トップ>教育>教育旅行の地としてのサハリン・樺太

教育一覧

山田 篤史

山田 篤史 【略歴

菊地 明範

菊地 明範 【略歴

教育旅行の地としてのサハリン・樺太

菊地 明範/中央大学杉並高等学校国語科教諭
専門分野 近世文学(和歌)

山田 篤史/中央大学杉並高等学校地理歴史科教諭
専門分野 ドイツ近世社会史

「修学旅行」から「研修旅行」へ

 中央大学杉並高校は9割以上の生徒が中央大学へ進学する附属高校である。生徒は幸いにして受験勉強に汲々とせずに3年間を過ごすことができる。それは教員にとっても受験勉強に捉われずに教育を実践できる環境であるということだ。この恵まれた環境の中でどのような教育を実践するのか、「何ができる」のか「何に取り組んだらよい」のか、そんなことを教員は常々考えている。

 学校行事の中でも修学旅行は特別大きな意味を持つ。歴史的に修学旅行の役割は終わったという意見もあるが、現代の高校生にとっても3年間で一番楽しみにしている行事といってもよい。

 本校では「学び」の要素を濃くするために2003年以降「修学旅行」という呼称を「研修旅行」に改め、事前学習・事後学習に力を入れてきた。そして2008年度北海道方面研修旅行5コースのうちに戦後初と報道された「サハリン・樺太コース」があった。

「良質な教育的刺戟の提供」

 教員が目指したのは「良質な教育的刺戟の提供」。とにかく生徒が自ら「考える」ためのきっかけを提供したかった。

 何かの答えを追認するために行く旅行ではなく、生徒一人ひとりが自分で何かを考える旅を企画したかったのだ。混沌とした現実に振り回されていく「人」。その「人」と「社会」を自分なりにしっかりと認識することが、次の社会を担っていく若者に必要だと感じていたから。

 自分の目で見ること、自分の身体で感じること、自分の頭で考えること、そして自分の言葉で語ること、生徒にはそんなことを大切にしてほしいと思っている。そしてサハリン・樺太はそんな教育旅行の地として絶好の刺戟を与えてくれる場所であった。

「予備知識がない」

 生徒はもちろん教員もサハリン・樺太に対する予備知識はほとんどない。
 地図を確認させ、どうして南樺太は「白塗り」なんだろうという問いかけからこのコースへの誘いが始まった。

 「隣国だし、そこはヨーロッパなんだよ。」

 「樺太って言ったらいいのかな? サハリンって言うのかな?」

 「日本で地上戦があったのは沖縄だけではないんだよ、樺太も市街地で戦争があったんだ。それも終戦後にね。どうして沖縄のことは皆んな知っているのに樺太のことは知らないんだろうね? 40万人もの人が住んでいたんだよ。」
 学んだことのないできごとや未知の情報が生徒を包む。

 やがて、日本に一番近いヨーロッパは、日本の立場としてはロシア領とはいえないこと、しかしながらそこには日本総領事館があること、そして悲しい戦争があったことなどを生徒はぼんやりと知ることになる。

 「歴史に振り回された市民の存在、日本という国家としての考え方、そこで生活している人々の思惑、さまざまな立場を学んでサハリン・樺太を自分の目で見に行かないか? 今でないと見えない何かがあるはずだよ、一緒に見に行こうよ。」そして高校教員特有の挑発的なやや意地悪な口調でいつも話は締めくくられた、「でも〈何か〉は自分で探そうね」。

「事前学習」

 1年半前からさまざまな事前学習を用意した。

 まずNHKのTV番組プロジェクトX「国境を越えた救出劇/大やけどコンスタンチン君・命のリレー」を視聴させた。1990年にあった超法規的措置の男児救出ドキュメンタリーだ。ソ連を知らない生徒にとってこの番組は衝撃的だったようだ。

 また「樺太1945年夏 氷雪の門」を課題映画に設定した。この映画は配給直前に上映できなくなった複雑な経緯を持っている。生徒の素朴な疑問を「上映委員会」に伝えると、当時の助監督・新城卓氏が学校で話をしたいと来校くださり、思いがけず特別授業を企画することができた。

 学生を連れてサハリンを巡検されたことがある一橋大学大学院教授の水岡不二雄先生も、ぜひ高校生を前に話をさせてほしいとおっしゃり、先生の特別講義も実施できた。

 樺太に生まれ、戦後の樺太でご結婚され、その後引揚げてきた御夫婦からもお話をうかがうことができた。このようにさまざまな方に援助していただき、事前学習は充実していった。

 別のコースでも事前学習は進められていた。根室に行き北方領土について学ぶグループでは、当時の沖縄北方領土対策大臣の岸田文雄氏(現外務大臣)からビデオレターをいただくなど事前学習を充実させていた。そのころサハリン・樺太コースの生徒はロシアのビザを取る手続きを始めていた。サハリン州の州旗には北方四島が描かれていることも認識し、ビザがあれば北方領土の国後や択捉に渡航することもできてしまうことも学んだ。コースごとの学習が進むことにより、学習内容が有機的に結びつき、どのコースの生徒にとっても有意義な学びとなっていった。

「海を渡る」

フェリーにロシア国旗を掲揚する生徒

 まず特筆したいのは、外国に船で渡る体験の素晴らしさ。この大海原を古人はどのように眺めたのであろうかとそれぞれが思いを馳せることになる。他の移動手段では得られぬ貴重な体験となった。5時間半という時間がちょうどいい。紺碧の海原にイルカの群れがフェリーと並走する。生徒の目が生き生きとしてくる。「場」が生徒を成長させていくことを実感することができた。

「現地の人の話をうかがう」

 国籍の異なるさまざまな方からお話をうかがう機会も設けた。サハリンとビジネスを展開している日本人、在ユジノサハリンスク総領事、樺太時代から住んでいる韓国人、私費を投じて遺骨収集を続けているロシア人。貴重な「生」の声に、生徒は真剣に耳を傾けていた。

「見えるもの」

倒されたままの日本軍上陸記念碑

 上陸して目にするのは日本的なる物とロシア的なる物が混在する不思議な町並み。駅前広場に日本的なる景観を見出したかと思うとすぐ脇には巨大なレーニン像がある。この地が歩んできた歴史が織りなす独特な景観である。

 亜庭湾を臨む丘に登ると破砕されている日本軍の上陸記念碑がある。眼下には群青の大海原が広がる。はるか向こうにはサハリンⅡプロジェクトの巨大な液化天然ガス工場が見える。足元には放置されたままの日本軍のトーチカ。丘に広がる畑にはダーチャと呼ばれるロシア人の別荘が点在し現地の人々の生活がかいまみられる。サハリン・樺太の過去と現在と未来を一望することができる。そして市井の人々の暮らしのすぐ脇に新旧の国家プロジェクトが姿を見せているのだ。

 日ソの激戦地の熊笹峠では、それまで晴れていた空が俄かに曇り、冷たい霧に覆われ風が激しく吹き始めた。不思議な気象に震えながら、ここで生命を失った多くの人々に思いを馳せた。

 「九人の乙女」で知られる真岡(ホルムスク)の慰霊碑の前でも献花・黙祷を捧げゆっくりとこの地での出来事に思いを巡らせた。制服姿の私たちの行動を不思議そうにじーっと眺めていたロシア人少女のあどけない笑顔に、生徒は何を感じたであろうか。

ユジノサハリンスク駅前広場のレーニン像

サハリン州郷土博物館(旧樺太庁博物館)

「食文化」

初日の夕食、本格的なロシア料理に舌鼓を打った

 最初に入ったレストラン。入り口でロシア人女性が大きなパンと塩を持って我々を迎えてくれた。客はパンを一口分ちぎって塩を付けて食べるしきたりがある。生徒は戸惑いながらも嬉しそうにパンを口にしていた。このあとどのレストランに行っても一品一品温かいロシア料理がゆっくりと運ばれてくる。日本の修学旅行では考えられないことだが、これがロシアの当たり前なのだ。

 どこに行ってもソフトクリームなどは売ってもいないし、買い食いできる場所もない。バスの中で食べるお菓子もない。したがって生徒は3度の食事を大事にいただくことになる。そういう食事の中で生徒は食文化ということを自然と意識したに違いない。

「交流会」

ロシア人学生との交流会

 経済情報法律大学では学生との交流会も開いた。生徒が気後れしてしまうのではないかという教員の不安は杞憂に終わり、どのグループも和気藹々と話をしていた。メールアドレスを交換したり写真を撮りあったりして同世代のロシア人の感じ方や考え方に直接触れることができた。交流では日本語・ロシア語・英語が飛び交い実に興味深い交流形態になり、有意義な時間を過ごすことができた。

「振り返り」

まとめられた生徒の研修旅行ファイル

 帰路稚内であらためて氷雪の門を訪ねた。研修旅行の締めくくりとしてはたいへん有意義であった。そして先刻までいたサハリン・樺太を遠望したのだが多くの生徒は深く頭を垂れていた。

「もっと学習してから来ればよかった」生徒からはそんな声も聞かれるようになっていた。

 生徒は旅行後「研修旅行の記録」を書くことになる。写真や切符、思い出の紙片を貼付してコメントするシートの作成である。こんな作業は生徒の得意とするところであり、思い思いの研修ファイルが作られていった。

「大鵬の銅像が建つ」

 8月、新聞に小さな記事が載った。名横綱大鵬の銅像が生誕地敷香(ポロナイスク)に建ち、15日に除幕式が行われたという。ポロナイスクの市長の発案だということに驚いた。研修旅行に参加した卒業生はこのニュースにどのような思いで接しただろうか? 見逃してしまいそうな小さな記事に何かしらの思いを持ったと信じたい。この研修旅行が生徒一人ひとりの中に活きていてくれたら嬉しいと思う。そんな思いで私たちは新聞を眺めていた。いつか生徒を連れて大鵬の銅像を見てみたいと夢を膨らませながら。

 中央大学125ライブラリーの一冊にこの研修旅行の記録を加えていただいた。ひとつの教育実践としてお読みいただきご意見を賜れば幸いである。

菊地 明範(きくち・あきのり)/中央大学杉並高等学校国語科教諭
専門分野 近世文学(和歌)

高校生が見たサハリン・樺太
―中央大学杉並高校研修旅行の記録

埼玉県出身。1963年生まれ。中央大学附属高校、中央大学文学部文学科国文学専攻卒業。中央大学大学院博士課程前期修了、後期中退。1991年大韓民国暁星女子大学校外国語学部日語日文学科専任講師、1993年より現職。防災士。中央大学の附属であることにこだわって二十余年。落語研究会顧問。
著書に『小倉和歌百首註尺』(桂書房 共著)『栄葉集上・下』(古典文庫 共著)『にほんご 新標準日語教程 中級1・2』(大連出版社 共著)などがある。
山田 篤史(やまだ・あつし)/中央大学杉並高等学校地理歴史科教諭
専門分野 ドイツ近世社会史
愛知県出身。1976年生まれ。一橋大学社会学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程・修了博士課程中退。2004年より現職。主に世界史を担当。専門はドイツ近世社会史。ロシア史を専門とする教官から指導を受け、ロシアの歴史や文化にも興味を持つ。研修旅行の下見を兼ねてサハリン・樺太では北緯50度以北まで訪れた。