羽生選手、被災者へ「僕はこの言葉に支えられた。だから言わせて…頑張ってください」
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フィギュアスケート男子の羽生結弦選手(26)(ANA)が、被災地に寄り添い続けた日々を振り返り、メッセージを寄せた。

「あの日のことはすぐに思い出せます。この前の地震でも、思い出しました」。16歳の時、地元の仙台市で練習中に震災に遭い、スケート靴で泣きながら逃げた。やめることも覚悟したが、復興支援のアイスショー出演をきっかけに再び奮い立ち、2014年ソチ、18年
痛みは消えないが、10年を経たことは実感している。「きっと皆さんは、想像を
スケートを通して被災地の皆さんと交流、心の中の宝物

何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。
あの日のことはすぐに思い出せます。
この前の地震でも、思い出しました。
10年も
オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、
何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう そんなことを考えると胸が痛くなります。
皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。
でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…
それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。
痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。
あの日以前の全てが、在ったことの
忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。
僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。
それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。
立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。
最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。
こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を
数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。
幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。

本当に、10年間、お疲れ様でした。
10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。
まだ、癒えない傷があると思います。
街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。
まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。
簡単には言えない言葉だとわかっています。
言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。
でも、やっぱり言わせてください。
僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、
その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。
頑張ってください
あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。
本当に、ありがとうございます。
僕も、頑張ります
2021年3月 羽生結弦