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大相撲の元関脇麒麟児として激しい突き押しで活躍した垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが3月1日、多臓器不全で死去した。67歳だった。日本相撲協会が13日、発表した。告別式は家族葬で行われた。

千葉県柏市出身。1967年夏場所、二所ノ関部屋から初土俵を踏み、74年秋場所に新入幕。富士桜(元中村親方)との突き押しの応酬は毎場所のように土俵を沸かせ、75年夏場所中日の天覧相撲で組まれた両者の一番は、相撲好きの昭和天皇が身を乗り出して観戦されたことでも知られる。北の湖や2代目若乃花、大錦らと同じ53年(昭和28年)生まれで、「花のニッパチ組」と呼ばれた。三賞を計11度、金星6個を獲得した。
88年秋場所で引退。北陣親方として二所ノ関部屋の部屋付きで指導にあたる一方、大相撲中継の解説では歯切れのいい説明で親しまれた。2018年3月に相撲協会を定年退職した。