本物の「はいからさん」を探して…読売新聞データベース「ヨミダス」の旅

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文化部長 前田恭二

「はいからさんが通る」、冒頭の名場面

大和和紀「はいからさんが通る」新装版 第1巻
大和和紀「はいからさんが通る」新装版 第1巻

 大正ロマンの薫りたつ少女漫画の名作と言えば、大和和紀さんの「はいからさんが通る」だ。主人公は花村紅緒(べにお)、おてんばな女子学生で、春らんまんの冒頭、自転車に乗って登場する。少女漫画にうとい筆者でさえ、知っているほどだ。たしかに明るく、のびやかなムードが広がる名場面だ。毛虫に驚き、たちまち転んでしまうのだけれど。

 「はいからさん」のファンの方ともなれば、この「自転車に乗る女子学生」のイメージが明治にさかのぼることも、ご存じかもしれない。ことに1903年(明治36年)、読売新聞に連載された小杉天外のラブロマンス「魔風恋風(まかぜこいかぜ)」が女子学生の自転車事故からはじまること、さらにはヒロインのモデルが一説に、のちにオペラ歌手として世界にはばたく、若き日の三浦(たまき)とされることも、文化史の方面では、よく話題にのぼる。

 こうした話を調べるとき、読売新聞146年の記事が読める「ヨミダス」はなかなか役に立つ。「自転車に乗る女子学生」の記事は、明治のころから、ちらほら出はじめている。さらに調べてみると、「魔風恋風」の連載直前、ちょっと気になるゴシップ記事が載っていたこともわかる。

「女学生」と「自転車」を手掛かりに

1900年12月12日付「女子嗜輪会例会」
1900年12月12日付「女子嗜輪会例会」

 とりあえず明治時代を対象に、「女学生」のキーワードで、ヨミダスを検索すると、1000件前後の記事がヒットする。女性が高等教育を受けることは当時、<進んだ>ことだった。羨望の的となり、旧来の封建的な道徳の側からは揶揄(やゆ)された。検索語に「堕落」を足すと、2ケタを数える。

 自転車もまた新しい風俗だった。明治を通じ、「自転車」のキーワードで、やはり1000件前後の記事が拾える。19世紀末から20世紀に入るころには、自転車に乗る女性の記事があらわれる。まずは1900年12月12日付の「女子嗜輪(しりん)会例会」。続いて翌01年2月12日に「美人隊自転車」、8月14日には「自転車両美人」。グループができ、連れだってサイクリングということもあったらしい。この年8月31日付では、「女学生と書生自転車の鉢合せ」の記事があり、自転車同士の事故まで報じられている。

1901年2月12日付「美人隊自転車」
1901年2月12日付「美人隊自転車」
1901年8月31日付「女学生と書生の自転車事故」
1901年8月31日付「女学生と書生の自転車事故」

人気呼んだラブロマンス「魔風恋風」

1903年2月25日付「魔風恋風」初回の挿絵
1903年2月25日付「魔風恋風」初回の挿絵

 ほどなく登場した小説が「魔風恋風」だった。明治時代半ば、読売新聞の看板作家は、かの尾崎紅葉だった。ご存じ「金色夜叉」を大ヒットさせたものの、名文家ゆえの苦吟と体調不良から、原稿が遅れだす。ついに1902年秋、紅葉は退社となる。その翌年、ポスト紅葉の空白期に登場したのが、小杉天外「魔風恋風」なのだった。

 1903年2月25日の初回、ヒロイン萩原初野の登場はこんな調子だ。

 (ベル)の音高く、(あら)はれたのハすらりとした肩の滑り、デードン色の自転車に海老茶(えびちゃ)(はかま)、髪は結流(むすびなが)しにして白リボン清く(中略)色美しく品高き十八九の令嬢である。

 ところが、いきなり出あいがしらの事故が起きる。曲がり角で書生2人が飛び出してきて、「後なる書生に強く(あた)つたと思ふ間も無く、令嬢ハ八九尺も彼方に投げられ」、入院するはめになる。令嬢とはいうものの、初野は千葉県の出身で、ナースたちは「あら、田舎の女?」などと口さがない(2月26日付、2回目)。入院費に窮してしまい、キザな洋画家に言い寄られる。ひそかに帝大生を慕い、彼もまた初野を思っていたのだが、これが学友である子爵令嬢のいいなずけで――。恋か友情か、はたまた世は金かと、読者の気をもませて、大変な人気を呼んだと伝えられる。

1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告(部分)
1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告(部分)

三浦環と木内キョウ…ヒロインのモデルは?

 このヒロインは、のちのオペラ歌手、三浦環がモデルという説がある。古くからあった見立てのようで、たとえば、1934年8月13日付、中央公論社「大悲劇名作全集」収録時の広告にも、こんなことが書かれている。

 ある人は、三浦環、山田耕筰氏等の日本楽壇の巨匠がモデルであるといふ。果して真か。

1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告
1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告

1912年6月10日付「新しい女(22)歌劇界の明星(プリマドンナ)」より、三浦(柴田)環の写真
1912年6月10日付「新しい女(22)歌劇界の明星(プリマドンナ)」より、三浦(柴田)環の写真

 これには理由がないでもない。三浦は旧姓・柴田環のころから、なにかと話題の多い女性だった。明治の末年、1912年の読売新聞も取り上げているように、つまりは「新しい女」と目されていた。ここに掲げたのは、その記事の写真だが、最初に話題になったきっかけは「自転車」にほかならない。東京音楽学校に自転車で通っていて、実は女子嗜輪会のメンバーでもあったという。

1935年2月4日付「明治婦人子供風俗 紙上展覧会」
1935年2月4日付「明治婦人子供風俗 紙上展覧会」

 もっとも、「魔風恋風」のモデル問題ではほかに、思わせぶりな発言を残した女性がいる。女性教育家の先がけ、木内キョウだ。1935年2月4日付「明治婦人子供風俗 紙上展覧会」なる連載記事は「木内先生が元祖か? 女の自転車のり」と見出しにうたう。木内は記事のなかで、「女で自転車へ乗るものといつたらその頃私と柴田環さんだけだつた」と回顧する。さらに、長い袖を人力車にひっかけて転倒したことがある、人力車の客が「水際立つた好男子だつたら飛んだ色模様が生まれようといふものだが」と語り、こんなふうに続ける。

 事実或る有名な小説家がこの事件をモデルにして、美男美女の見初めの場に使つたもんでス。私も美人だつたからネエハツハツハ。「魔風恋風」のハヤつた時分。

 わたしがモデルなのよと言わんばかりだが、木内自身、女子師範学校を「明治卅六年に卒業して、隅田小学に奉職した年に初めて自転車を買った」と言っている。明治36年は1903年で、2月には「魔風恋風」はスタートしているから、ちょっと時期が合わなくないですか、木内先生?というところだが、そこはまあ、訪問記者へのサービストークというものか。

美人モデルの存在をにおわせる小杉天外

晩年の小杉天外(左は正宗白鳥、1951年1月8日付朝刊より)
晩年の小杉天外(左は正宗白鳥、1951年1月8日付朝刊より)

 さて、作者の小杉天外はどう言っているかというと、これまた思わせぶりな一文を残している。9月に連載が終わり、ほどなく春陽堂から刊行された単行本の序文で、「作中の主人公と二三の主なる人物とは、(かつ)て世に在つた人、それから今現に世に在る人をモデルにしたのだ」「とりわけ主人公とは五六回も面を会はしたことがある、全く美人で、学才も秀でて」等々。つまり、モデルはいたと明言しているのだが、しかしながら、自転車に乗っていたことだけで、三浦環がモデルと決めつけるわけにもいかないだろう。

 それというのも、すでに見たように「魔風恋風」がはじまる前から、「自転車に乗る女子学生」の記事は出はじめていたからだ。たしかに珍しく、世間の目をひいたにはちがいないが、同じころ、木内キョウも自転車を買っていた。けっこう人数は増えつつあったものと思われる。

 ヒロインのモデルはさておき、「自転車に乗る女子学生」については、むしろ注目されてよい記事がある。

おてんば「自転車娘」が起こした“事故”

1902年12月9日付「自転車娘(上)」の挿絵
1902年12月9日付「自転車娘(上)」の挿絵

 連載3か月前の1902年12月9~11日、3回続きの記事「自転車娘」が載っている。自転車のおてんば娘が少年にけがを負わせる。その事故から縁談が遠のいていた姉、少年の兄とが幼なじみだった奇縁が判明し、結婚に至る――。今日の新聞記事とは異なり、どこまで事実かわからない人情ゴシップだが、自転車事故が男女の縁につながるのは「魔風恋風」に通じる。しかも時期が近い。作者の天外もヒントにしたのではないかと想像したくなる。

 少なくとも、読売新聞の読者のなかには、ヒロインが自転車事故を起こした時点で、3か月前の「自転車娘」を思い出した人がかなりいただろう。そこからはじまる奇縁、ことに恋愛話を予感したにちがいない。もっとも、作者の天外もさるもので、簡単には恋愛を成就させない。次から次へ、ヒロインをひどい目にあわせる。半ば期待に沿い、半ば裏切る作家の手練手管が読者の心をつかんで離さなかったのである。

1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告より
1934年8月13日付「大悲劇名作全集」広告より

 かくて「魔風恋風」は長く読みつがれた。いまでは忘れられがちだが、昭和の戦前期、中央公論社「大悲劇名作全集」のラインアップを見れば、どれほどの人気作だったかがわかる。尾崎紅葉「金色夜叉」、大阪では爆発的な人気となった柳川春葉「生さぬ仲」などと並びたつヒット作だったのである。「自転車に乗る女子学生」のイメージが生きつづけることに貢献し、それがやがては「はいからさん」にも受け継がれたのではなかったか。

 ヨミダスパーソナルなら「魔風恋風」が当時の紙面で読めます。詳しくはこちら

プロフィル
前田 恭二( まえだ・きょうじ
 1964年生まれ。大学で美術史を学び、87年、読売新聞入社。休日の楽しみは、マニアックな調べものにいそしむこと。いまは図書館再開の日を待ち望む。

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1234995 0 トピックス 2020/05/23 05:00:00 2020/05/23 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/05/20200521-OYT8I50076-T.jpg?type=thumbnail

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