文字サイズ
    講談社

    岐路に立つキュレーションメディアの運命…講談社

    外資がキュレーションを食いにかかる

    • 「来年は外資が大きく動くだろう」
      「来年は外資が大きく動くだろう」

    ――第二世代のネットメディアは、どのようなものになると考えられますか?

     先ほども指摘しましたが、どうしても技術を持った者は先行する。理科系の人が切り開いてきた部分があるんですね。キュレーションはやっぱり、スマホと同意語で語られることが多くて、キュレーションメディアそのものは好まれている。生活に欠かせざるものになっています。それがある限りはやっぱり、残っていくのでしょうね。

     ただ、それを良くするためには、コンテンツ提供側の努力や、共に何かやっていくということが求められる気がします。間違いなく来年は、外資もさらに動いて、キュレーションの市場とコンテンツを獲りに来る、と予想されます。一番心配しているのは、外資の黒船というか、ものすごく資本力や技術力を持ったところが日本においては、キュレーションがおいしいと思った時に、大外からグイッと入ってくるんじゃないかなということです。アマゾンとか、フェイスブックとか。そうなったときに日本先行型のキュレーションメディアは大丈夫なのだろうかと。

    ――スマニューやヤフーが蹴散らされるような状況が起きるかもしれない、ということですか?

     どうでしょう? 少なくとも、玉石混交の状態から淘汰されるかもしれません。

    ――その時に、新聞社、雑誌社には何が起きるでしょうか?

     「メディアとは何なのか」という本質が、さらに問われるような気がします。Mediumというのは、言葉としては「媒介する」という意味です。では、いろんなプラットホームやメディアを支えているブロガーやライターに「メディアとは」と概念を聞くとしましょう。あるいは、キュレーションメディアを運営しているエンジニアにも聞くとする。既存メディアである週刊誌の記者や新聞記者にも聞いたら、どんな結果になるか。

    ――立場によって、全然違う答えになる?

     それはもう、ゆらぎのレベルを超えて、定義が両極化する可能性がある。そもそも「メディアとは何なのか」という問いをもう一度してみないといけないと思います。たぶん新聞社や出版社が考えるメディアというのは、より責任があったり、重みがあったりすると思うんですよ。

    ――正確性、信頼、正義などでしょうね。我々が考えた場合におけるメディアの概念のベースにあるのは。

     改めてそれを問い直すことが必要ではないでしょうか。「メディアとは何なのか、コンテンツとは何なのか」。あるいは「読者とは何なのか」まで問いの範囲を広げての再定義が必要だと思います。

     私はもともと15年の間、広告代理店マンを務め、その後、講談社に移って10年になります。合計25年間メディアに携わって思うんですけども、私が新卒当時から学んできた「メディアニュートラル」という考え方を、古い言葉ですけど、今改めて語るべきだと思うんですよね。いろんな意味での「中立性」です。今だからこそ、新聞や雑誌にネットを含めたうえでのメディアニュートラルの再定義です。もっと言うと、デジタルによって屋外広告さえも全部つながってしまうという現状を考えたら、すべての広告について、もう一度メディアニュートラルを業界で議論したほうがいいんじゃないのかと思います。

    タイムラインのニュースは全て同列

    ――コンテンツも広告も、時代に合わせてどんどん形を変えていくばかりではなく、守るべきところは守り、メディアの範囲が広がっている現状に合わせて、どのメディアにも当てはまるような定義をきちんと作っていかないといけない、ということですか?

    • 「スマホの中で発信者の差別化は難しい」
      「スマホの中で発信者の差別化は難しい」

     日常レベルの話でいうと、スマホのアプリを開くと、そこに新聞社や雑誌の記事も、テレビ局からのコンテンツも入ります。全部が同居しますよね。ごっちゃになり、タイムラインとして出てくる。個人発のものも、そこに入りますよね。スマホの中では、発信者による差別化は難しくなっている。

    ――インターフェース上は、すべて同列ですね。

     では、同じように並んでいる記事のひとつひとつは何が違うのかということですよ。

    ――同列に見えるからこそ、僕たちの大事にしているところを、もっと見えるようにしなきゃいけない、ということでしょうか?

     端的に言うと、私は当然、新聞をとっていますが、同じ情報でも新聞紙面で読むと、ネットで読んだ時に比べて信頼性が高いと感じてしまう。メディアとして向き合う態度として、「新聞」は他とは違うという感覚があるんですね。紙が持つ実体感というのも影響していると思います。どうしても、スマホのアプリ上で見ると、その実体感とある種の信頼性が薄らいでみえるというのが個人的な感想です。

     そのこともあるし、キュレーションメディアの議論の先にはメディアの分散化というテーマが出てくると思いますが、では分散した先のコンテンツを読んでいる人は誰の読者かというのが大事だと思いますね。

    新聞社や出版社の立ち位置はどこか

    • 「自分たちの立ち位置を自問しなければならない」
      「自分たちの立ち位置を自問しなければならない」

    ――技術が急速に進み、状況のほうがどんどん進んで、新聞社も出版社も自分たちの立ち位置を確認しないままに、状況に慌てて対応せざるを得ない部分があった。それが少し、メディアを取り巻く状況をおかしくしている部分もあるのかなと思います。分散型メディアになるにしても、スマホと付き合うにしても、自分たちの立ち位置や存在意義を、常に自問しなければなりませんね。

     キュレーションメディアの第二フェイズというのは、先ほど申し上げたように、メディアニュートラルな環境の中で、媒体社が「自分が何であるか」というアイデンティティーが問われてくる、と思います。そして、メディア側が自ら進んで、キュレーションとどう関わるか、またはキュレーションを運営する会社とどう関わるかというステージに入ると思います。それは、データを共有しようというような話にもなるでしょう。既存メディアと共同で運営するという話も出てくるかもしれない。海外のように新聞社や出版社だけで集まって、キュレーションメディアや広告のプラットホームなどが生まれるかもしれない。

    ――なかなかそういう議論に深まっていかないところがありませんか?

     それは多分、デジタルマーケティング、デジタルメディアの業界の動きが速すぎるからですよ。彼らはいわばフロー型ビジネスですよね。一方で、出版社や新聞社は確固たる読者というのがあり、ペイドメディアとして成り立っている。当然、広告料金にも定価があり、レートがある。そういう基盤たるものがあったと思います。

     しかしネットは、すべてがフローですよね。なので、刹那的に現れる読者を広告でターゲッティングして換金するというビジネスです。そういうフローな動きと、アーカイブやストックが得意なレガシー系のメディア、特に新聞雑誌の向き合いが難しいですよね。

    2016年12月20日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR情報
    PR
    今週のPICK UP
    ハウステンボス旅行など当たる!夏休み特集