結婚5日後に右腕失ったトライアスロン宇田秀生…銀メダリストの「父やん」は家族と走る

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 かつてこれほどまでに“やんちゃな笑顔”を世界の表彰台で見たことがあっただろうか。東京パラリンピック・トライアスロン男子の銀メダリスト、宇田秀生。妻と結婚した5日後に利き腕である右腕を失った過去を持つ35歳のアスリートは、「不屈の闘志」と呼ばれた激しく情熱的な走りで、日本にこの種目初のメダルをもたらした。あの晴れやかな表情の持つ意味とその先に見る夢が知りたくて、彼の地元・滋賀を訪ねた。(文・デジタル編集部 古和康行、写真・泉祥平 敬称略)

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「パン!」吹き飛ぶ自分の腕が見えた

 「おはようございます!」

 東京大会の銀メダルから221日後の4月6日朝。滋賀県草津市の閑静な住宅街に、元気なあいさつが響いた。一角にあるマンションの玄関から飛び出してきたのは、宇田と妻の亜紀(39)、そして二人の子どもたち。次男・健太郎(5)が通う幼稚園の迎えのバスの時間が迫っていた。

 健太郎の手を引いて小走りでバス停に向かう亜紀に、「あー!もう来たんちゃう? 急げ! 急げ!」と後ろから声をかける宇田。健太郎を慌ただしくバスに送り込むと、通り中に聞こえるような声で「行ってらっしゃーい!」と大きく手を振った。

健太郎を見送る宇田と琥太郎。慌ただしい家族タイムが始まった
健太郎を見送る宇田と琥太郎。慌ただしい家族タイムが始まった

 この日は、大会前の合宿と合宿の合間のオフの「家族タイム」。東京パラリンピックが開かれた昨年、地元・滋賀にいたのはわずか40日ほどだった宇田にとって、最愛の家族と過ごす時間は何よりも貴重で特別なものだ。そして、そんな多忙な日々は、まだまだ続く。次の目標であるパリパラリンピックはもう2年半先に迫っている。

 健太郎を送り出した後、家族とともに水泳の練習に向かった宇田はTシャツの右腕部分をくるくると丸めていた。この右腕は結婚して5日後、26歳の時に失った。

 勤務先の建設会社で仕事中、ベルトコンベヤーが回る設備についた「ゴミ」を取ろうとした。腕がグイッと機械に引っ張られた。「パン!」という大きな破裂音がして、自分の右腕が吹き飛ぶのが見えた。一瞬の出来事。普通なら失神しそうなものだが、宇田は片腕がもげたまま、無我夢中で事務所まで走った。助けを呼んだ後のことは覚えていない。搬送先の病院で意識を取り戻した時、医師から「すぐに助けを呼ばなければ、失血死するところだった」「左腕だったら心臓が潰れて即死だったろう」と告げられた。

 事故の瞬間を鮮明に覚えている宇田だが、なぜ自分が回転するベルトコンベアに手を差し込んだのか、いまでも理由がはっきりわからない。通常の工程では決してやらない作業だったし、どうしてあのとき、そんなに「ゴミ」が気になったのか……。

 あれからもうすぐ9年。生活はようやく安定してきたと感じる。パラトライアスロンで結果を残したことで、建設会社からの給与に加え、スポンサーからの強化費も得られるようになった。事故後、しばらくは実家で暮らしていたが、いま住んでいるマンションも東京パラリンピックの少し前に購入した。

 「パラスポーツにもささやかな夢はなくちゃ」と話す宇田。あの事故についても、今では「結婚してまじめに生きるように、神様が右腕持っていったんかも」と感じることがある。

「父やんはやっぱりすごい」

 記者とカメラマンが宇田を訪ねたこの日、長男の琥太郎(8)はうれしそうだった。宇田に手を引かれてプールに向かう途中、信号で立ち止まる度に、習ったばかりのダンスを披露してみせる。「水泳とダンスをやっているんすけど、ダンスはセンスいいんちゃうかな?」。宇田もその姿を見て、何度も目を細めた。

 プールにつくと、宇田は琥太郎と一緒に水に入った。「今日は水遊びみたいなもんです」と琥太郎と並んで25メートルプールを気持ちよさそうに進んでいく。その泳法は独特だ。クロールの要領で左腕を高く大きく回しながら、体のバランスを取り、主にキックの推進力で前に進む。水しぶきが上がることも少ない、静かな泳ぎだ。

琥太郎の上達した泳ぎを褒める宇田。子どもの成長には驚かされることばかりだという
琥太郎の上達した泳ぎを褒める宇田。子どもの成長には驚かされることばかりだという

 琥太郎もここの水泳教室に通っている。最近25メートルを泳ぎ切れるようになったという。この日は惜しくも25メートルの手前で足をついたが、隣を泳いでいた宇田は「前に見たときよりも全然、泳げるようになっている。合宿から帰って来る度に成長していて、ホント、二人の子どもには驚かされることばかりですね」

 お互いに褒め合うのが宇田家のルールなのだろう。約1時間の練習中、宇田はずっと琥太郎を褒めちぎり、覚え立てのクロールを必死に練習する愛息にエールを送った。それは琥太郎も同じ。宇田の泳ぎをじっと見ていて、「父やんはやっぱりすごいわ。速く泳げるのは、きっと足の力が強いんやな」と目を輝かせた。

 世界の銀メダリストの“マンツーマン指導”に大満足の表情でプールを上がった琥太郎だったが、練習を終えて、自宅に戻ると、ちょっぴり残念そうな顔をした。

 「まだ取材なの?」

 この日は尊敬する「父やん」の35回目の誕生日。家族水入らずの誕生パーティーが待っているのだ。「もうちょっと待っててな」。琥太郎の頭をポンポンとたたいた宇田はリビングのいすに座り、インタビューに応じた。

クラブで出会った2人「新婚生活は病室で」

 宇田と妻の亜紀が出会ったのは、宇田がまだ大学生だった2008年のこと。当時、大阪に住んでいた宇田と神戸に住んでいた亜紀は京都のクラブで出会った。

 「クラブで踊りまくるとかそういうタイプじゃないんですけど、大きなイベントがやってて……」と亜紀。宇田は声をかけた理由について、「なんでやろう……。イケそう思ったんじゃないすか」と照れ笑いを浮かべる。どこにでもある若者らしい出会いだ。

事故直後の宇田と亜紀。病室で始まった新婚生活は「意外に楽しかった」という(家族提供)
事故直後の宇田と亜紀。病室で始まった新婚生活は「意外に楽しかった」という(家族提供)

 そこから数年の交際期間をへて、宇田は亜紀にプロポーズした。婚約後、亜紀のお腹には琥太郎が宿った。順風満帆に思えた若い2人の生活だったが、婚姻届を出した5日後、あの事故が起こった。

 幸せの絶頂で起きた悲劇に、普通なら心が押しつぶされてしまうに違いない。ただ、宇田と亜紀はその厳しすぎる試練を、まるで思い出話の一つのように振り返る。

 「付き合ってたときは別々に暮らしてたから、初めての同居生活は病室やったんすよ。意外に楽しかったっすよ」と宇田が言えば、亜紀は「最後の方はな!」と付け加える。夫婦漫才のような調子で、2人の「すべらない話」は尽きない。

 宇田が搬送されたその日、病室に駆けつけた亜紀が思わず「ヒデ!」と叫ぶと麻酔で3日は目を覚まさないと言われていた宇田が飛び起きたこと、予想以上の回復を見せた宇田がいろいろ食事のリクエストをしてくるので、身重の亜紀の代わりに亜紀の母親がまるでUber Eatsのようにたこ焼きやら宇田の好きなものを作って届けたこと、右腕を失ったのに1週間ほどで立って歩き始め、「これパラリンピック出られんちゃう?」と2人で笑い合ったこと、そして1か月後には退院していたこと……。亜紀の笑い声が響く度に、宇田家のリビングの空気はぱっと明るくなる。

 リハビリのために始めた水泳をきっかけにトライアスロンの世界に足を踏み入れた宇田は、事故から2年後にはアジア選手権で優勝するなど、アッという間に頭角を現した。もともと、小学校から大学までサッカーに打ち込んだスポーツマンではあったものの、その原動力となったのは、家族の底抜けの明るさだったに違いない。

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満開の桜の中を軽やかに駆ける
満開の桜の中を軽やかに駆ける

 昼食後、宇田は1人でジョギングに出た。「パラリンピックが終わってから、ゆっくり走って幸せをかみしめていた」という周回コースを案内してくれるという。その道すがら、先ほどまでの快活な様子がウソのように、宇田はぽつりぽつりと家族への思いを語り始めた。

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