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    文化

    銀座の猫の物語 玉→ポンちゃん→ミー太郎

    • 連載5周年を祝うミー太郎。以心伝心の女房役・平野キャッチャーとともに=(c)2013そにしけんじ/読売新聞社
      連載5周年を祝うミー太郎。以心伝心の女房役・平野キャッチャーとともに=(c)2013そにしけんじ/読売新聞社

     東京・銀座の百貨店「マロニエゲート銀座2」で8月18日~9月17日、読売新聞日曜版の人気漫画「猫ピッチャー」の連載5周年イベントが行われる。漫画の名場面を集めた約50枚のパネル展、グッズや書籍の販売、作者そにしけんじ氏のサイン会など、盛りだくさんの内容だ。主人公の「ミー太郎」が、館内の随所に等身大で登場することにもなっているイベントは、題して「銀座ニャンタスティック・ワールド」。ミー太郎が約1か月間、大都会で「百貨店の看板猫」という大役を担い、買い物客をおもてなしするわけだ。

     作中のミー太郎は「プロ野球界初の猫投手」で、猫離れした快速球と愛くるしいしぐさで相手打者を翻弄する。銀座を拠点に活動するのは、今回が初めてとなる。銀座と、ゆかりの深い猫と言えば――。ミー太郎の「先達」とも呼べそうな2匹を、ご紹介しよう。(読売新聞メディア局編集部・込山駿)

    玉…文壇に名高い武田家の愛猫

    • 武田家に愛され、19歳まで生きた玉(武田花さん撮影・提供)
      武田家に愛され、19歳まで生きた玉(武田花さん撮影・提供)

     戦後文壇に名高い武田家に、「(タマ)」という名物猫がいた。小説家の武田泰淳さん(1912~76年)と随筆家の百合子さん(1925~93年)の娘で、後に写真家として活躍する花さん(66)に、銀座の街角で拾われた雌の三毛猫である。

     玉と武田家の出会いは、1970年11月に遡る。ある朝早く、花さんは父からプレゼントされた真新しいペンタックス製一眼レフカメラを提げて、銀座で一人、シャッターチャンスを探し歩いていた。当時の銀座は「今みたいに街中がピカッと明るかったわけではなく、野良猫が歩き回るような薄暗がりも、ところどころに残っていた」と、花さんは振り返る。

     泰明小学校から帝国ホテルの方へ抜けるガード下も、そんな薄暗い一角だった。目の前に、子猫が2匹、転げ出すように駆け寄ってきた。いずれも、両手のひらに乗るくらいの幼い猫で、雄と雌が1匹ずつ。飼い主や親猫の姿は、辺りに見当たらなかった。

     足もとに体をすりつけてくる姿は「すごくかわいくて、放っておけない気持ちになった」と、花さん。そのまま2匹を両手に抱えてバスに乗り、赤坂の自宅へ連れ帰った。

     雌の方は、初めて入った家でも、全く物おじしなかった。カーテンをよじ登ったり、カボチャの煮物をおいしそうに食べたりと、元気いっぱい。おおらかな武田家の面々は、あっという間に魅了され、玉と名付けて飼うことにした。おとなしかった雄は、知人に譲ったという。

    大食い、マゾっ気、革ボロボロ…銀座出身らしからぬキャラ

    • 武田花さん(2017年3月27日撮影)
      武田花さん(2017年3月27日撮影)

     「銀座出身の女性――という経歴の印象とは全然違う」キャラクターの猫だったと、花さんは懐かしむ。

     何でもよく食べた玉は、立派な大猫に育ち、体重は最高で8キロに達した。古い革ベルトで背中をピシピシたたかれると大喜びする「マゾっ気」もあった。泰淳さんの邪魔をするのが得意技で、座ろうとするソファに先回りして居座ったり、書きかけの原稿用紙の上に乗っかったり。革製品に目がなく、来客の上等なボストンバッグを爪痕とかみ傷だらけにし、玄関の高級靴に顔を突っ込んでおもちゃにしたこともあった。そんな玉の暮らしぶりを、百合子さんは名著「富士日記」や「日日雑記」で、花さんは写真集「猫光線」(中央公論新社)に添えた文章などで、愛情たっぷりに描いている。

     「回るレコードにじゃれてとびのれば、そのままレコードにのって回ってしまうほどに小さかった。(中略)母猫を真似て、猫の首っ玉をがっぷりと口にくわえ、ぶら下げて廊下を往き来する私をつくづくと見て、『丈夫な歯だなあ』と、歯がほとんどない夫は羨ましがった」(武田百合子「日日雑記」より)

     「常日頃、猫に贅沢をさせる主義だと言っていた母は、住んでいた赤坂では、料亭に卸している高級鮮魚店のアジやカマスを玉に買っていた。一日一個、ヨード卵も()めさせた。卵に貼ってある『光』マークのシールを額に貼り付けてやると、なんだか得意気だった玉。(中略)好きなものに生まれ変われるとしたら、何に生まれたいかと聞かれることがある。答えは、『武田家の玉』」(武田花「玉のこと」より)

     百合子さんの乗り回す車で、赤坂の家と富士の山荘を行き来しながら、自由気ままに19歳の夏まで生きた。銀座が生んだ、ユニークな長寿猫だった。

    ポンちゃん…老舗カレー店の看板猫

    • レトロな店先で、宮田さんに抱っこされるポンちゃん(宮田博治さん提供、以下同)
      レトロな店先で、宮田さんに抱っこされるポンちゃん(宮田博治さん提供、以下同)

     甘みも辛みもじんわり深い看板メニュー「辛来飯=カライライス」を出す銀座の老舗カレー店「ニューキャッスル」。ここには6年前まで「ポンちゃん」という猫がいた。店主はもちろん、常連客や街を歩く人たちにもかわいがられ、銀座のご当地アイドルみたいな存在だったと伝えられる。

     ポンちゃんは、サビ柄の雌。生後間もない野良猫だった2001年の1月頃、銀座2丁目の柳通り沿い、中央通りよりも西側のエリアにあったニューキャッスルのレトロな店舗兼住宅の周りにやってきた。

    店主は恩人 賢く育つ

    • 木製ハウスの前にたたずむポンちゃん
      木製ハウスの前にたたずむポンちゃん

     猫好きの2代目店主、宮田博治さん(76)がエサをやるようになったが、店の中には入ろうとしない。常連客のOL2人が「寒くてかわいそうだから」と持ってきた段ボール箱を、店先の公衆電話の下に置いてやると、その中で暮らすようになった。常連客たちが毛布や座布団、カイロなどを次々と持ち寄り、箱の中は暖かに。しばらくすると、立派な木組みの手作りハウスが、やはり常連客から届き、ポンちゃんの住環境はさらに良くなった。

     「最初は内気だった。初めて病院に連れて行った時まで、私に心を開かなかった」と、宮田さんは振り返る。住みついて数か月後、ポンちゃんは体をこわし、ぐったりとして、エサも食べられなくなった。宮田さんは猫用のキャリーバッグを用意し、荷台に載せた自転車を引いて、動物病院に連れて行った。治って無事に退院した後、宮田さんの手からエサを食べるようになり、抱っこも嫌がらなくなった。「命の恩人だ――と思って、私を認めたんだろうね。成長するにつれて、自分に対して親切な者には懐くし、いじめてくるような相手からは遠ざかった。人間をきちんと区別できる、賢い猫に育った」

    愛嬌たっぷり、常連客らのアイドル

    • 街角でかわいがられるポンちゃん
      街角でかわいがられるポンちゃん

     しぐさに愛嬌(あいきょう)があった。看板の下で姿勢をただし、店の客をお出迎え。扉のガラス越しに、店内をのぞき込む。店先で、落ち葉や羽虫とじゃれる。道行く人に食べ物をもらい、なでられると喉を鳴らして喜ぶ。カメラを嫌がらず、記念撮影にも気さくに応じる。テレビや雑誌にもたびたび紹介され、猫好きの間では結構有名になった。銀座の街に愛された猫だ。

     ニューキャッスルは2012年夏、創業66年でいったん店じまいした。老朽化と地盤沈下が進んだ建物に住んで営業することに、前年の東日本大震災後、宮田さんが不安を覚えるようになり、70歳を機に引退を決めたのだ。引っ越し先のマンションでは飼えないため、ポンちゃんは特に懐いていた常連客の夫婦に引き取られた。店のマスコット役を退いてから1年半ほど、家猫として幸せな晩年を過ごしたという。

     閉店から約1年後、ニューキャッスルは営業を再開。旧店舗と同じ柳通り沿いの銀座2丁目にあるビルの地下に入居して、常連客だった飯塚健一さん(40)が3代目店主になった。新しい店に旧店舗時代からの常連客たちが集まって、ポンちゃんをしのぶ会が営まれたこともあった。宮田さんは今、しみじみ語る。

     「銀座の街に、猫が居つくような飲食店はこのごろ、珍しくなった。そんな時代の貴重な『看板猫』だったなぁ、ポンちゃんは」

     漫画「猫ピッチャー」(そにしけんじ作)の主人公・ミー太郎も、玉やポンちゃんのように、長く愛される猫を目指す。百貨店「マロニエゲート銀座2」でのイベント詳細は、百貨店の公式サイトで確認できる。

    猫の情報はウェブサイト「大手小町」にも満載!

    2018年08月17日 17時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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