盲目のスイマー・木村敬一、金メダルの「呪い」解けて…「やっぱり僕は自分のために泳ぐ」

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 今夏の東京パラリンピックで、“悲願の金メダル”が多くの国民の感動を呼んだアスリートがいる。競泳・視覚障害のバタフライ100mで優勝した盲目のスイマー・木村敬一、31歳。2008年北京大会から出場し、リオ大会では金メダル候補と呼ばれながらあと一歩のところで世界の頂点に届かなかったパラ競泳界の第一人者だ。渇望しつづけた金メダルは彼にとってどんな意味を持つものだったのか。(文・デジタル編集部 古和康行、写真・池谷美帆)

結婚5日後に右腕失ったトライアスロン宇田秀生…銀メダリストの「父やん」は家族と走る

出場4大会目“悲願の金メダル”

 「この日のために頑張ってきて…。本当にこの日が来るんだなって。すごい幸せです」

レース後、富田宇宙(右)と抱き合う木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=川崎公太撮影
レース後、富田宇宙(右)と抱き合う木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=川崎公太撮影

 2021年9月3日、東京パラリンピック11日目。男子100メートルバタフライ(視覚障害S11)決勝のレースを終えた木村は感極まり、声を詰まらせた。

 4大会目の出場で初の金メダル。16年リオ大会には、この種目の世界ランク1位として臨んだが、わずか0秒19、届かなかった。決勝で隣のコースを泳いだライバル・富田宇宙とのデッドヒートとレース後の抱擁、そして表彰台での涙は感動を生んだ。

 ただ、“悲願の金”は木村にとって、「呪いからの解放」でもあった。

白杖片手に新橋駅へ、柱に3回ぶつかり「慣れっこですよ」

 あの日から71日後、11月13日の朝。

 木村はこの日、忙しかった。午前中に所属する東京ガスの社員向けイベントに出て、午後からは東京都教育委員会のオンラインイベントに出演する。

都内の独身寮から最寄り駅へ向かう木村。時折何かにぶつかっても、気にせず進む
都内の独身寮から最寄り駅へ向かう木村。時折何かにぶつかっても、気にせず進む

 木村は驚くほど歩くのが速い。都内の独身寮を出ると、白杖でポンポンと歩道をたたきながら、ぐんぐん前に進む。記者とカメラマンのバタバタと小走りする音が聞こえたのか、「せっかちなんですよね」。少し息を弾ませながら笑った。

 最寄り駅からは、慣れた様子でJR新橋駅に向かう満員電車に乗る。優先席の近くのドアから電車に乗り込んだが、席を譲る人はいない。木村も慣れた様子で車内の中ほどに潜り込むと、白杖を体の真正面に立てて、バランスを取って立った。

 歩き慣れていない新橋駅では、3回柱にぶつかった。途中、ホームの点字ブロックの上で話し込むカップルにもぶつかりそうにもなった。そのたびに周囲は、一瞬驚いた目をした後、白杖を見て、「あぁ、そうか」と納得した表情でまた自分の世界に戻る。木村も何事もなかったかのように、またぐんぐん前に進む。

改札を抜け、人混みに紛れた。誰からも金メダリストとは気づかれない
改札を抜け、人混みに紛れた。誰からも金メダリストとは気づかれない

 「プールではコースロープがあるからまっすぐ進めるけど、普段は基本、方向も何もないところで生きていますからね。ぶつかるのは慣れっこですよ。日常茶飯事。あっ、でも骨折したことない。これはちょっとした自慢ですね」

 木村は今、所属する東京ガスの「東京2020オリンピック・パラリンピック推進部」で社内の啓発行事やイベントに出席する仕事をしている。デスクワークはない。知名度や実績から言ってもプロとしても生活できそうだが、「総合的なサポートを考えると、今の方が活動しやすい」のだという。金メダリストとなってからは、メディアへの出演もいっそう増え、「看板社員」の一人になった。メダルの色は人生を変える。木村自身、そう思ってきたし、たった一つの色を目指して、この夏までは計り知れない重圧と闘ってきた。

 彼はそれを「呪い」と呼ぶ。

「金を取らないと何もしてはいけない」

 それは2016年リオ大会の前あたりから始まった。

 12年ロンドン大会で銀と銅の二つのメダルを獲得した木村。バタフライの世界ランキング1位として臨むリオ大会では「金メダルを取る」と公言していた。誰より過酷なトレーニングを積み重ねてきた自信もあった。

 ただ、本番が近づくと異変が起きた。急に眠れなくなり、体調も崩した。5種目に出場して銀メダル2個と銅メダル2個。「四つのメダルよりも一つの金が欲しかった」。最後の種目を終えたプールサイドでそう語った。

 「そのあたりからですかね。金メダルを取らないと何もしてはいけないような気持ちになったのは」

東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライで力泳する木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=川崎公太撮影
東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライで力泳する木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=川崎公太撮影

 リオ大会までにも、金メダルのために血のにじむような努力をした。それでも、頂点には手が届かなかった。どうすれば、金メダルが取れるのか。「金メダル」に関わらない行動ができなくなった。2018年2月には、「全てを変えたい」とアメリカ・ボルチモアに練習拠点を移したが、今度は新型コロナウイルスの影響で練習場が閉じ、20年3月に帰国することに。パラリンピックそのものも1年の延期が決まり、国内では五輪・パラリンピックを中止すべきという意見も高まった。

 そんな環境の中、何をするにしても「金メダル」が頭の中について回る「呪い」。出口の見えない孤独な戦いに心が押しつぶされそうになったことは一度や二度ではなかった。

最後まで答えなかった、唯一の質問

 この日、木村が参加した東京ガスの社員向けイベントは、豊洲にあるスポーツ施設で行われた。陸上のトラックやバスケットボールのコート、スケボーの施設があり、東京ガスの社員とその家族がスポーツを通じて交流をする企画だ。メダリストである木村の登場は、メーンイベントの一つだった。

 少し早めに会場入りし、東京五輪・パラリンピックでおなじみになったオレンジのジャージーに着替えた木村は、東京ガスの男性社員とともに会場を歩き回った。

豊洲のイベント会場で施設を回る木村。手で触れながら、形を確認していく
豊洲のイベント会場で施設を回る木村。手で触れながら、形を確認していく

 「ここは手すりのような形になっていてスケボーの板で降りるんです」「ここは段差でジャンプができるようになっています」。説明を受けながら、木村は一つ一つ手で触って、会場の様子を確認していく。

イベントに参加した人たちと交流する木村。金メダルを触らせたり、写真を撮ったりと、終始笑顔で応じた
イベントに参加した人たちと交流する木村。金メダルを触らせたり、写真を撮ったりと、終始笑顔で応じた

 途中、家族連れに何度も声をかけられた。木村はそのたびに東京大会で取った金メダルと銀メダルを渡し、子どもに触らせる。子どもから「水泳を頑張ります」と話しかけられれば、「どこのスクールに通っているの?」と応じる。ファンサービスは丁寧だ。

 ただ、質問のほとんどに笑顔で応じていた木村が、最後まで答えをはぐらかした質問が一つだけあった。

 「パリ五輪を目指しますか?」

 親子連れに質問されても「またまたセンシティブな話題を……」と言ってかわした。

栄光の瞬間「やっと終わった」

悲願の金メダルへスタートする木村敬一。右は富田宇宙(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=原田拓未撮影
悲願の金メダルへスタートする木村敬一。右は富田宇宙(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=原田拓未撮影

 東京大会のバタフライ決勝。自身が一着でゴールしたことは、中学時代から見守ってきてくれたタッパー・寺西真人から伝えられた。うれしいという感情はもちろんあったが、その瞬間は「やっと終わった」という気持ちの方が強かったという。

 「レース前から内臓が浮いているような感覚で、手足の末端が熱くて、ただひたすら時間が経つのを待つ感じでしたね。早く始まって早く終わって欲しいと…。終わった後も、いろいろ言おうとしたことはあったんですけど、色んなものがごちゃまぜになっちゃって、自分の感情がよく分からない、初めての感覚でした」

表彰式で君が代を聴き、感涙にむせぶ木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=原田拓未撮影
表彰式で君が代を聴き、感涙にむせぶ木村敬一(9月3日、東京アクアティクスセンターで)=原田拓未撮影

 金メダルで「呪いは解けた」と木村は言う。

 大会後は金メダル以外のことに目を向けていいと思えるようになった。例えば、やってみたいことで言えば、バンジージャンプ。「今までは、『もしケガをしたら』と思うと絶対できなかったですしね」

 ただ、やりたいことはたくさんあるはずなのに、眠れない日々は今も続く。

 「金メダルを取ったのは取ったけど、次は、本当に何も分からないぞ…って感じですね。目標を探すのが目標というか」

 金メダルを取った後、木村はプールで思い切り泳いでいない。パラ競泳の日本選手権が1週間後に迫った取材当日も、「最近はプールにはほとんど行っていない」と話した。

1

2

スクラップは会員限定です

使い方
「スポーツ」の最新記事一覧
2696516 0 ニュース 2022/01/23 08:52:00 2022/01/24 13:26:22 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211214-OYT1I50091-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)