「つなぐヒロシマ」 母の最期の言葉支えに生きる 高品健二さん 84歳

高品健二さんは、8歳の時に爆心地から2.5キロメートル離れた自宅のそばで近所の友達と遊んでいた時に被爆。友達は上半身にやけどを負い、ガラスの破片がびっしり刺さっていました。その友達の手を引いて家に帰ると、母が柱の下敷きになっていたといいます。友達は3日後に亡くなり、母も髪が抜け、歯ぐきから血が出て、1週間後に亡くなりました。軍人だった父も、すでに戦地で亡くなり、親戚の家に身を寄せますが、肩身の狭い日々を過ごしました。母方の叔父の支援を受け理容師の道に進み、自分の店舗を持つまでになります。理容師を引退した後は故郷の広島で過ごし、「戦争の記憶を語り継ぎたい」と語り部として活動しています=広島テレビ放送制作、短縮版 2021年12月16日公開    ◇   読売新聞大阪本社と広島テレビ放送は、原爆報道に関する共同プロジェクトを11月から始めました。同じ人物にそれぞれが取材し、証言を記事と映像で伝えます。広島テレビは夕方のニュース情報番組「テレビ派」で放映します。

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