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工事現場で働く元エース、退団・離婚そして全てを失った…元阪神・仲田幸司の半生<1>

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元阪神・仲田幸司の半生をすべて読むならこちら

 プロ野球のセ・リーグで首位に立つ阪神に、かつて甲子園を熱狂させた仲田幸司(57)という投手がいた。米国人を父に持ち、「マイク」の愛称で親しまれたが、引退後、しばらくしてファンの前から姿を消した。それから15年。波乱に満ちた人生について、本人が語り始めた。

現場監督を務める仲田(2021年4月、アーティストリレーションズ提供)
現場監督を務める仲田(2021年4月、アーティストリレーションズ提供)

 ユニホームを脱いで四半世紀近くがたつ。作業服を着た仲田は、大阪市内の工事現場で、重機のけたたましい音にさらされながら、肉体労働に従事している。

 引退後、野球解説者となり、タレントとしても活躍した。今、なぜ厳しい作業に就いているのか。

 1995年11月初旬のこと。0勝2敗に終わったその年、自由に移籍できるフリーエージェント(FA)宣言に踏み切った。阪神の評価を聞き、再契約するつもりだった。ところが、球団幹部との交渉はこじれ、売り言葉に買い言葉のようなやりとりに陥ったという。通算57勝というキャリアの全否定と耳に響いた。

 当時を振り返り、思う。「出て行けでなく、出て行くと、私に言わせたかったのか」。阪神退団。移籍したロッテでも0勝に終わり、2年で契約を解かれた。気持ちが荒れ、家庭を顧みなくなる。妻とのすれ違いは決定的となり、離婚。娘3人の親権も手放した。

 97年、阪神復帰を思い立ち、入団テストを受けた。首脳陣の一人から合格内定を得たが、不合格。「ロッテには申し訳ないが、阪神を出てから、野球への情熱がなくなっていた」と述懐する。

 順調に見えた引退後の仕事は、心を満たすものではなかった。自問した。惜しまれながら、引退していく選手がいる一方で、ボロボロになって野球界を去った自分はどうなのか。「人のプレーを解説するなんておこがましかった。球場へ行くのが嫌だった」。誰にも救いを求めず、無力感を一人で抱え込んだ。

甲子園で力投する仲田(1992年)
甲子園で力投する仲田(1992年)

 「家族にも会えず寂しかった。酒に逃げるしかなかった」。朝からビールをあおり、タニマチと呼ばれる支援者に接待される。酒宴は毎夜のこと。夜通し飲んで、そのままバラエティー番組の収録現場に行き、商店街をリポートした。それを目にした有名女性タレントから「あんなの使うくらいなら、売れていないタレントを使った方がいい」と非難された。

 2006年、仕事をすべて失った。

 蓄えも底をつき、大阪で働いていた8歳下の弟・ 太文たもん (49)のマンションに転がり込んだ。そこへも酔いつぶれて帰った。「このままでは俺は死ぬ」。そんな思いも頭をよぎった頃、太文に「兄ちゃん、何をやっている」と殴られた。弟はただただ、愛する兄が 不憫ふびん だった。(敬称略、随時掲載)

     ◇

  なかだ・こうじ  1964年6月16日、米空軍将校の父、堺市出身の母の間に米ネバダ州で生まれる。米国名はマイケル・フィリップ・ピーターソン。左の本格派投手として沖縄・興南高で3度、甲子園に出場した。84年、ドラフト3位で阪神に入団し、ロッテで2年間プレーした後、97年限りで現役を引退した。通算成績は57勝99敗4セーブ、防御率4・06。

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2164696 0 プロ野球 2021/06/29 15:00:00 2021/08/10 18:17:54 プロ野球・中日-阪神16回戦(甲子園球場) 3年ぶりの完封で10勝目をあげた阪神・仲田投手=土屋功撮影 阪神タイガース 中日ドラゴンズ 【大阪一括登録。使用の際は事実関係を再確認してください】 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210629-OYT1I50103-T.jpg?type=thumbnail

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