甲子園で戦えず…抽選に泣いた不運すぎる大投手

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 全国高校野球選手権は、今大会で100回目を迎える。「夏の甲子園」と言われるように、1924年に甲子園球場が完成してからは、このグラウンドが球児たちの聖地として存在し続けている。そんな歴史のなかで過去2回だけ、西宮球場と併用して、大会が開かれたことがあった。全国大会出場を勝ち取りながら、あこがれの甲子園で試合をできなかった選手たちがいたわけだ。後に巨人のV9を支えることになる堀内恒夫さん(70)もその1人。63年の第45回大会で、甲府商は山梨県代表として3試合も戦いながら、舞台はすべて西宮球場で、ついに甲子園で試合をすることはなかった。

試合を消化するために西宮球場を併用

第45回大会に出場した甲府商。入場行進は甲子園だった
第45回大会に出場した甲府商。入場行進は甲子園だった

 高校野球の全国選手権はかつて、1県1代表制ではなかった。

 たとえば、堀内さんが高校生だったころの山梨県勢は、埼玉県勢と「西関東代表」の座を争っていた。

 1958年、40回目の開催を記念して、大会は、各都道府県(米国統治下の沖縄を含む)から1校ずつ計47校が参加して行われた。同様に63年の第45回の記念大会も、各都道府県の代表48校(北海道は2校)が参加した。

 この2大会で、西宮球場が併用して使われた。

 「46(47)にも及ぶ試合数を消化するため」の措置だった(このほか、46年の28回大会は甲子園がGHQによる接収中だったため全試合が西宮で行われている)。

 第45回大会の甲府商は抽選の結果、西宮球場で初戦を迎えることになった。

 「え、なんだよ。甲子園じゃないのか」

 1年生ながらセンターのレギュラーで、リリーフ投手も任されていた堀内さんの率直な感想だ。遠征しても東京、静岡止まりで、関西は初めて。西宮球場はプロ野球の阪急が本拠地とする立派な球場だったが、それでも、甲子園から外れたショックは小さくなかった。

 甲府商は初戦の武雄(佐賀)戦を10-2で快勝。2回戦では宮崎商(宮崎)を2-1で破った。3回戦、「ここで勝てば次は甲子園で準々決勝」という試合で、優勝した明星(大阪)に0-11で大敗した。この年、甲府商が甲子園で試合をすることはなかった。

 最初の組み合わせを報じた63年8月7日の読売新聞夕刊によると、「2回戦の残り8試合とそれ以降はゲームの進行に伴い改めて抽選する」とあるから、3回も戦ったのに甲子園に縁がなかった甲府商は、不運というしかない。

 ちなみに、当時の資料によると、甲府商と同じ8月10日に西宮で1回戦を戦った岡山東商(岡山)も3回戦まで進んだが、同様に一度も甲子園で戦うことなく姿を消している。同じく銚子商(千葉)は2回戦から甲子園に回り、ベスト8まで勝ち進んでいる。

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34849 0 トピックス 2018/08/01 10:00:00 2018/08/01 10:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180731-OYT8I50017-T.jpg?type=thumbnail

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