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世界は「コロナ後」一新されるか…「黒死病」の衝撃に耐え対応し存続した中世ヨーロッパ

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 新型コロナウイルス感染症の出現まで、疫病の脅威としぶとさを実感することはなかった。ワクチン普及開始にトンネルの先の光明を見る思いだが、出口までの距離は実測できない。
 そんな思いでいる頃、フランスの誇る国立高等専門研究機関コレージュ・ド・フランスで中世の疫病「黒死病」の通年講座が年頭から始まっていたことを知った。講師は同国を代表する歴史家パトリック・ブシュロン教授だ。
 欧州は甚大な被害をもたらしたこの疫病をどのように克服したのか。パリ在住の教授に電話取材した。「困難な時代、人は歴史家を頼りにします。ただ過去から教訓を引き出すのは容易ではない」。そうことわって、語り出した。(編集委員 鶴原徹也)

疫病と戦争は西洋の建国神話の柱

 コロナ禍で強い衝撃を受けたのは1年前、イタリア北部ベルガモの光景を見た時でした。市民多数が犠牲になり、感染対策と人手不足で埋葬不能に陥り、墓地に放置された多数の棺(ひつぎ)を軍が十数台の車両に載せて搬出していた。

 古代ギリシャの歴史家ツキジデスの描く、紀元前5世紀のペロポネソス戦争の場面を想起しました。このアテネとスパルタの戦争に伴い、アテネで疫病が蔓延(まんえん)します。死者数は墓地の容量を超え、親は子を、子は親を葬れない。文明の土台が崩れたのです。市民は法を守らず、神々に従わなくなり、社会は瓦解する。ツキジデスは疫病を絶対的悪と捉えました。

 この疫病は腸チフスとみられています。ともあれ、疫病と戦争は西洋の建国神話の柱になります。

 歴史上の大事件は社会に大変化をもたらしたのか。そう私は自問してきました。世界の人々は今、同様の問いを発しているはずです。「コロナ後」、社会は一新するのか、世界は変容するのか――。

 私は中世史家です。21世紀の知見に基づいて、中世の大事件「黒死病」を詮索し、答えを探りたいと思っています。

 黒死病は1347年、アジアから西欧に波及し、瞬く間に欧州に拡大した。感染力・致死率が極めて高く、52年までの5年間で欧州人口の半数、都市では6割が死亡したと推計されている。欧州史上、未曽有の人口危機でした。

 その描写は同時代のイタリア作家ボッカチオの代表作「デカメロン」が有名です。ここでも埋葬できない遺体の山が描かれ、社会の混乱と崩壊が記されている。

 私の見るところ、作家は黒死病を直接取材していない。フィレンツェを逃げ出し、郊外の館で物語に興じた作中人物たち同様、修羅場にいなかった。創作で参照したのはツキジデスの描写でした。

 黒死病という絶対的悪に直面した人々は最初、人間の罪深い行為に怒った神の罰だと考えた。罪をつぐなう礼拝行進をして逆に感染拡大を招く。次にハンセン病患者やユダヤ人らによる仕業を妄想し、迫害を重ねる。1349年の仏東部ストラスブールでのユダヤ人大量殺害事件など欧州各地で虐殺が繰り広げられます。

 南仏アビニョンで15世紀初めに枢機卿が感染死すると、痩せ細り、朽ちかけた遺体が彫像に刻まれる。その彫像は終末思想と相まって黒死病の象徴となり、死に神が大鎌を手に万民と踊る「死の舞踏」の図像として定着してゆく。

 黒死病は1722年まで間欠的に再発を繰り返します。

 では社会は激変したのか。

 答えは「否」です。

「ひとつの例えですが、歴史の真実は噴火する火口の中にある。飛び込むことはできない。火口に近づき、輪郭を明らかにすることが歴史家の仕事です」。パリのセーヌ左岸にあるコレージュ・ド・フランスのブシュロン氏の研究室で、2017年5月の取材の折に=鈴木竜三撮影
「ひとつの例えですが、歴史の真実は噴火する火口の中にある。飛び込むことはできない。火口に近づき、輪郭を明らかにすることが歴史家の仕事です」。パリのセーヌ左岸にあるコレージュ・ド・フランスのブシュロン氏の研究室で、2017年5月の取材の折に=鈴木竜三撮影

 一例として14世紀半ばの南仏の港町マルセイユを見てみます。黒死病は1347年、東方から入港した商船が運んできた。5年間で市民のほぼ半数が亡くなります。

 その渦中に父・母・姉妹・夫を失った女性の相続を巡る公文書が残されている。公証人は司祭を含む7人の証人の立ち会いの下、規則通りに手続きを進めている。公証人制度は機能していたのです。

 経済はどうか。一般的に女性は家事に加えて織物などの手工業に従事していましたが、黒死病による労働力不足を補うためにブドウ栽培やサンゴ取引などにも参画し、経済を支えていた。

 政治も人手不足に伴う労働者の賃金の過度の上昇を抑え、減税を導入するなど機能していた。

 家族の結束や隣近所の助け合いが古文書から読み取れます。人口は10年で増加に転じ、農村から都市に再び流入し始める。

 これはマルセイユに限りません。中世の社会は黒死病の衝撃に耐え、対応し、存続した。強靱(きょうじん)だったのです。政治体制も信仰体系も崩壊することはなかった。

全ての命守る。方針を維持できるか、政治の真価が問われる

 ところでペスト菌は19世紀末、仏日両国の細菌学者、アレクサンドル・イェルサンと北里柴三郎が英領香港でほぼ同時に発見します。

 その前段ですが、1860年代に中国南西部で死を招く疫病が発生し、90年代に入ると中国南部と英領香港で猛威を振るい、仏領インドシナに迫っていた。

 イェルサンはフランスの「細菌学の祖」ルイ・パスツールの弟子で、仏領に疫病が及ぶのを防ぐために急派された。北里とはドイツの細菌学の権威、ロベルト・コッホの兄弟弟子にあたります。

 ペスト菌の発見者は論争を経て20世紀半ばにイェルサンで落着する。学名は「Yersinia pestis」に定まる。

 ペスト研究は21世紀に大きく前進します。分子生物学の飛躍的発展が原動力となり、考古学や環境科学などとの学際研究が盛んになる。次の事実が確認されます。

 大流行は史上3回あります。1度目は6~8世紀、東ローマ帝国の版図が中心。皇帝の名を冠して「ユスティニアヌス・ペスト」と呼ばれる。2度目は14~18世紀の「黒死病」。アジア・欧州・北アフリカに広がった。3度目は19世紀半ばの中国発です。今でもマダガスカルやアフリカ中央部を中心に発生しています。

 ペストは本来、ネズミやマーモットの病気です。それがノミを介して人間に伝染した。病原巣は中国南西部チベットの高原地帯周辺とみられています。

 ペスト菌は感染力・殺傷力が極めて高く、生物兵器に利用される恐れがある。先進諸国を中心にテロ対策としても研究が盛んです。

 疫病の広がり方は世界の結びつき方の反映です。コロナ禍は中国が世界の結節点である現実をあらわにした。世界は「中国時間」を刻んでいるとも言える。その世界がウイルスとして私たちの体内に侵入してきた。そんな印象です。

観光客が減って閑散とするパリのシャンゼリゼ通り。2021年1月29日撮影
観光客が減って閑散とするパリのシャンゼリゼ通り。2021年1月29日撮影

 中国は当初、新型コロナウイルスを巡る情報を進んで開示しなかった。今日の事態を招いた一因だと私は思います。コロナ禍は専制体制がもたらした病でもある。

 ただ私たちはマスク着用や外出自粛など自らの行動で感染拡大を抑えることができます。その意味で世界の未来は私たちの手中にあるとも言える。私たちはグローバル化の主役になり得るのです。

 コロナ禍に際して世界中の国々は、政体の違いや人口構成の違いにもかかわらず、最も弱く最も老いた人々を含む全ての国民の命を守る決意を示しました。歴史的な動きと私は受けとめています。マクロン仏大統領は「予算に糸目はつけない」と宣言したものです。為政者は「コロナ後」、全ての人命を守る方針を維持できるのか否か、政治の真価が問われます。

 最後に「知」についてひと言。コロナ禍で私たちは科学の重要性を再認識しました。その一方で、感染防止策として大学などの教育機関でオンライン授業が一気に広がりました。やむを得ないことですが、「知」は人々が実際に集い、触発し合うことで豊かになる。それが科学を前進させる。私は「知」を生み出すことが善く生きることだと考えます。

 人と人の触れ合いは人類の掛け替えのない宝です。

プロフィル
パトリック・ブシュロン氏(Patrick Boucheron)
 フランスの歴史家。高等専門研究機関コレージュ・ド・フランス教授。専門は中世イタリア研究。著書は「レオナルドとマキャベリ」「恐怖を避ける シエナ、1338年」など。監修した通史「世界の中のフランス史」はベストセラー。

無断転載・複製を禁じます
1926141 0 国際 2021/03/21 08:46:00 2021/04/21 09:00:03 2021/04/21 09:00:03 「あすへの考」用、フランスの歴史家、パトリック・ブシュロン氏(仏高等専門研究機関コレージュ・ド・フランスで)=鈴木竜三撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/03/20210315-OYT1I50011-T.jpg?type=thumbnail

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