのストレートを、レフトスタンドに運ばれたんです。左バッターがレフト方向に打つと、ボールには普通、(地面と垂直に近い回転軸で)時計と逆回りのスピンがかかって、切れていきます。ところが、彼はあの打球に、時計回りのスピンをかけた。だからファウルにならず、ホームランになりました」

 「あれは、ファウルを打たせてストライクを稼ぐ『カウント球』でした。球速で相手打者のバットを押し込んでファウルを打たせるには、あのアウトハイが一番いい。コースも球の走りも、狙い通りに投げられました。そんな球を、掛布はホームランにしたんです。打球に逆方向のスピンをかけるなんて、『すごい技術だな』と感心しましたね。いろんな強打者にホームランを浴びましたけど、僕のあの球をあんなふうに打ったのは、後にも先にも掛布だけです」

 掛布は、レフト方向に打球を飛ばす際の自身のバッティングについて「ボールの内側にバットを入れて、外側をたたく」と、読売新聞大阪運動部の今回のインタビューで語っている。矛盾するとも思える二つの要素を一振りに込めた不思議な表現だが、「逆方向スピンのホームラン」という江川の話とは通じるものがあるように聞こえる。

 「そんな話をしていましたか。なるほど、そういう掛布ならではの技術があるのかもしれませんね……」

88年3月18日、東京ドームでの引退式で江川と掛布が握手を交わす
88年3月18日、東京ドームでの引退式で江川と掛布が握手を交わす

通じ合う無二のライバル

 伝統あるチームを互いに背負った現役時代は、どんな交流を持っていたのか。

 「初めて掛布と会話をしたのは、僕が2年目のオールスター戦でした。2人とも車好きなので、車の話をしたのを覚えています。でも、それぐらいですね。現役時代は、野球の話なんて、全くしたことがありませんでした。他球団の選手と会話をすると、僕の性格が相手に分かっちゃうのが嫌だったんですよ。野球のプレーには性格が表れますから『アイツなら、次の球はこうくるな』なんて読まれてしまいます。だから、僕は現役時代、ぶっきらぼうに黙っていることが多かったんですよね。ただ、野球選手はプレーで対話しているんです。言葉を交わさなくても、当時対戦した選手の性格はかなり分かっているつもりでしたし、考えも読めていました。それが今、解説者の仕事にも生かせている気がします」

 「掛布とは引退後、よくテレビ解説でコンビを組みます。対談もたびたびやってきました。話してみたら『ああ、やっぱりこういう性格だったんだな』と思いましたし、今は仲良く話をしますよ」

 江川は掛布より1年早く、1987年限りでユニホームを脱いだ。88年3月、東京ドームのこけら落としイベントだった江川の引退式で、相手打者を務めて最後の1投を見届けたのは、掛布だった。やはり江川が「ライバル」と呼ぶ打者といえば……。

 「掛布ですね。同い年で、巨人のエースと阪神の4番でしたから」

掛布雅之、江川卓との対決を語る

 「1979年7月の後楽園、最初の対戦はすごく怖かった。同い年だけど、江川はルーキー。打って当たり前、と周りに期待されていたから。絶対打たないといけない――。ロッカーで何度もバットを握り直し、手の感覚を確かめた。あの時はライトスタンドへホームランを打てたけど、江川との勝負はいつも怖かった。アイコンタクトで『真っすぐ投げるからな』とマウンドから感じるんだよ。そこから逃げ出すわけにはいかない。怖さの裏側に、それを打った時の快感もある。怖さと背中合わせの喜びというか。紙一重の勝負の緊張感があった。今のプロ野球では、本当の4番とエースの顔が見えなくなった気がする。チームが勝つためにいろいろやる『組織の野球』だから。まあ、勝敗を度外視した勝負というのが、なかなかできないのは分かる。だけど、やっぱりファンが求めている勝負っていうのもまた、あるよねぇ……」

江川 卓(えがわ・すぐる)1955年5月25日生まれ、福島県出身。作新学院高、法政大、南カリフォルニア大を経てドラフト1位で阪神入団、同時に巨人へ移籍した。巨人で9年間プレーし、通算135勝72敗3セーブ。最多勝2回、最優秀防御率1回、MVP1回。引退後は野球解説やスポーツキャスターとして活躍、ワインに関する著書もあり名誉ソムリエの称号を持つ。

掛布 雅之(かけふ・まさゆき)1955年5月9日生まれ、千葉県出身。習志野高からドラフト6位で阪神入団。阪神で15年間プレーし、生涯打率は打率2割9分2厘、通算1656安打、349本塁打、1019打点。79、82、84年に本塁打王、82年は打点王との2冠に輝く。三塁手としてダイヤモンドグラブ(現ゴールデン・グラブ)賞も6度。引退後は評論家となり、2016、17年は阪神二軍監督を務めた。

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1933506 0 プロ野球 2021/03/24 15:00:00 2021/03/25 05:30:14 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210323-OYT1I50021-T.jpg?type=thumbnail

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