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平昌パラリンピック(3月9~18日)のスノーボードで金と銅のメダルを獲得した成田緑夢(24)(近畿医療専門学校)が、ヨミウリ・オンライン(YOL)の取材に応じ、スノーボードから引退する理由を詳しく語った。金メダル獲得直後に引退するプランは「幼い頃から頭の中にあった」といい、2020年東京オリンピック・パラリンピック出場という「次の一歩」に「全力で挑戦する」。取り組む競技は「まだ決めていない」と話した。(メディア局編集部・込山駿、写真も)
栄光の瞬間に「やばい、引退の時が来てしまった…」

成田は1日、所属先の近畿医療専門学校(大阪市北区)の入学式にゲストとして参加した。理事長との対談形式で、新入生たちに「自分を成長させることに取り組んでください」などとメッセージを発した。
続いて校内で取材を受けた。3月27日に出演したテレビ番組でスノーボード競技からの引退を表明した理由を、こう説明した。「目の前の一歩に全力で――が、ぼくのモットー。後ろは振り向かない。だから、平昌が終わった今はもう、平昌のことやスノーボードのことは考えない。引退して、東京2020という次の『目の前の一歩』に全力を尽くしたい」
トリノ五輪のスノーボードに出場した成田童夢と今井メロの2人を兄姉に持ち、スノーボードやトランポリンなど様々なスポーツで才能を発揮してきた。幼い頃から、自身をアスリートとして意識しながら成長し、常に「引退する時は、どういう形が格好いいだろうか」と引き際のことまで考えてきたという。いつしか「レジェンドと言われる選手たちのように、ずっと競技を続ける」か「金メダルを取ってすぐに引退する」か、二つのケースが理想だと思うようになっていた。
そんな中、優勝候補として平昌パラリンピックを迎えた。「実はレース前の練習から、『ここで金メダルを取ったら引退せなアカンやん』と、頭をよぎった」。3月16日、バンクドスラローム種目の最終3本目で好記録を打ち立て、他選手がすべて滑り終えたところで、金メダルが確定した。「ヤッター、と喜びながらも、あの時点でぼくの頭の中は『やばい、引退の時が来てしまった』となっていた」と打ち明ける。すぐに引退を口にするのは良くないと考え、帰国後に祝福の波が一区切りついたところで意思を表明した。
東京2020目指す オリ、パラ、競技は未定

胸中には、パラ競技のスノーボードに対する感謝がある。「ぼくは障害を持ったからこそ、頭を使って競技するようになったし、スポーツの価値にも気付いて成長できた」。19歳の4月に左足の大けがを負い、ひざ下がまひする障害を抱えた後にパラ競技へ転向。不自由な足でいかにボードを操るか、工夫と挑戦を積み重ねて手にした二つのメダルも誇りに思う。日本代表のコーチに引退の意思を伝えた時には、慰留の言葉も受けたという。
それでも、将来的にスノーボードに復帰する可能性は「今は、ない。目の前の一歩よりも先のことを、ぼくは考えない」と否定した。
今後は、夏季競技のアスリートに転向し、2020年の東京オリンピック・パラリンピックへの出場を目指すという。これまでに、走り高跳びや走り幅跳びで日本パラ陸上選手権に出場し、上位に入った実績がある。トライアスロンの大会にも挑戦した。だが、現時点では「どの競技を選ぶか、オリンピックとパラリンピックのどちらを目指すか、決断していない」という。
「いろんな情報を集めて、自分にとってベストの挑戦を見つけたい」。さわやかに言って、目を輝かせた。