佐々木フジ子さん(95)は終戦の前年、広島県安芸太田町の親元を離れ、広島市安佐南区祇園の軍需工場で働き始めました。工場は爆心地から約4キロメートルのところにあり、8月6日は工場で「ピカ」に遭遇。キノコ雲を目の当たりにし、恐怖に襲われました。市内中心部から被爆した無数の人々が押し寄せ、工場は臨時の救護所に……。佐々木さんはけが人の手当てに追われました。ガラスの破片が刺さったままぼうぜんと立ち尽くす少女、急に陣痛が始まった妊婦の出産の手伝いなどをしました。今も地獄のような記憶が鮮明に残る佐々木フジ子さんは、戦争を知らない世代に、どんな時代だったか知ってもらいたいと願います=広島テレビ放送制作、短縮版 2021年11月23日公開 ◇ 読売新聞大阪本社と広島テレビ放送は、原爆報道に関する共同プロジェクトを11月から始めました。同じ人物にそれぞれが取材し、証言を記事と映像で伝えます。広島テレビは夕方のニュース情報番組「テレビ派」で放映します。 <545>語りたい 伝えたい 読売新聞×広テレ <544>語りたい 伝えたい 読売新聞×広テレ 悲惨な戦禍から奇跡の復興、そして東京五輪…動画で考える「戦後75年」 スクープ、ユニーク映像募集中 動画の投稿