ひとりで災害に遭うこと――倉敷・真備町を訪ねて

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 地震、豪雨、台風と、自然災害が続く。災害に遭遇した時、ひとりだと、どんなリスクや困難があるのだろうか。7月の西日本豪雨で大きな被害が出た地域のひとつ、岡山県倉敷市真備(まび)町にひとり暮らしの人たちを訪ねた。(編集委員 片山一弘)

その夜は、電話が続いた

堤防が決壊し大規模な浸水被害が発生した真備町(7月7日、岡山県倉敷市で、読売ヘリから)
堤防が決壊し大規模な浸水被害が発生した真備町(7月7日、岡山県倉敷市で、読売ヘリから)

 豪雨から1か月半を経た8月下旬は、まだまだ暑さが厳しかった。倉敷市の中心部、観光客でにぎわう美観地区から車で北西に30分ほど走ると真備町に着いた。7月6日深夜から7日朝にかけ、高梁(たかはし)川の支流である小田川などが何か所も決壊し、約4600戸が浸水、51人が死亡した。

 ひとり暮らしの人々がどう避難したのか。無事に逃れた人たちの話からは、周囲の助けが大きかったことが見えてくる。

 「42年前に建てたこの家で、息子2人を育て上げたんです」。服部地区の小柳友子さん(80)は、浸水で傷んだ家具を出して、がらんとした2階建ての自宅を前に、寂しそうに話した。

 いつものように早く床に就いた小柳さんだが、6日の夜は、息子たちや近所の人から避難を促す電話が続いた。最初は渋っていたけれど、午後9時半頃、息子たちが迎えに来て、近くの高台にある次男の家に移った。残した自宅は、翌朝には2階まで水浸しになった。「友達が4人亡くなった。私も、いつも通り寝ていたらどうなったか」


裏の奥さんが「水かさが上がって危ない」

「ここに仏壇があったんです」と災害前の家の様子を説明する樋口智子さん。土壁の土が流され、木と竹の骨組みが残る(倉敷市真備町で)
「ここに仏壇があったんです」と災害前の家の様子を説明する樋口智子さん。土壁の土が流され、木と竹の骨組みが残る(倉敷市真備町で)

 小柳さん宅から約500メートル、小田川の土手のすぐ近くで2階建ての一軒家に住んでいた樋口智子さん(68)宅にはその夜、一帯を回っていた消防団員が避難を勧めに来た。

 「裏の家の奥さんも『小田川の水かさが上がって危ない』と知らせてくれたので、車で逃げました」


仕事中心 地域活動と縁遠かった会社員

 一方、真備町岡田でひとり暮らしの会社員、富岡栄作さん(54)は、「防災無線で何か言っていたが、よく聞こえなかった。大丈夫だろうと2階で寝ているうちに1階に浸水し、翌朝、救出されて避難所に行った」と話す。「仕事中心の生活で、あまり地域の活動に参加できなかった」という富岡さんの場合、近隣で声を掛け合うという状況ではなかったようだが、遠くの職場に勤めに出ている人なら、似たような人は多いのではないか。

 水が引いた後も困難は続く。2階まで泥水が入った家から、親族や友人、ボランティアの助けで、なんとか泥を出し、家具を処分しても、住める状態ではない。樋口さん、富岡さんは、「みなし仮設住宅」として賃貸住宅を借りたが、家賃補助は2年まで。その先のことや、自宅の修理・建て替えは「行政がどこまでやってくれるのか。先が見えない」と不安をもらした。

シングルができることは限られる

 必要な情報を得ることも容易ではない。樋口さんは被災翌日から友人宅や避難所に身を寄せていたが、「支援物資がいつ、どこで配られるのかがわからない」のが悩みだった。公的支援を受ける手続きも調べなくてはならないが、昼間は仕事があり、なかなか相談窓口に足を運べないという。体ひとつのシングルができることは、やはり限られる。

 小柳さんの2軒隣に住み、小柳さんらひとり暮らしのお年寄りの見守り活動をしてきた中尾研一さん(69)は、「若い人ならスマホで支援情報を取りにいくが、我々年寄りは苦手。顔の見える近所にいないと、なかなか伝わらない」と話す。頼りになる近隣も、離ればなれになるとやはり弱い。

地域での人間関係を見直す

 出会った人たちの話からは、いざというときの、人のつながりと情報の重要性が浮かび上がった。

 2世代、3世代で暮らす家族に比べ、ひとりでいると、地域でのつながりが限られがちだ。仕事が忙しいシングルも、災害時の危機管理という観点で、地域での人間関係を見直す必要がありそうだ。

いざというときの「 近助(きんじょ) 」とは

 シングルの災害への備えについて、山村武彦・防災システム研究所所長に聞いた。

 ひとり暮らしの高齢者は、足腰が悪いなど、逃げたくても逃げられない場合が多い。行政や民生委員が即座に全員を助けるのは無理だ。私は自助と「近助(きんじょ)」が大事だと提唱している。近所の人同士が助け合える関係を日頃から作っておく。テレビの注意喚起より、隣家の人に「逃げよう」と言われた方が切迫感も増す。

 また、生活再建で先が見えないストレスが続けば、命にかかわる。高齢だと金融機関の融資を受けにくい。「年だから」と地震保険に入らない人も多いが、収入源の少ない高齢者こそ、少額でも地震保険に入るべきだ。

 都市部の集合住宅に一人で住む学生や若い社会人の場合は、地域との接点が希薄だ。いざという時に避難所の場所もわからない、ということになりかねない。

 若い人は、地域で弱者を助ける側になるとよい。防災訓練に参加して役割を持てば、地域に溶け込める。

 職場の同僚や友人と防災ネットワークを作り、いざという時に身を寄せる先を確保しておくのもよい。ひとり暮らしは自由だが孤立しやすい。居場所を作っておくことが大事だ。

シングルだからできること

 被災地のシングルは、被災者だけではなかった。森貴弘さん(34)は、7月下旬から約3週間、真備町に滞在し、災害ごみの処分などを行った。京都在住だったが、2年前から自転車で日本一周の旅をしており、熊本地震や九州の豪雨などの災害でもボランティアに携わってきた。

 「独り身で、旅の途中ですから、身軽に動ける。真備町で一緒に作業した人たちも、30~40代はシングルが多かった印象があります」と森さんは話す。

 東日本大震災に直面した独身者たちに取材した酒井順子さんの著書「地震と独身」にも、ボランティアに身を投じた独身者たちが紹介されている。

 シングルだから不便なこと、シングルだからできること。非常時には、様々な面が浮き彫りになる。

◆真備町メモ 吉備真備も金田一耕助も

真備町にある金田一耕助像
真備町にある金田一耕助像

 今回訪れた真備(まび)町は、地方の小さな地域ながら、実は2人の著名人と深い関係がある。

 1人は、地名の由来でもある吉備真備(きびのまきび)。奈良時代に遣唐使を務めた貴族であり文化人。中国から囲碁を日本に伝えたとされることから、小学生の囲碁の大会「くらしき吉備真備杯こども棋聖戦」の全国大会が毎年、真備町で開催されている。

 もう1人は小説家の横溝正史だ。横溝は戦時中に岡田村(現在の真備町岡田)に疎開し、終戦後も含めて約3年間住んでいた。

 当時の家屋は「横溝正史疎開宅」として保存されている。豪雨の際には「疎開宅」の近くまで水が迫ったが直接の被害はなく、現在は通常通り公開中だ。

 名探偵・金田一耕助の初登場作「本陣殺人事件」はこの家で書かれ、清音駅や高梁川など地元の地名が、一部を伏せた形で登場する。

 豪雨の被災地としてばかり有名になってしまったが、もともとは、横溝作品の世界を思わせる穏やかな景色が広がる農村部。早く災害の傷痕が癒えて、本来の姿を取り戻すことを祈っている。

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40108 0 トピックス 2018/09/06 10:00:00 2018/09/06 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180906-OYT8I50040-T.jpg?type=thumbnail

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