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土俵で相手を投げ殺す?最強力士の雷電、横綱になれなかった「諸説」も超大物

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 天下無双の力士、雷電為右衛門(長野県東御とうみ市出身、本名・関太郎吉)が、1790年11月に初土俵を踏んでから230年になる。江戸時代の寛政~文化年間に勝率9割6分2厘を記録した超剛大関だが、ついに横綱免許はならなかった。雷電から数えて8代目当主の関賢治さん(73)は、この歴史ミステリーをどう考えているのだろうか。(編集委員 三木修司)

諸説について、子孫が見解

等身大木彫り像の雷電(1メートル97、170キロ)と並んで語る関賢治さん(1メートル61)(長野県上田市の長昌寺で。雷電は14歳の頃、相撲道場に引き取られ、同寺が開設した寺子屋で読み書きを学んだという)=園田寛志郎撮影
等身大木彫り像の雷電(1メートル97、170キロ)と並んで語る関賢治さん(1メートル61)(長野県上田市の長昌寺で。雷電は14歳の頃、相撲道場に引き取られ、同寺が開設した寺子屋で読み書きを学んだという)=園田寛志郎撮影


 ――<1>土俵上で相手を投げ殺した(講談)<2>雷電を召し抱えた雲州松平家(松江)と相撲の司家を抱える肥後細川家(熊本)など大名家の意地の張り合いに巻き込まれた<3>品格力量に加えて必要な美的容貌ようぼうを欠いた、など諸説あります。

 「3はともかく、色々な説があって複雑だが、これという決め手はない。(徳川家直系に当たる)親藩の松平家と外様の細川家との関係は、雷電もよく承知していたはずだ。うちは代々が農家で雷電も俺が、俺がと出しゃばる人ではなかった。横綱の称号を求めれば大名家同士の力争いに自ら火をつけてしまう。それならばと当時、番付最高位の大関で十分と考えた。生涯わずか10個の黒星は、小結柏戸(後の大関)以外の負けは、全部平幕以下だ。たまに平幕に負けてやれば観衆は盛り上がる。『負けてこそ 人にこそあれ 相撲取』という句もあるが、そんな心意気を持った人。横綱や大関には本場所で一度も負けておらず、相当の自負があったはずだ」

「雷電日記」が示す「最強伝説」

 ――本人と江戸の民衆も「最強」を認めていた。

雷電が書き留めた「諸国相撲控帳」(右2冊)と「萬御用覚帳」(8代目当主・関賢治さん所蔵)
雷電が書き留めた「諸国相撲控帳」(右2冊)と「萬御用覚帳」(8代目当主・関賢治さん所蔵)

 「雷電自ら書き残した巡業日記『諸国相撲控帳』が面白い。初土俵の寛政2年11月場所は西の関脇に付け出された。3日目に横綱小野川と対戦したが勝負預かりとなる。物言いがついて結局、相撲会所(協会)はこの勝負に白黒をつけなかった。前3場所を制した横綱3場所目の小野川は、相撲藩で通る久留米藩(福岡)のお抱え。藩と横綱のメンツに会所が配慮したのだろう。この一番、雷電は『小の川(小野川)もなげ候』と記している。27年間の日記で本場所の結果にこだわる記述はほかになく、相当、頭にきていたことが読み取れる。皆が見ている前で投げたわけだからね」

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