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膝の大けがに内臓疾患、「気力失っていた」照ノ富士…復活信じた「付け人」の決断

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 大相撲の照ノ富士(29)が31日、正式に大関に復帰した。けがと病気で一時は序二段まで番付を落としながらの奇跡的な復活。伝達式では「謹んでお受けいたします」というシンプルな口上に決意を込めた。

6年前の前回大関昇進時に照ノ富士(中央)と一緒にポーズをとる付け人の駿馬さん(左端)(2015年5月)
6年前の前回大関昇進時に照ノ富士(中央)と一緒にポーズをとる付け人の駿馬さん(左端)(2015年5月)

 照ノ富士は6年前の2015年夏場所後に23歳の若さで最初に大関に昇進した。1メートル90を超える体格に、角界でも群を抜く腕力。次代の横綱と期待されたが、勢いは昇進後急速にしぼんだ。

 膝の大けがに内臓疾患――。力が出なくなり、身体はボロボロに。14場所在位しただけで大関陥落。その後も強行出場と休場を繰り返し、番付は下がり続けた。「やることがすべて裏目に出て気力を失っていた」。そう振り返るのは、付け人を長く務めた元幕下駿馬しゅんばの中板秀二さん(39)。何度も引退を口にしていた元大関を、そばで励まし続けた存在だ。

 照ノ富士は19年春場所で序二段から再出場したが、中板さんは翌場所に引退し、角界を離れて介護職の道に進んだ。復活までサポートしたい気持ちがあった反面、自分がいることで元大関を甘やかしているのではとの思いもあった。「体は万全には程遠いけど、白星を重ねることで向上心が戻ってくるはず」。復活を信じての決断だったという。

 かつては奔放な発言が多かった照ノ富士だが、再起後は一転して発言も慎重になった。心を入れ替えたのではとの声もあるが、中板さんの見方は違う。「元々相撲に熱心で常に目標を立てて実行してきた。色々苦しんで、取り組む姿勢が戻ったんです」。今も電話で連絡を取り合う弟弟子について、そう誇らしげに語る。

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1951227 0 大相撲 2021/03/31 13:52:00 2021/03/31 15:33:25 2021/03/31 15:33:25 大相撲・大相撲夏場所で初優勝を果たし、大関昇進を決めた照ノ富士(23)(モンゴル出身、伊勢ヶ浜部屋)。平成生まれ初の大関誕生の陰には旧間垣部屋から一緒に転籍し、苦楽を共にした2人の兄貴分の存在があった。大関昇進の伝達式後に付け人の駿馬(左)、呼び出しの照矢(右)とガッツポーズする照ノ富士。東京都江東区の伊勢ヶ浜部屋で。2015年5月27日撮影。同年6月2日夕刊掲載。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210331-OYT1I50036-T.jpg?type=thumbnail

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