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2021年はスポーツのあり方が問われた1年だった。新型コロナウイルスが拡大する中、開かれた東京五輪・パラリンピックは開催の是非を巡り世論が二分された。そんな中、激戦を勝ち上がってメダルを手にした選手たちは大会を終えて日常に戻っていた。メダリストになった今、彼らは何を語るのか――。「x日後のメダリスト」を記者とカメラマンが訪ねる。

今夏の東京パラリンピックで銀メダルを獲得した男子車いすバスケ日本代表。持ち前の走るバスケで世界を驚かせたチームの中で、誰よりも激しく、粘り強くボールを追うスキンヘッドの選手がいた。赤石竜我、21歳――。代表最年少にして、守備職人としてチームを支えた“陰の仕事人”だ。日本中が熱狂した歴史的快挙から3か月あまり。大会を沸かせた名脇役は、就活を気にしながら「自分が車いすになった意味」を考える日々を送っている。(文・デジタル編集部 古和康行 写真・菅野靖)
銀メダリストは「普通の」大学3年生

「スープ飲んでいいっすか?」
銀メダルから83日後、11月27日の朝。都内のアパートを訪れると、キャスター付きの椅子にのった赤石が玄関を開けてくれた。電気ケトルでお湯を沸かし、粉末スープをお椀にそそぐ。おにぎりの朝ごはんが物足りなかったらしい。
赤石は、日体大児童スポーツ教育学部で子どもへのスポーツ指導法を学ぶ大学3年生だ。一人暮らしのワンルームの部屋は、コタツとベッドを置いたらほとんど埋まる。コタツの上にはトランプ、部屋の隅には友達が泊まりに来たとき用の寝袋。テレビの下には2世代前のプレイステーションが置いてある。
どこにでもある「男子大学生の部屋」と少しだけ違うのは、ほとんどのものが座ったまま手が届く高さに置かれていること。そして、玄関の脇に、彼が「日用車」と呼ぶ外出用の車いすが畳んでおいてあることぐらいかもしれない。
あの日から、この人なつっこい大学生アスリートの暮らしに、取材や各地での講演が加わった。先日は地元・埼玉で友達と遊んでいたら、「試合を見ていました!すごかったです!」と声をかけられた。講演会ではバスケをしている子どもから「赤石選手のようなプレーヤーになりたい」と言われることもある。

「別に有名になりたいってわけじゃないですけど、やっぱりうれしかったですね」。照れくさそうに笑う。
この日のスケジュールは、昼過ぎからジムでトレーニング、夜は所属チームでの練習だ。スープを飲み終えた赤石はいそいそとバッグにトレーニングウェアや飲み物を詰めると、アパートの前に止められたファミリーカーに向かった。
「日用車」に加え、競技用の車いすも持ち運ばなければならないから、普段はほとんどこの車で移動している。ハンドルの横には、アクセルとブレーキを手動で操作できるレバーがついていた。

「じゃあ出発しまーす」。アパートの前の狭い道を右、左と確認した赤石は、ゆっくりとアクセルを引いた。